利用者:Alex Kさんのこれまでの行為について、コメントを依頼します。一回目のコメント依頼はWikipedia:コメント依頼/AlexKを参照下さい。--Kinno Angel 2010年10月9日 (土) 04:59 (UTC)[返信]

報告 類似した行動類型を持つ方のコメント依頼としてWikipedia:コメント依頼/121.111.125.182を提出しました。AlexKさんと同一人物ではないかという疑義を提出しておりますため、こちらにも報告します。--Kinno Angel会話2013年1月4日 (金) 13:21 (UTC)[返信]
報告 Wikipedia:投稿ブロック依頼/Alex Kを提出しました。--Kinno Angel会話2013年2月4日 (月) 11:24 (UTC)[返信]

これまでの経緯 編集

  • 直近の問題:Template:ウクライナ史文献濫用による宣伝・「演説」行為
  • 記事ルーシ語ルーシにみられる、ウクライナへの偏向・両論併記(中立的観点)の欠如
    • これはあまり東欧に明るくない方には分かり難い問題かもしれませんが…。ルーシと言う言葉は実に多義的です。東スラヴ全域を指す事もあれば、キエフ・ルーシおよびこれに類するもの(ウクライナを含む)のみを「ルーシ」と呼ぶ事もあります。特にウクライナ・ナショナリストが後者の用法を好みます。しかしながらAlexKさんは「一部地域(ロシアなど)・一部時代(近代ロシア・ソ連)でしかルーシの広義の用法が無かった」事を論拠にし(これさえも私は怪しいと思っていますが)、「ルーシ=ウクライナ」という史観を主体に各種記事を構成、さらには議論中のノート:ルーシ語では自己の主張に都合の良いように誤った翻訳をしました。極めて悪質と言わざるを得ません。AlexKさんの作成する記事は全てこのような、ウクライナ民族主義・反露・反ソに凝り固まった一方的記述が目立つものと言っても過言ではありません。ノート:ルーシ語ではあからさまに「ルーシ=ロシア」の観念については記述する必要が無いという姿勢を明確にしました。彼には両論併記の姿勢が欠片もありません。
  • 改名の乱暴な差し戻し
    • AlexKさんは、合意の確認が何度もされたページの改名を勝手に差し戻しました。経緯の詳細はここを御覧下さい。
  • 私からの疑問の提示については「ハラスメント」であるとして対話拒否
    • これについては上と重なる所が多いので、詳細は省きます。第三者からのご希望があれば詳述します。
    • なお、私から「(この文章の問題は貴方の)日本語能力の問題ですか?」との問い掛け(これは私としては相手の悪意ではなく日本語上の問題と受け取っているという意味において、むしろ好意的問い掛けのつもりだったのですが)を「中傷」としてAlexKさんはお怒りのようですが、過去AlexKさんは私に、全く日本語文章に関係の無い場面で「日本語は大丈夫?」と仰っておいでです。

現時点では以上、4点です。場合によってはブロックも必要ではないかと考えておりますが、皆様のお考えをお聞かせ頂きたく思います。--Kinno Angel 2010年10月9日 (土) 04:59 (UTC)[返信]

最近新たに起きていることを追加します。

追加

追加(対話・議論無視)

  • これまでの議論の経緯(記事に関係する文献だけ載せるべきだといった意見が出されたもの)を完全に無視して、11月30日に大量の地理記事・歴史記事に、問題となっている2冊を「参考文献」として付与しています(AlexK氏の投稿履歴)。--Kinno Angel 2010年12月1日 (水) 07:06 (UTC)[返信]
    • AlexK氏はこれにつき、事実無根の主張と言いますが、対話拒否の経緯についてはWushiさんの「同じことを言うのを最後にします。」を引いて「対話拒否したのはWushiさんの方だ」とAlexK氏は言いたいようですが、これは対話拒否ではありません(同じ事以外であれば返答するということです)。でAlexKさんの「話す気にはなりません。Wushiさんとの会話をこれで最後にしましょう。」というのは(内容に関わらず返答しないということでして)対話拒否です。ごく単純で明白な違いです。11月19日のAlexK氏の返答「これで最後にしましょう」というのに対してお二方から21日に当コメント依頼欄に書き込みがされたのであって、こういう経緯を読んでいないのか無視しているのか、隠すかのような弁明はいかがなものかと思います。後は、第三者へのコメント依頼ですので私は出来る限り控えましょう。--Kinno Angel 2010年12月3日 (金) 04:16 (UTC)[返信]

Alex Kさんのコメント 編集

  • 直近の問題:Template:ウクライナ史文献の濫用による宣伝・「演説」行為 について
  • 参考文献は出典文献でありません。ウクライナ関係の記事においてウクライナ歴史と地理についての文献を参考文献として載せるのことは当たり前なことだと思います。現時点において、ウクライナ史に関する総合的な著書は、Template:ウクライナ史文献に記載されている二冊のみです。中井氏の著作は研究書、黒河氏の著作は一般書であります。この二冊は国内外でよく知られております。その他に優秀の論文や著書もあるが、総合的な著書ではないため、敢えてTemplateに記載していませんでした。読んで欲しいというより、参考文献や出典のない人文科学系の百科辞典記事は百科辞典記事ではないという方針をとっています。私が知っている限り、総合的な著書として参考にできるのはこの二冊だけです。
  • 記事ルーシ語・ルーシにみられる、ウクライナへの偏向・両論併記(中立的観点)の欠如について
  • 具体的な例はありません。ルーシ語のノートを見れば、Kinno Angelさんは論議しているテーマを知っていないことがわかります。専門用語もわかっていません。どうしてそのような「知識」をもって「ウクライナへの偏向」について語れるのか分かりません。--Alex K 2010年10月9日 (土) 05:05 (UTC)[返信]
  • 改名の乱暴な差し戻しについて
  • 対話拒否について

以上をご覧になればわかるよう、Kinno Angelさんが私をハラスメトしているだけです。私がつくったTemplateや記事を荒らしているしか思いません。--Alex K 2010年10月9日 (土) 05:14 (UTC)[返信]

