利用者:Ajita会話 / 投稿記録 / 記録様についてコメントを依頼します。——以上の署名の無いコメントは、Nozawa onsen pottaノート履歴)さんが 2012年2月17日 (金) 10:00 (UTC) に投稿したものです。[返信]

これまでの経緯 編集

被依頼者様(以降、冗長になるため敬称と敬語を略します。御容赦を)は以下の記事で私見を編集をしています。以下に列挙します。また何度指摘しても直そうとなさいません。

  1. アルボムッレ・スマナサーラにおいて、中心的な役割を果たしているとありますが、事実によって示すのが編集ルールです。ノートに記載してあります。(大言壮語をしない)--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)[返信]
  2. アルボムッレ・スマナサーラにおいて、開基と開山を誤って使っていて指摘しても直しません。ノートに記載しています。--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)[返信]
  3. アルボムッレ・スマナサーラにおいて、1750年に始まったスリランカのシャム派の僧侶を仏陀の時代の初期仏教の僧侶として伝統的なハク付けをしようと事実をねじ曲げています。ノートに記載しています。(大言壮語をしない)--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)[返信]
  4. アルボムッレ・スマナサーラにおいて、同様にアショカ王の時代の部派仏教であると主張しています。そもそもシャム派は部派仏教ではありませんが、スリランカの最古とされる分別説部でさえ部派仏教に含めるかどうかは意見の別れる所ですが、江戸時代の仏教を部派仏教だと事実を酷くねじ曲げています。ノートに記載しています。(大言壮語をしない)--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)[返信]
  5. シャム派において、スリランカ内戦は、内戦の中核である仏教徒のシンハラ人とヒンズー教徒であるタミル人との民族争いで、シンハラ人側の中心的な存在であった記載を消しています。--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)[返信]
  6. シャム派において、この派は、世界で唯一カースト制度を現在でも採用し続けている派閥である事を記載しないか、あいまいに表現しようとしています。--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)[返信]
  7. シャム派において、植民地で滅んだのは、サンガだけでは無く仏教徒諸共に滅んだ事を記載しようとしません。--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)[返信]
  8. シャム派において、なんとかタイなどとの歴史的な連携があった事を理由に伝統を装うように見かけています。--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)[返信]
  9. アルボムッレ・スマナサーラシャム派の編集が再開されたので修正すると執拗に同じ文脈に戻して来ました。[1][2] --Nozawa onsen potta 2012年2月26日 (日) 01:06 (UTC)[返信]

依頼者のコメント 編集

以下は私見です。

・この僧侶の属しているスリランカの教団(シャム派)は1750年(江戸時代)に始まり、1948年の植民地開放後に民族運動の高まりと相まって急成長し、2009年まで26年に渡り、死者だけでも7万人に及ぶと言われているスリランカ内戦の中核を担ってきた教団で、仏教でありながらカースト制度を維持継続している教団です。この事実が知れ渡ると日本では営業困難なのか、なんとか2500年くらい昔からの伝統ある教団だと勘違いさせ信頼を得るような営業戦略を取り続けています。宗教教団をどういう方針で運営営業なさっても構いませんが、この図式を、そのままwikipediaにも持ち込みを続けようと努力継続されていて困っています。--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)[返信]

・ いつも、この僧侶の書籍が出ると真っ先に更新なさる方で、立場的に大言壮語する必要のある方のようですが、wikipediaは百科辞典ですので、教団側に都合の良い話だけを載せるのはルール違反です。--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)[返信]

・ もう少し公平な客観性を持って頂きたい所ですが、なんど指示しても全く無視して削除なさるので困っています。——以上の署名の無いコメントは、Nozawa onsen pottaノート履歴)さんが 2012年2月17日 (金) 10:00 (UTC) に投稿したものです。[返信]

・ この教団の特徴は少しでも都合が悪い事は、すぐに事実が誹謗中傷に変わります。さっそくいつもと同じように返事して来ました。--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:12 (UTC)[返信]

・ 1750年(江戸時代)にタイから輸入されてスリランカで始まった仏教を、タイの仏教も元々スリランカから流れていった経緯があるから、釈迦やアショカ王の時代の約2500年前の初期仏教部派仏教 と吹聴なさって営業され、この文脈を、そのままwikipediaに持ち込む事は歴史観的な問題のない事なのでしょうか?--Nozawa onsen potta 2012年2月18日 (土) 10:04 (UTC)[返信]