  • Kinno Angelさんによるハラスメントは半年前もありました。そのせいで私は日本語版をしばらく休んでいました。帰ったところ、Kinno Angelさんは再び私にくっついたのです。Kinno Angelさんが「対話拒否」を訴えていますが、参考文献を削除するまえに問い合わせもしなかった。数十の記事で私がした仕事を「きちんと」削除していったのです。嫌がらせの続きとしか思えません。・・・--Alex K 2010年10月9日 (土) 05:34 (UTC)コメント欄から移動しました。--maryaa 2010年10月9日 (土) 07:43 (UTC)[返信]

最近新たに起きていることについて

  • Template‐ノート:ウクライナ史文献で、私は「荒らし」についてPrusakinさんのコメントに答えしたところ、Kinno Angelさんがテンプレートの合理性について議論するのではなく、私の答えにひっかって再びに私を意図に中傷しつづけています。そして、私がテンプレートの合理性について議論していないと、非難しています。なぜ、自らテンプレートの合理性について議論せず、他人にテンプレートの合理性について議論しろと言えるのか疑問です。なお、以前にKinno Angelさんは、とんでもないIPの編集を支持していたことにより、ウクライナ項目はとんでもない情報を含むようになったこと、反省しておらず、今も私によるとんでもない情報の削除を「荒らしと殆ど変わらない」と呼びつづけています。このようなKinno Angelさんの姿勢は問題であり、今回のTemplate‐ノート:ウクライナ史文献をめぐる問題の中でも出てきます。Kinno Angelさんはこのような議論せず、対話を始める前に「宣伝」という名目で編集合戦を行い、その後に私を中傷したり、責めたりしながら、「議論」を展開していきました。過去のウクライナ項目の件も、今回のTemplate:ウクライナ史文献をめぐる件でも、Kinno Angelさんの活動は非協力的で、有害なものであると思います。--Alex K 2010年11月9日 (火) 00:53 (UTC)[返信]

追加について

  • Templateの内容(「参考文献」の理解について)はともかく、Template名前空間にそのTemplateの存在が相応しくないという合意が、Templateの会話頁でも、この頁でも見られました。ですから、改めて合意を伺う必要性はないと判断しました。参考文献については、私の会話頁でも、この頁でも議論することが可能なのですから、Template名前空間に相応しくないTemplateを削除するようと、BOTに依頼することは問題がなかったと思います。--Alex K 2010年11月11日 (木) 23:19 (UTC)[返信]

追加(対話・議論無視)

  • 事実無根の主張です。Template‐ノート:ウクライナ史文献では対話・議論無視しているのは、私が間違っていると主張している側です。 2011年11月19日から、その側からの何らのコメントありません。1大量の地理記事・歴史記事に付与していますが、それは「問題」だと全く意識していません。参考にしている参考文献を付与しているだけです。--Alex K 2010年12月2日 (木) 03:29 (UTC)--Alex K 2010年12月2日 (木) 03:29 (UTC)[返信]

コメント 編集

10月9日~11月20日 編集

他の皆様へのコメント依頼なので、私からは暫くしてから書き込みます。一点だけ。AlexKさんは「参考文献削除」を「ハラスメント」と断じて居ますが、私からはきちんと理由・復帰条件を要約欄に提示して削除しています。--Kinno Angel 2010年10月9日 (土) 05:23 (UTC)[返信]