・ Ajitaさんが、日本テーラワーダ仏教協会の事務局長の佐藤哲朗だとまでは断定はしていませんが、佐藤哲朗は大アジア思想活劇などの著者なので、初期仏教や部派仏教と現代のテーラワーダ仏教とは一致しない事を当然知っている事は、著書の内容からも明らかなのですが、協会の仕事に付かれてから発言が正反対に変わって来ている人です。本人かどうかは別問題としておいても、この手の史実と異なる職業的な論調をwikipediaに持ち込まれるのは困ります。--Nozawa onsen potta 2012年2月19日 (日) 02:47 (UTC)[返信]

・ 断定はしていないので、事務局長の佐藤哲朗とは別の方でも構わないのですが、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないと言うことに関して該当される方と言う事で宜しいのでしょうか --Nozawa onsen potta 2012年2月19日 (日) 06:04 (UTC)[返信]

・ はい、承知致しました。静観します。--Nozawa onsen potta 2012年2月19日 (日) 23:15 (UTC) [返信]

・ およそ2000年以上昔に、仏教教団が分裂して行く歴史の中で、分別説部と言うグループがあり、これの末流が現在のシャム派などを含む、現代の上座部仏教であることは明らかです。まず分別説部を、初期仏教や部派仏教に入れるかどうかは、論者によりけりです。表をご覧になれば判りますが、部派仏教の南伝18部派には分別説部は入っておりません。一般に小乗20部と言う呼び方をする場合に初めて出て来ます。[3]更に、Ajitaさんは、これの末流が現存するのでは無く、これがそのまま今でも現存していると主張なさっています。スリランカは古代から数えても何度も僧団が滅び再輸入をくり返していますし(上座部仏教をご覧ください)、実際にシャム派のように名前まで変わっていますが、末流では無く、本流そのものが未だに残っていると主張なさる方は、非常に珍しく思います。ここが百科辞典的では無いので改めて頂きたい箇所なのです。--Nozawa onsen potta 2012年2月20日 (月) 09:44 (UTC)[返信]

・ スリランカ内戦は、仏教徒であるシンハラ人とヒンズー教徒であるタミル人の戦いで、その背景となったのがシンハラ人の仏教ナショナリズムであることは、某教団の佐藤哲郎でさえ認めていることです。[4] --Nozawa onsen potta 2012年2月20日 (月) 11:40 (UTC)[返信]

・ 被依頼者は、シャム派の僧侶であるスマナサーラを初期仏教や部派仏教に関連付けなさりたいようですので、シャム派が、どうして初期仏教や部派仏教なのか、しっかりご説明になって下さい。 --Nozawa onsen potta 2012年2月21日 (火) 08:58 (UTC)[返信]

・ Ajitaさんは編集が再開されても基本的な態度を改めないようです。数日期間を置きますが、ふたたび編集合戦になった場合は、編集停止か記事の根本的な削除をお願いします。--Nozawa onsen potta 2012年2月26日 (日) 01:16 (UTC)[返信]

・ よくわからないので知ってる事だけを、まとめておきます。日本テーラワーダ協会[5]と言う宗教団体があります。この団体にスマナサーラ[6]と言う僧がいます。この宗教団体は、上座部仏教の団体で、この僧はスリランカのシャム派の僧侶です。シャム派は江戸時代にシャムから来た仏教で、しかも当然この男は現代人なのに、この僧侶は初期仏教の僧と言わせてプロパガンダしたいようです。宗教がどういうプロパガンダをしても、勝手だと思うのですが、それをそのままウイキペディアに持ち込むのは、宣伝行為になって、即刻削除の対象なのでは無いでしょうか?また宣伝であると言うのが、この記事を書いているのが、この教団の事務局長だと言うのも、かなり宣伝にあたると思います。書いている記事が結局は、どこを見てもスリランカ仏教を持ち上げるような話ばかりで、こういうのも宣伝的だし、まぁ仕事熱心なのかもしれませんが、ちょっと編集とは違うのでは無いのか?と思う所です。私のやりかたが不届きで非難されるのは構わないのですが、上記のような話が、単なる因縁を付けているのか、それとも事実なのかどうか、わかった方もいらっしゃったと思うのですが、そちらの対応に関しては、私以外にも誰かやっても悪くないと思うし、私が放棄しないから話が進まないのであれば即刻放棄します。充分に注意を喚起する役割に関しては果たしたと思っています。--Nozawa onsen potta会話2012年3月27日 (火) 12:27 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント 編集

・一読して、悪意に満ちた誹謗中傷でしかないと思います。どのように答えたらよいのか皆目わかりませんね。--naagita 2012年2月17日 (金) 11:45 (UTC)[返信]

・依頼者は当該の二つの記事において典拠を明示しない誹謗中傷的な記述を繰り返してきました。ユーザーページを読む限り記事編集について何度も違反警告を受けているようです。今回も第三者のIPアドレスからの投稿に連動するように被依頼者の「素姓暴き」的な憶測を行っており、常軌を逸している印象を受けます。--naagita 2012年2月19日 (日) 03:43 (UTC)[返信]

・依頼者のクレームに沿ってコメントします。

  1. 依頼者は、「 アルボムッレ・スマナサーラにおいて、中心的な役割を果たしているとありますが、事実によって示すのが編集ルールです。ノートに記載してあります。(大言壮語をしない)--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)」と主張しています。被依頼者は大言壮語に当たらないと考えますが、第三者に判断していただければと存じます。[返信]
  2. 依頼者は、「アルボムッレ・スマナサーラにおいて、開基と開山を誤って使っていて指摘しても直しません。ノートに記載しています。--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)」と主張します。稀にみる有益な指摘なので、修正いたします。[返信]
  3. 依頼者は、「 アルボムッレ・スマナサーラにおいて、1750年に始まったスリランカのシャム派の僧侶を仏陀の時代の初期仏教の僧侶として伝統的なハク付けをしようと事実をねじ曲げています。ノートに記載しています。(大言壮語をしない)--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)」と主張しますが、これは悪意に満ちた誹謗中傷です。初期仏教の用法について出典を示しているにも関わらず執拗な中傷行為を続ける依頼者が態度を改めるべきです。[返信]
  4. 依頼者は、「 アルボムッレ・スマナサーラにおいて、同様にアショカ王の時代の部派仏教であると主張しています。そもそもシャム派は部派仏教ではありませんが、スリランカの最古とされる分別説部でさえ部派仏教に含めるかどうかは意見の別れる所ですが、江戸時代の仏教を部派仏教だと事実を酷くねじ曲げています。ノートに記載しています。(大言壮語をしない)--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)」これも上と同じく悪意に満ちた誹謗中傷です。依頼者が態度を改めるべきです。[返信]
  5. 依頼者は、「 シャム派において、スリランカ内戦は、内戦の中核である仏教徒のシンハラ人とヒンズー教徒であるタミル人との民族争いで、シンハラ人側の中心的な存在であった記載を消しています。--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)」と主張します。消したことは事実ですが、特定宗派に対する事実に反する誹謗中傷は不当であるから消したまでです。スリランカ内戦は宗教戦争ではないし、シャム派が宗派として内戦に関わった事実はありません。依頼者が態度を改めるべきです。[返信]
  6. 依頼者は、「シャム派において、この派は、世界で唯一カースト制度を現在でも採用し続けている派閥である事を記載しないか、あいまいに表現しようとしています。--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)」は事実に反しています。最新版では、学術論文へのリンクを張って事実を適切に記載しています。依頼者は事実誤認によるコメント依頼を撤回するべきです。[返信]
  7. 依頼者は、「シャム派において、植民地で滅んだのは、サンガだけでは無く仏教徒諸共に滅んだ事を記載しようとしません。--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)」と主張します。これは全く事実に反します。パーリ仏教研究の世界的な権威であるリチャード・ゴンブリッジは著書『インド・スリランカ上座仏教史 テーラワーダの社会』(森祖道/山川一成 訳 春秋社,2,005)のなかで、「セイロンの仏教文化は、この島の中央山岳地帯のシンハラ人の国家、キャンディー王国では全面的な中断はなく(いくつかの深刻な問題や衰退の時期がなかったわけではないが)存続することができた。」(39p)と述べています。これはスリランカの史学の常識であり、そのような常識を踏まえずに事実に反した記述を行い特定宗派を攻撃する依頼者が態度を改めるべきです。[返信]
  8. 依頼者は、「シャム派において、なんとかタイなどとの歴史的な連携があった事を理由に伝統を装うように見かけています。--Nozawa onsen potta 2012年2月17日 (金) 12:07 (UTC)」と主張します。被依頼者は、歴史的な事実として国家(諸王朝)の連携によって仏教サンガの伝統が護られたことを記載しただけであり、偏見に満ちた価値判断によって記事の品位を貶めている依頼者が態度を改めるべきです。--naagita 2012年2月20日 (月) 06:19 (UTC)[返信]