  •   コメント被依頼者の作成したテンプレートについて思うことは以下の通りです。テンプレートの使用目的から逸脱していると判断せざるを得ず、弁護の余地はないです。正直なところ、このテンプレートは削除依頼に出してもいいものと考えます。
  1. 参考文献にも書いてある通り、参考文献は学術論文ならば使用した論文の列挙、専門書ならばさらに詳しいことがあったら読んでねというFurther Readingとして用いるものです。テンプレートにあるウクライナの歴史2冊について、ウクライナの歴史事項に書かれてあることならばまだしも、地理(ウクライナの村村)に貼り付けても、歴史2冊には記述されていないだろうから、貼るのは筋違いと思います。
  2. 自分が立てた記事にテンプレートを貼る行為は、どう考えても個人使用の目的外利用にしか見えない。そもそも記事によっては使う参考文献が違うのですから、逐一、テンプレートを貼る必要性を感じないずぼらとしか言いようがない。たとえば、私の場合、中国史に関してちょこちょこ手を出していますが、中国史の記事でも三国時代の記事に対し、中華民国の時代や中華人民共和国の時代について書かれた書籍・論文・統計を参考文献を使うことはありませんし、その逆もまた然りです。
  3. 最後に、そもそもウクライナの歴史2冊のみで、参考文献を完結すること自体が問題。ウクライナがモンゴル帝国キプチャク・ハン国)、ポーランドロシア帝国ソビエト連邦と長い間、強国の支配下にあった事実からして、日本語文献以外にも英語ロシア語ポーランド語などの文献があってしかるべき。というより肝心のウクライナ語がないのはなぜ?以上のことからこのテンプレートは不用のものと判断せざるを得ません。--Wushi 2010年10月10日 (日) 00:52 (UTC)[返信]
  •   コメント ほぼ、Wushiさんと同意見です。AlexKさんは会話ページにて、「参考文献は出典文献でありません」 と述べており、何か誤解しているようです。
また、たった2冊の為に、わざわざテンプレートを作る必要がどこにありますでしょうか。仮に、他のユーザーが、これは良い本だからと、1冊を加えると、AlexKさんが読んだこともない本が、全記事に参考文献として追加されてしまいます。つまり、事実上、Alex Kさん専用のテンプレートと化しているのです。これでは、削除依頼が出されたら、賛成せざるを得ません。その前に、AlexKさん自ら、廃止・削除するようお願いします。--Ashtray 2010年10月10日 (日) 01:55 (UTC)[返信]
(追記)PRUSAKiNさんより、名指しこそされていませんが「当事者以外の方」と批難されてしまったので、二三。「参考文献」には、"参考にした出典・ソース" と "参考にすべき推薦図書" との二通りの考えがあります。今回のAlexKさんの言動(テンプレートの貼り付け、会話ページのコメント)は、後者の考えに基づくものと判断しました(依頼者Kinno Angelさんによる「宣伝」「演説」との言を、をそのまま鵜呑みにしたつもりはありません)。しかし、一般的には、少なくともWikipedia上においては、前者と解釈するのが妥当でしょう。
テンプレートの扱いは、同ノートの議論に譲りたいと思います。しかし、現在の内容(2冊だけ!)・現在の使用方法のままならば、削除依頼の提出も検討せざるを得ません。--Ashtray 2010年10月24日 (日) 00:34 (UTC)[返信]
    • 一般的には、少なくともWikipedia上においては、前者と解釈するのが妥当でしょう。まぁ、私もすべての方針に目を通している訳ではありませんが
    • Ashtrayさん、なぜ「参考にすべき推薦図書」という捕らえ方は、Wikipedia上において妥当ではないでしょうか?--Alex K 2010年11月12日 (金) 00:38 (UTC)[返信]
  •   コメント 大筋では既に出ている意見と同じです。そもそもテンプレートに関しては、それが個人的な使用であるかどうかを抜きにしても、Help:テンプレート#テンプレートの目的と基本的ルールに挙げられている項目のいずれにも当てはまっておらず、むしろ「標準名前空間の記事の一部をテンプレート名前空間においてはいけません。これらは直接記事内に記入してください。」に当てはまっており、テンプレートを使用するのは不適切だと思います。テンプレートの不適切な理由なので削除されても文句は言えないかと。改名の乱暴な差し戻しに関しても、自分の正当性を言うのではなく、依頼者に対する批判ばかりでなんら説明できていません。また、その批判に関しても、依頼者は理由を挙げて編集しているにもかかわらず、自分の意見に反しているからということで、ハラスメントというレッテルを貼っているだけのように見えます。--五斗米道評定|戦歴|矢文 2010年10月13日 (水) 10:26 (UTC)[返信]
  •   テンプレートについて - 他の方が仰っているようにTemplate名前空間において運用するような代物ではないと思います。とりあえず、その貼付行為(貼り付けた記事に相応しい/相応しくない)の問題を抜きにして、単純にAlex Kさんが文献として記事に書き込む際に、テンプレ化作業効率化を図りたいと考える場合について提言しますが、この場合、Template名前空間(Template:ウクライナ史文献)に用意するのではなく、利用者名前空間のサブページ(利用者:Alex K/ウクライナ史文献)に用意して、かつSubst展開をすればいいのじゃないかと思います。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年10月13日 (水) 14:24 (UTC)[返信]
  •   コメント (当方利用者ページで告知しておりますようにごく短期間のウィキブレイクに入っている事もありますが)さらに時間をかけて多くの方の御意見を伺いたく思っておりますので、当方から直ぐには反応しておりませんことをお断り申し上げます。皆様、コメントをありがとうございます。引続き、さらなるコメントをお待ちしております。--Kinno Angel 2010年10月13日 (水) 15:40 (UTC)[返信]
  コメントちょっと調べ物をしていましたのでコメントが遅れました。以下、分けて書きます。
  • 1.Template:ウクライナ史文献は過去に同じようなものが有るかどうか探しましたところ、「Template:私のベストゲーム」というものがあったようです。これはWikipedia:削除依頼/Template:私のベストゲームにおいて削除となっており、現段階でjawpでは歓迎されない方式と考えて善いかと思います。もしAlex Kさんの方でウクラナイ関連の優秀な資料であるから紹介したいということでしたらPJ:EEの参考資料リストに記載する、もしくはButuCCさんの言われる方法で紹介する、その他プロジェクト:ウクライナを作成して紹介するという手もあると思います。
  • 2.ウクライナPOVについてですが、過去に「歴史無き民族」と呼ばれたウクライナの人々がようやくウクライナを構築したのがつい最近ということもあり、ウクライナの歴史は現在、見直しが行われいるところです。このことにはこちらなどが参考になると思います。これは「北海道大学スラブ研究センター」で発行されている「スラブ研究」の論文ですが、p.282あたりがこの問題の一部を如実に表していると思います。ここを見る限りではウクライナの史観はまだまだ確定しておらず、今後も揺れ動くことがあると思います。そういう意味ではAlex Kさんの言われる主張もウクライナでは珍しくないことだと思われます。また、ルテニア語へ変更するのは慌てない方がいいかもしれません。私の方で「ルテニア」について調べたところルーマニアからポーランド、西ウクライナに住む人々を「ルテニア人」と表現している日本語文献が少なくとも7冊ありました。この人々が使用している言語が「ルテニア語」と呼称されてることがあるので、問題がややこしくなる可能性があります。逆に、日本語文献に従えば現在、記事名がルーシ人となっている項目はルテニア人がふさわしい可能性もありえます。まずは日本語資料を収集した上でAlex Kさんの主張、提示する資料と対比した上でより良い表現を目指せればと思います。
  • 3.差し戻しについては特にコメントはありません。2に書いたように難しい問題を孕んでいると思います。
  • 4.対話については第三者を間に入れることで改善するしかないように感じます。
以上、簡単ながらコメントさせていただきました。--Hideokun 2010年10月14日 (木) 11:01 (UTC)[返信]
  コメント コメントありがとうございます。今のところ一点だけ。「ウクライナの歴史は現在、見直しが行われいるところです。」についてですが、それは私も同感です。ただし日中・日韓の歴史認識問題においても同様であるように、現時点で見直しが起きているからといって、新しい論争になっているものの片方だけを抽出するようなAlexK氏の書き方は、やはり大変偏向していると言えます。私が求めているのは両論併記だけなのですが、それすらAlexK氏は認めません。認めるように態度を変えられるのであれば、一方の立場の説明役として歓迎されるでしょう。--Kinno Angel 2010年10月14日 (木) 11:07 (UTC)[返信]
  コメントその点は見落としていました、すいません。そこは難しいですね…両論併記はお願いしたいところです。ソ連時代のウクライナ史観、現在のウクライナ史観、外から見たウクライナ史観を全て併記すれば秀逸な記事になりそうなのですが…そこの当たりは私のできるかぎの範囲でギリシャ中心のバルカン史で活動しているので限界がありそうです…協力させていただきたいと思います。--Hideokun 2010年10月14日 (木) 11:22 (UTC)[返信]
  コメント 取り敢えず、テンプレートについては削除という事で多くの方の見解が一致しているように見受けられます。また、地理記事全てに歴史文献を貼り付ける事の妥当性への疑問も一定程度共有されているようです。AlexKさんは最近編集をお休みのようですが、当コメント依頼の経緯から、テンプレートについては何らかの措置を検討させて頂きたく思います。勿論AlexKさん自らが先に対処されるのであれば、この限りではありません。--Kinno Angel 2010年10月20日 (水) 15:54 (UTC)[返信]

  反対 どうも。削除されそうなので取り急ぎテンプレートの拙速な削除に対し  反対 を表明しておきますが、この話、テンプレートのノートでやりません?あっちにごちゃごちゃ書いてしまったので、読んでみて下さい。

さて本題です。ここの議論を見て非常に大きな憤りを覚えたのですが、コメント依頼というのは、依頼の原因となっている諸論争のノートを読まずにコメントしてもよいのでしょうか?私が憤りを覚えたのは論争の当事者( Kinno Angel さんと Alex K さん)に対してではなく、ここにコメントしている皆さんにです。論争の一方が書いた主観的な「事実関係のまとめ」=「主張」を無批判に信じ、それを根拠に他方をリンチすることに何ら躊躇をお持ちではないのでしょうか?

極論すれば、各ノートを見れば明らかなように、理屈に合わないおかしな主張を展開しているのは今回は提案者の方であるにも拘らず、みなさんは各ノートをまったく見ていないのか、あるいは見てもおかしな点に気付かないほど知識がないのか、提案者の「主張」を鵜呑みにして寄ってたかって被依頼者を袋叩きにしています。このような不正義が許されてよいわけがありません。この議論の進め方全般について、極めて不公正かつ非論理的なものであるとして厳重に抗議します。

依頼者側にいくつも指摘できる「あからさまな誤解」についてはそれぞれのノートに書くのでそっちを見ていただきますが、こちらでもまず、最低限でも依頼者による「事実関係のまとめ」が客観的事実に基づいているのかという妥当性の検証から始めなければなりません。みなさんに情報分析能力がないようなので(能力があるのにやっていないのだとすれば、そういうのを『すぼら』と言います)、まとめ下手の私がしゃしゃり出ることになりましたが、仕方ないでしょう。本来であればここには被依頼者に対するコメントのみを書くべきでしょうが、より事態をわかりやすく理解するためには論争を引き起こしている当事者双方の状況を構成に分析することが、結果として被依頼者に対する適切なコメントをもたらす唯一の手段であると考え、勝手ながらコメント依頼に対する本来的コメント以外に長文になりますが状況分析を行います。

なお、 Wikipedia:礼儀を忘れない#調停プロセスにおける無礼行為のマネージメントを参考にできるだけ客観的批判を心掛けますが、忌憚なく述べる結果としてやや配慮の欠けるようなストレートな表現になる場合もあるかと思います。悪意からではありませんので、どうぞ悪しからずご了承下さい。

さて、この問題、今回の問題だけでなくこれまでの「積年の」お二方の個人的関係に問題の根があるように思いますが、そこまで言及したくないのでとりあえず今回の話題に限って言及します。前にこうだったからとか、以前こう言ったとかは基本的に考慮していませんし、指摘されても対応しません(今回のコメント依頼にはそこまで扱う範疇とはされていないので)。