・上述『インド・スリランカ上座仏教史 テーラワーダの社会』は百科事典に相応しい水準の著作だと思いますので引用します。「シンハラ人は一貫して仏教徒であったが、サンガとして制度化された仏教の命運は外圧と内部衰退のもとで揺れ動き、時には、前者が後者に拍車をかけた。多くの文化的伝統が、苦難の一一世紀と一二世紀初頭の間に失われた。この衰退をくい止めた決定的な出来事は、一一六四~一一六五におけるサンガの「浄化」並びに、パラッカマ・バーフ一世及びマハー・カッサパ長老によって開催された会議であった。一六世紀にはサンガは非常に衰退して、固有の戒統は失われ、その後一七五三年にタイからの僧団が到来するまではセイロンの有効な戒統は復活しなかった。仏教史上の分水嶺は一八一五年ではなくて、この年(一七五三年)なのである。今日のスリランカで最大の教団であるシャム派(Siyam Nikāya)の戒統は、その名が示す通り、このタイ人のキャンディー来訪の時まで遡る。しかし、タイの戒統はビルマ経由でポロンナルワに由来するものであるから、現代のスリランカサンガは単に古代の文化的後継であるばかりでなく、弟子による戒統の継承を保持してきたという点は付言しておかねばならない。」(234p)というわけでシャム派記事に関する依頼者のクレームが単なる言いがかりでしかないことは明白です。依頼者は態度を改めるべきです。--naagita 2012年2月21日 (火) 06:41 (UTC)[返信]

・尚、『インド・スリランカ上座仏教史 テーラワーダの社会』訳注3(森祖道による訳注)には、「スリランカ・ビルマ(ミャンマー)・タイ・ラオス・カンボジアなど,今日の上座仏教諸国における,仏教の伝播・存続・衰亡・復興の歴史は,とりもなおさずこれらの諸国間の仏教的相互扶助の歴史にほかならない.」とあります。これが上座仏教の歴史に関する標準的な記述です。というわけでシャム派記事に関する依頼者のクレームが単なる言いがかりでしかないことは明白です。依頼者は態度を改めるべきです。--naagita 2012年2月21日 (火) 06:52 (UTC)[返信]

第三者のコメント 編集

シャム派では2011年5月に編集合戦がありましたが、それについては過去のことでしょうから触れません。2012年1月から2月に、Ajitaさんがカースト制に関する記述などをしかるべき根拠なくして削ったのは、よくないことです。除去が必要なら議論を通じてなすべきです。しかしこのときNozawa onsen pottaさんはnoticeテンプレートを自己の主張を盛り込むために用い、Ajitaさんを根拠もなく「関連する教団の事務局員」などと決めつけました。このような方法は、いたずらに相手を怒らせ、Nozawa onsen pottaさんの信用を下げるだけで、よい結果を生みません。

2月7日にAjitaさんが出典をつけてカーストに関する記述を改めたのはよいことでした。このような方法を通じて記事を発展させていただきたく思います。Nozawa onsen pottaさんはこの記述を除去して編集合戦に入りましたが、これはNozawa onsen pottaさんの元々の編集意図に反しているのではないでしょうか。冷静さを欠いていたように思えます。

アルボムッレ・スマナサーラでは、IPユーザーや、今は活動していないSahasraaraさんとBakasumaさんによって、中傷的な記述が繰り返し盛り込まれています。Nozawa onsen pottaさんも昨年1月24日にはその種の加筆に加わりました。自ら除去したのが救いです。また、noticeなどのテンプレートを濫用する傾向もありました。Ajitaさんはそれらを取り払う有益な編集を続けており、全体的には支持できます。他の方々はWikipedia:存命人物の伝記を良く読んでほしいと思います。

どちらにも言えることですが、適切な出典をもって加筆するようにするのが大切です。肯定的な評価についても言えますが、否定的な評価を下そうとするときにも同じです。また、問題があると感じたとき、編集合戦に入りつつあると認識したときに、ノートページで議論することが、どちらの側にも必要です。己が正しいのが明らかだとしても、ノートページでそれを平明に説明する努力をすることで、相手の非が管理者を含めた他のユーザーにわかるようになるのです。その努力を怠り、単に差し戻したり、テンプレートを貼り付ければ自分の正しさを認めてもらえると考えているなら、間違いです。--Kinori 2012年2月18日 (土) 09:26 (UTC)[返信]

私は依頼を見て、記事とノートの履歴をたどり、2月18日にコメントしました。対立する両者にそれぞれ注文を付けましたが、Wikipedia:存命人物の伝記の観点からどちらかというとNozawa onsen pottaさんに対して厳しい意見を出しました。IP氏も、内容・比重は異なるものの、お二方それぞれに考え直してほしいことを告げる点では同じでした。しかるにNozawa onsen pottaさんはそれらコメントを無視し、保護解除された記事に「存命人物の伝記」に反して出典なく否定的な意見を書き込みました。Ajitaさんが除去したのは当然であります。他の部分もノートで話しあってから書くべきことでありましょう。本来コメント依頼は第三者の意見を聞く場であるのに、依頼者は寄せられた意見をまったく無視し、被依頼者もどこまで理解されているのか不明です。両人の対立を解消することができないのは残念ですが、この依頼の意味は失われたものと思います。--Kinori (会話) 2012年3月1日 (木) 12:37 (UTC)[返信]