Kinno Angel さん 2010年10月9日 (土) 04-59 (UTC) のコメントについて
ウィキペディアの定義による<宣伝・「演説」行為>は、客観的事実として確認できておりません。詳細は Template‐ノート:ウクライナ史文献#宣伝活動の疑義にあります。
そのきらいはありますが、妥当でない指摘があります。詳細はノート:ルーシ語をご覧下さい。
  • 東スラヴ全域を指す事もあれば、キエフ・ルーシおよびこれに類するもの(ウクライナを含む)のみを「ルーシ」と呼ぶ事もあります。特にウクライナ・ナショナリストが後者の用法を好みます。
特にウクライナ・ナショナリストが後者の用法を好みます という事実関係の出典がありません。少なくとも、私はそのような事実を認識しておりません。日本語文献でも「キエフ・ルーシ」を「ルーシ」と呼んでおります。また、被依頼者はしきりに「ウクライナとベラルーシ」と書いているのに、依頼者は毎回あたかも被依頼者が「ウクライナ」とだけ主張しているかのごとき指摘をしております。なぜでしょうか?
  • さらには議論中のノート:ルーシ語では自己の主張に都合の良いように誤った翻訳をしました。
しておりません。依頼者の誤解です。関連する別ノートで 「ウソを書いた」のは事実の指摘 というコメントもありますが、「ウソ」という断定を第三者の確認なしに早計に行ったことはお詫びし撤回すべきです。それについてはノート:ルーシ語#Русь 翻訳問題をご覧下さい。
  • ノート:ルーシ語ではあからさまに「ルーシ=ロシア」の観念については記述する必要が無いという姿勢を明確にしました。彼には両論併記の姿勢が欠片もありません。
ルーシ語には、初版からロシア史での呼称(西ロシア語)についても言及されています。それでもまだ不足がある可能姓はありますが、 両論併記の姿勢が欠片もありません は言い過ぎでしょう。そもそも、「姿勢が足りない」と書けば済むところをなぜわざわざ「欠片もありません」などという過激な日本語表現を用いなければならないのか、理解に苦しみます(けんかしたがっているようにしか見えません)。被依頼者側にも表現に問題が見られますが、依頼者側もまったく同程度に不必要な攻撃的表現を用いているということを指摘しなければフェアとは言えません。
結論として言えば、被依頼者に「 ウクライナへの偏向・両論併記(中立的観点)の欠如 」があるかどうかとそれが「記事ルーシ語ルーシにみられる 」かどうかという点に疑義があるのであり、この二点を連結して出した問題提起の仕方には不備があります。
被依頼者の従来の全般的傾向として恐らく前者の指摘はそのきらいがないとは言えませんが、後者との関連性については論拠不足です。つまり、今回の話=「記事ルーシ語ルーシでの問題」において、被依頼者に「偏向」があるという見方には私は否定的です。今回についてそのようにみなすのは合理的根拠がなく、そういう「推定有罪」の目で見ることは被依頼者がウクライナ人(『ウクライナ民族主義の極右』だと主張している人もいましたが)であるという観念から生じた「偏見」である可能性さえあると思います。また、特に今回は本人がしきりに「ウクライナとベラルーシ」と述べているにも拘らず、依頼者はあたかも被依頼者が「ウクライナ」とだけ主張しているかのように議論の抽出を行っております。さらに問題点については被依頼者は実際には本文に「ウクライナとベラルーシ」はおろか「ロシア」についてもきちんと書いているにも拘らず、依頼者が「 ウクライナへの偏向・両論併記(中立的観点)の欠如 」などと指摘するのはなぜなのか、従来からの個人的関係に起因する「偏見」以外にどう解釈したらよいのかわかりません。
この一年間ほどのあいだにおこなわれたほかの議論箇所や、被依頼者の編集傾向一般についての指摘ではたしかになんらかの偏りが見られるかもしれませんが(それがどのような偏りであるかについては、当方その分野の専門知識がなくまた検証もしておりませんのでコメントできません)、それについては今回のコメント依頼対象外ですのでコメントしません。
  • 改名の乱暴な差し戻し
依頼者・被依頼者間の個人的な攻防戦になっている感も否めませんが、それでもやはり被依頼者( Alex K さん)の非が大きいと思います。自身の行為を見直して下さい。たとえ議論の主張内容が正しかったとしても、ウィキペディア日本語版の諸規則に抵触するような行為は批判されて当然です。ほかのユーザーもいろいろコメント出してフォローしてくれているんだから(例えばこうしたらよかったんですよ、とか)、それに応えた対応をして然るべきです。この議題はかなり以前の問題になると思いますが(ここ数ヶ月のあいだでその問題を起こしましたか?いま改めて蒸し返す必要性は……)、現在ではもう自己反省して直していることを期待致します。
但し、そのような個人的攻防戦状態になってしまっている険悪なムードの中で、「日本語能力の問題ですか?」等の個人的話題に(たとえ好意からにせよ)言及するというのは依頼者側の「余計な一言」だったと思います。確かに だとしたら問題は少なくてすむのですが。 で和らげているのかもしれませんが、要約欄にまで「日本語能力の問題ですか?」などと書き込んでますよね?
この質問は本質的に意味を成しませんし、険悪なムードになっている相手方がこのようなコメントで喜ぶはずがないことは「日本語能力の問題」がない方ならわかるでしょう?傷付くか怒るか、傷付いて怒るかのどれかです。わかっててやるのは「挑発」です。第三者(私)から見ても、たんに「日本語能力の問題」があっても当然な「外国人」に対する侮蔑的な発言にしか見えませんでした。たとえ発話本人に悪気がなくても、他人を傷つけてしまうってことは人生よくありますよね。今回もその例ですよ。
相手が非日本語母語話者であることは知っているんですから、だったら聞くまでもなく「相手にはちょっと日本語能力の問題があるのかもしれない」のは知っているでしょう?わざわざ「日本語能力の問題ですか?」などという挑発的ともとられかねないコメントを記入しなければならない必要性が理解できません。「あからさま」に聞くまでもなくその前提で(母語話者に対するよりは)寛大に対応するというのが普通じゃないですか。文章がちょっとまずくて変な意味になってしまっているかもしれないことくらい、察してあげたらいいじゃないですか。
尤も、「寛大」の限度を超えて問題が生じているというのは理解できますけど。ただ、それはたんに議論が「個人的な攻防戦」になっているというのが問題であり、お二方にとっても、またウィキペディアにとっても益のないことです。傍目から見て、どのような利害関係があってお二方がなぜこのような関係になってしまっているのか、ちょっと理解できないです。
一方、被依頼者も言動に問題があります。ノート:ルーシ語に見られるような 前からいってますが、論議するテーマについて最低限の知識を蓄えてください。まったく話になりませんから などの「余計な一言」が多いので、改めた方がよいでしょう。わかっていてわざわざ「日本語能力の問題ですか?」と言って挑発するのと同じくらい、このコメントからは相手を馬鹿にした態度を感じてしまいます。たしかに、「そのくらい勉強して知識を持っていてくれないと話にならない」ということはあるでしょう(例えば、ロシア語のアルファベットも読めない、初級文法も知らないユーザーと、ロシア語の高度な翻訳問題について議論するのは困難かつ不毛、というかはっきり言って糞面倒臭いです)。しかし、だからといってそう言ってしまっては、相手にけんかを売っているに等しいでしょう。けんかをするつもりならばまだしも、 Alex K さんはそのような不毛な言い争いに精神的にお疲れのように見えますから、だったら自分からけんかを生むような言動は慎んだ方が自分のためです。思ったことは何でも言ってよいというわけではないし、正しいことでも何でも言ってよいというわけではないというのは、人間関係においてはウクライナでも日本でも同じですからわかりますよね?けんかを避けたいのであれば、そのような挑発的な発言は避けた方がよいでしょう。
依頼者から指摘されているように、被依頼者はしばしばその種の相手を馬鹿にしたコメントを出すことがあります( 勉強してください 等、子供に対するかのようなコメント)。一方、依頼者も(本人は当然の事実と思っているのか全然気にしていないようですが)相手のことを「ウクライナ・ナショナリスト」だのなんだのと結構な言いようをしていらっしゃいます(別の IP は『極右』だとか明らかにガイドライン違反のコメントを書いていたりしたので、それに比べればまだ綺麗な方ですが)。いずれにせよ、日本語版ウィキペディアでは相手を「極右(極左)」だの「ナショナリスト」だのと呼ぶことは、「テロリスト」と呼ぶのと同列に禁止されております。その手の言い合いはいい加減やめて下さい。子供じみた言い合いはお互いに自重しなければ終わりませんよ。
ノート:ルーシ語の関連でひとつ重大な疑問があるのですが、 Kinno Angel さんは正教会関係の記事においてつねづね「自称優先」を説いておられ、ノート:救世主顕栄教会 (ヴェルィーキ・ソローチンツィ)ノート:救世主顕栄教会ノート:至聖三者大門教会などに見られるように、「日本語として一般的かどうか」や「出典の有無」、あるいは「出典数」よりも「自称により近いか」どうかを重視していらっしゃるようです。ロシア正教関係についてそのように見えるのですが、それが、なぜウクライナ関係になると「他称優先」と取れるような主張をなさるのでしょうか?当事者による名称より近い「ウクライナ語でも、ベラルーシ語でも、ロシア語でも、ポーランド語でも」ルーシと呼んでいるものを、 Kinno Angel さんはしばしばギリシャ語名「ロシア」と呼ぶように主張したり、ラテン語名「ルテニア」と呼ぶように主張したりなさっています(今回のノート:ルーシ語だけの問題ではなく、いつもそうです)。どうも、ロシア正教関係とウクライナ関係で二枚舌を使っているような印象を受けてしまうのですが、このダブルスタンダードの理由についてきちんと説明できますか?ノート:ルーシ語における Kinno Angel さんの主張は、ノート:救世主顕栄教会 (ヴェルィーキ・ソローチンツィ)において Kinno Angel さんが断固として反対した Alex K さんの主張と原理的にどこが違うのでしょうか?

Kinno Angel さんにひとつ重大な落ち度を指摘するとすれば、「事実関係の確認の甘さ」に対する自覚の不十分さです。以前の議論でも当初「これが事実上唯一の妥当な翻訳」であるかのごとく(文字通りそうは仰っておりませんが)とれる主張をしていたのが、今回の被依頼者との議論過程で「必ずしもそうではない」ということが明らかになったことがありましたが(結論は、それでも Kinno Angel さんの案の方がよかったと思いますが)、今回もノート:ルーシ語#あからさまな誤訳に見られるように、どちらかといえば「あからさま」に Kinno Angel さんの方に誤解があるにも拘らず、それに気付かないまま相手方を「明らかな誤訳を用いて事実捏造をしている」かのごとく厳しく非難しています。なおかつ、今回相手がきちんと説明しているのに対し、なんらリスポンスを示しておりません(少なくとも自分の誤解は単純に認めるべきです。誤解すること自体はそれほど恥ずかしいことではないんですから)。

もちろん、私は Kinno Angel さんの誤解に罪があると指摘したいのではありません。そうではなく、自分側にも「もしかしたら」間違いや誤解・偏見があるかもしれない(人間だから当然でしょう)という謙虚な前提に立てば、いきなり「あからさまな誤訳」だの「宣伝活動」だのという一方的で強烈な非難の言葉は出てこないのでは?ということです。 Kinno Angel さんの主張が 90 % 正しかったとしても、「もしかしたら自説にも落ち度があるのでは?」という躊躇なしに 100 % 相手方にミスがあるという前提で鋭く指摘するものですから、 Kinno Angel さんにたった 10 % のミスが見つかっただけでも「君の方が間違ってるじゃん」となんだか相当ひどいことをしているような印象を生んでしまうのです。つまり、なぜそういう訳になっているのですか?』と聞けば十分なところを、あからさまな誤訳でこれは何か隠蔽の意図があるに違いない』などと指摘なさるものですから、『誤訳というわけでもない』と明らかになった時点で、なんだか Kinno Angel さんの指摘がすごく中傷じみた攻撃であったかのごとき印象が生じてしまうんですよ。これは損なので、修正していった方がよいですよ。

Kinno Angel さんはいつも素晴らしい活動をしており、通常の議論においても理不尽な主張を繰り広げる種類のユーザーではないので、問題解決は可能だと思っています。いつも諸立場の相互関係の難しい宗教関係の記事に携わる中でつねに中立的観点に配慮した執筆活動を行っており、 Kinno Angel さんの執筆記事については安心感をもって拝読しております(ウィキペディアにはその点に不安を感じる記事が多い中で)。その責任感によって、他人に対しても非常に厳密な態度で臨もうとしていらっしゃるのだと思いますが、「自分に厳しく他人に優しく」という言葉もありますので、もう少し一歩引いた余裕のある構えを考えてみてもよろしいのではないでしょうか?