  コメント被依頼者のユーザ名(Ajitaさん)や署名(naagitaさん)はそれぞれ、佐藤哲朗さんという方のツイッターのアカウント[7]はてなのアカウント[8]と同じであり御本人だと思いますが、この方は日本テーラワーダ仏教協会の事務局長さんであるとのことです[9]。そうであれば被依頼者さんはアルボムッレ・スマナサーラさんやシャム派を直接信仰する宗教法人の事務局長さんであり、その関係はWikipedia:自分自身の記事をつくらないで言うところの「その他もろもろのあなたが利害関係を有することがら」に該当すると思います。そのためこれらおよび日本テーラワーダ仏教協会の記事に関してはWikipedia:自分自身の記事をつくらないに従い「自分自身で編集するのではなく、記事のノートページで出典となりうる情報や、編集の提案をし、あなたとは利害関係にない人物が記事を編集するのを待」つか「提案を行って、合意を得てから編集する」ようにすべきだとおもいます。もちろんアルボムッレ・スマナサーラさんの記事に出典の無いネガティブな記載があれば、Wikipedia:存命人物の伝記に従いそれを早急に編集除去するのは、なんら問題無いと思います。--111.232.107.45 2012年2月18日 (土) 19:35 (UTC)[返信]

(依頼者さんに対して)111.232.107.45です。コメント依頼は「いままで議論に関わっていなかった利用者」の意見を募る場であり、被依頼者さんがコメントに対する見解を示すのはしかたないにしても、依頼者さんが状況に応じて私見を追記していくのはいかがなものかと思います。そういう事をされると、被依頼者さんに私が依頼者さんと連動していると誤解を与えますので迷惑です。そもそも依頼者さんはこちらにあるとおり既にWikipedia:自分自身の記事をつくらないに関して案内され、またポイントを絞ったコメント依頼を出すこと薦められ上で、御自身の判断でわざわざその点をポイントから外してコメント依頼を出してるわけであり、いまさらその点に関する私見を追記していくのはアンフェアであると思います。--111.232.107.45 2012年2月19日 (日) 14:01 (UTC)[返信]

  提案利用者‐会話:Law soma#Ajitaさんの記事について」でのやり取りを見る限り、依頼者は「Wikipedia:検証可能性」他、記事を編集するため理解しておく必要のある各種方針について理解していないか、あるいは自分に都合のいい誤った解釈をしているものと、私は判断しました。自分の主張に反する編集を行った利用者に対し、「あなたも教団の関係者なのですか」と尋ねたり[10](これは多分に非礼な行為ですね)、方針文書をよく読むよう案内されても、いつまでも納得しない[11]依頼者の姿勢は、Wikipedia において問題視されるものです。本コメント依頼は既に意味を失っているとの Kinori さんの 2012年3月1日 (木) 12:37 (UTC) のコメントに私は同意するとともに、本コメント依頼の終了を提案します。--森藍亭会話2012年3月15日 (木) 04:27 (UTC)[返信]

  賛成 Kinori様と森藍亭様に同意します。当コメント依頼がまともに進行するとは思えません。Law soma様や森藍亭様の会話ページでの発言を見るに、残念ながら依頼者様には「Wikipediaのルールを最低限勉強して下さい」という他はありません(1カ月程前に依頼者様の会話ページにて私が申し上げた事が全く理解されていないようで、大変残念に思います)。一方、被依頼者様がWikipedia:自分自身の記事をつくらないに該当するのであれば、別の方が依頼者となりコメント依頼を提出すべきでしょう(私はシャム派と言われても、それが料理なのか政治の派閥なのかもわかりませんので、依頼提出は無理ですが)。--JapaneseA会話2012年3月15日 (木) 13:15 (UTC)[返信]

終了提案から7日が経過しました。この間、反対意見は皆無でありましたので、本コメント依頼は一旦終了と致しましょう。--森藍亭会話2012年3月22日 (木) 12:42 (UTC)[返信]
111.232.107.45です。実は終了には反対なのですが意見がまとめきれておらず、少しご猶予いただきたい。--111.232.107.45 2012年3月22日 (木) 13:07 (UTC)[返信]

まとめ 編集