Alex K さんのコメント 2010年10月9日 (土) 05-05 (UTC) 〜 05-34 (UTC) 分について
  • 私が知っている限り、総合的な著書として参考にできるのはこの二冊だけです。
この主張については、私も同意します。「断片的な」論文はいくつもありますが、ウクライナについて総合的に述べたのはこの二冊だけです。これら二冊が特に優秀とか読んでほしい読むべきだといった価値判断による選出ではなく、たんにこれ以外に総合的な日本語書籍がありませんからこの二冊が書かれているだけです(従って、宣伝効果を狙う際に必要な『恣意的な選択行為』はここに存在しません)。ほかのユーザーから「他人が『この本は良い本だから』という理由で追加していった」云々という問題の指摘がされていますが、そもそもこのテンプレートは「この本は良い本だから」という基準では選定されておりませんので、その種の疑念は的外れです。これらと同種の本が今後出版されればテンプレートにも追加されるでしょうが、そうそう出されませんし、それ以外の本がここに記載される妥当性・可能性は極小でしょう。
なお、出典情報の不足については被依頼者は必要に応じてこれ以外の文献・論文も紹介しているページもあります。テンプレート外でです。
それ以外の論点については、当該ノートに書きました。
当方から理由(直接的関係の無い参考文献の宣伝活動)を示した上で行った削除編集に対して「荒らし」とだけ述べて差し戻しされたAlexK氏に抗議します。これは中傷であると同時に、問いかけに答えない無責任な姿勢でもあります。 とありますが、当該の Template‐ノート:ウクライナ史文献#宣伝活動の疑義に書きましたけど、この案件がどう WP:NOTSOAPBOX と関係しているのかまったく自明ではありませんし、それをあたかも非依頼者が実際に「あからさまな」宣伝行為を行ったかのごとく多数のページに「宣伝活動の虞。WP:NOTSOAPBOX。」などと書いて削除して回る行為は、その方がよほど「宣伝」じみています(いわゆるネガティヴキャンペーンの虞)。相手を問答無用に攻め立てる前に、その 当方から 示した 理由 というのがそもそも間違っているかもしれないという可能性をなぜ考えないのでしょうか(自分が理由を示したという『客観的事実』と、その理由が正当なものであるという『主観的主張』を混同しないで下さい)。その万全の自信はどこから生じているのでしょうか。もし「宣伝活動の虞」というのであれば消去できない編集要約欄に「明記」などし始める前にノートで議論をするべきでした。もし「宣伝活動」の事実がなかった場合、その「あらぬ疑い」を永久に要約欄履歴に刻み付けてしまったことをどう挽回するおつもりなのですか?
しかし、被依頼者( Alex K さん)も同様の行為を行っております。被依頼者は要約欄・ノートなど方々に「荒らし」だのなんだのと書き込んでおり、それも同様に(あるいはそれ以上に)非難される行為です。 Wikipedia:荒らしによれば、依頼者( Kinno Angel さん)はウィキペディアで言う「荒らし」に該当していないと思われます。少なくとも、彼が「荒らし」であるということは客観的に明白とはいえないないので、本当に「荒らし」かどうかの検証・合意形成なしに一方的に「荒らし」呼ばわりすることは、ウィキペディアでは禁じられた行為に該当します。現時点で依頼者を「荒らし」呼ばわりすることは「中傷」行為であると主張します。直ちにやめて下さい。
  • 対話拒否について
今回のような紛争において、心情的には理解できますが、ただ、方針として対話拒否はウィキペディアではよしとされていません。そう明言してしまったらダメです。相手のみならず、すべてのウィキペディアユーザーはその宣言に対し否定的な見解を以って臨まねばなりません。

Alex K さんにひとつ欠点を指摘するとしたら、「改名手続き」、「荒らし呼ばわり」、「対話拒否」などに見られるように、ウィキペディアのルールの軽視です。ルールは縛られるためにあるのではなく利用するためにあるのですから、逃げるのではなく使いこなすべきです。以前の議論で Alex K さんは指摘されたルールの条文から逃げており、議論相手以外の(仲裁目的の)「善意のユーザー」の助言にすら従わない態度を示してしまいました(そのつもりはなかったとしても、そのように見えます)。今回はまだその段階に入っておりませんが、今回の議論も紛糾すればそうなるのではないかと懸念しております。ウィキペディアのルールに従わない場合、私含めいかなる人間も Alex K さんの立場を擁護できませんから、ウィキペディアのいろいろなガイドラインの趣旨をよく理解し、ウィキペディア流の(学会流のではない)議論手法を身に付けて下さい。とりわけ、相手に「荒らし」だのなんだのとレッテルを貼って非難することはやめて下さい(尤も、 Alex K さんの場合、 IP とか、相手方も相当ひどいレッテル攻撃をしてくるんですけどね……。ただ、殴られたら殴り返すというのはウィキペディア日本語版では許容されておりませんので、殴られたら殴られっぱなしにしておいた方があとあと有利ということもあるんですよ)。ウィキペディアにおいてレッテル貼り非難合戦を見ることは非常に苦痛です。

さて、ここまで来ればもうわかるように、この問題の本質はお二方のあいだの個人的な紛争です。どちらにも非があります。どちらか一方だけについてコメント依頼をして是正を求めても、問題は根本的には解決しないでしょう。たしかに相手の悪いところを指摘すればお互いいくらでも指摘はできますが、自分自身にもそれと同じくらいの結構ひどい発言がいくつもあったことに思いを馳せて下さい。コメント依頼にしても、今回の被依頼者について依頼が出せるのであれば今回の依頼者についても同じような観点から依頼を提出できるでしょう。二人とも不幸な被害者であり、同時に感情的になっている加害者でもあります。お二方ともウィキペディアにとっては非常に有益な執筆者の方なのに、このように瑣末な問題でご心労を貯めている現状に私はとても悲しく思っています。ウィキペディアの議論で疲れる(傷付く・馬鹿馬鹿しくなるを含む)というのはよくわかりますので、同情の念からお気の毒に思えてなりません。相手をやり込めるための活力はあるようですが、仲直りの方にも力を割くのは無理でしょうか?

Kinno Angel さん 2010年10月14日 (木) 11-07 (UTC) のコメント

ご主張について異議はありませんが、今回の件に限って言えば、 片方だけを抽出するようなAlexK氏の書き方は、やはり大変偏向していると言えます。私が求めているのは両論併記だけなのですが、それすらAlexK氏は認めません。 が具体的に彼の編集のどの部分を指して仰っているのか不明です。 Kinno Angel さんが勘違いしているか、 Alex K 氏が書いた部分を見落としているないし過小評価しているだけだと思うんですが。

当事者以外の方のコメント
本題( Alex K 氏に対するコメント依頼)から外れるかもしれないので字を小さくして、なおかつできるだけ簡略に書きます(ここまではできるだけ詳しく書きました)。
最初に書いたように、まず依頼者の主観による「事実関係のまとめ」が本当に客観的事実関係を歪めることなく反映しているのか、関連ページを全部見てきちんと検証して下さい。また、今回の問題には多少専門的な内容が含まれておりますので、その点の理解もお願い致します。この二点を踏まえれば、上記のようなコメントにはならなかったはずだと思います。
テンプレートについての議論は、こちらにではなく Template‐ノート:ウクライナ史文献#宣伝活動の疑義にお願いしたいのですが、無理でしょうか。別にこれは作成者の言動の問題ではなく、テンプレートの問題だと思うのでこちらでやるべきじゃないと思うんですが。
なお、このような「文献表示の簡略化のための」テンプレート使用は例えばロシア語版ウィキペディアでは広く行われていることであり(ウクライナ語版については未確認ですが、同様かと)、たんに日本語版と他言語版との解釈の違いに起因する問題だと思います。被依頼者個人の「わがままな行い」であるかのように批判するのは、一方的に過ぎるでしょう。
また、件のテンプレートの「意義」というか「選定基準」を勘違いしている人が多いようですが(勘違いしている人しかいないようですが)、被依頼者が正しく言明しているように、あれはですね、「優れた本だから」記載してあるんじゃなくて、あれしか本がないからあの二冊が書いてあるんですよ。今後も滅多なことでは増えませんし(可能性としては、『世界各国史』が改訂された場合が考えられますが)、いま探してもほかには記載すべき見つかりません(私は知りませんが、あれば教えて下さい)。
皆さんどうも何らかの先入観を持っていらっしゃるらしく、被依頼者の言明は尽く無視なさるかあえて悪いほうに解釈していらっしゃるようですが、要所要所で正しいことも言っているんですから、きちんと読んであげて下さい。確かに批判すべき箇所もあるでしょうが、まずきちんと裏づけを取って批判をして下さい。
Alex K さんに「そういうこと言っちゃだめ」と言いながら自分で「もっと勉強して下さい。話になりませんから」とか言ってしまいそうですが(苦笑。冗談です)、みんなで寄ってたかって非難することはその人にとって非常に大きな(場合によっては再起不能なくらいの)精神的ダメージを与えることにほかなりませんから(それが不当な中傷であれ、正当な浴びせられて当然な非難であれ)、慎重にやりましょう。

長文失礼しました。これ、真面目に書いたんですけど、読んでもらえますよね?--PRUSAKiN 2010年10月23日 (土) 15:47 (UTC)[返信]

  コメント 申し訳ありませんが、ここまでの長文に全て返信する元気はありません。と申しますのも、最初の段落でいきなり事実誤認と申しますか、場合によっては侮辱ともとれる認識があるからです。第三者に対する批判を仰っておいでですが、少なくとも皆さん、非常に冷静に抑制的に見守っていらっしゃいます。無論私としましては私の「圧勝」という状況になれば感情的に嬉しいものではあるのですが、そのような上手い話にはなっておりません。あくまで「テンプレート」についての話のみに限定されているのも何故なのか、そして私の見解に同調する事に対して、多くの方が大変神経質に距離を取っていらっしゃるのがお分かりになりませんか?私はその慎重な第三者のウィキペディアンの皆様の姿勢に対し「流石は事典執筆に参加しようと思われる方々」と思わざるを得ませんでした。
次の点だけ個別にお答えしておきます。
「明らかな誤訳を用いて事実捏造をしている」かのごとく厳しく非難しています。
それは、その通りです。少なくとも一方に偏向した概念整理を用いる事は「誤訳」と私は考えます。
なおかつ、今回相手がきちんと説明しているのに対し、なんらリスポンスを示しておりません(少なくとも自分の誤解は単純に認めるべきです。誤解すること自体はそれほど恥ずかしいことではないんですから)
レスを示したと私は理解しているのですが、不十分と言う事でしょうか。一応、現時点で当方からあれ以上のレスポンスは必要ないと考えております。「お前は誤解している!」と言われましても、「図表に書かれている語彙と違う概念整理がされている断り書き抜きに、別の概念整理に置き換えた」事を指摘した事のどこが誤解なのでしょうか。PRUSAKiNさんも落ち着いて、当方が何を主張しているのか今一度、確認されては如何ですか。それほど今回のコメント依頼にしても、各ノートページ内容にしても、私の主張はそこまでの長文ではないのですから。至ってシンプルですよ。--Kinno Angel 2010年10月24日 (日) 15:00 (UTC)[返信]
  コメント さらに何点か、返信を書き加えます。
その責任感によって、他人に対しても非常に厳密な態度で臨もうとしていらっしゃるのだと思いますが
このコメントの前節とともに、好意的な評価を当方に対してして頂き、ありがとうございます。その上で。
あるいは「厳密な姿勢」をAlexK氏に要求しているように見えるかもしれません。しかしながら私がなぜAlexK氏にここまで厳しいかと言えば、それはAlexK氏の能力に対する評価の裏返しである事をご承知おき下さい。恐らく日本でここまでウクライナについて書ける人は居ないでしょう。つまり彼がその気になれば、JAWPのウクライナ関連分野は、彼の独壇場となる事も可能ですし、事実現状、そうなりつつあります。私もリソースの絶対量から、正教に係るもの以外についてはウクライナには手出ししたくありませんし、出来ませんし、そこまでの思い入れもありません。
これが並の単なるロシア嫌いの素人日本人編集者であれば、私もここまでは申しません。私以下の知識不足レベルでモノを書いたって、すぐに相対化されて終わりです。実力のあるAlexK氏だからこそ、また他に実力者が見当たらない現状だからこそ、厳密厳正な姿勢を私は要求しているのです。
たとえば現時点で、JAWPには正教について専門的に書ける執筆者は私以外に見当たりません。その私がカルケドン公会議第28条問題(コンスタンディヌーポリ総主教の権限・管轄権で問題になる条項)で大変に偏向した内容のものを書いていったら、一体どうなるでしょう?当然、特定の総主教庁に肩入れする方からは反発が来るでしょう。つまりはAlexK氏について今回起きているような問題と、同様の問題が必ず発生するでしょう。
正教の離散問題も含め、教派間だけでなく、正教内の問題についても、どこまで充分に出来ているかは人によって評価が分かれるでしょうけれど、私は神経を使っているつもりです。
日中韓の歴史認識論争であれば、対立陣営同士の議論と折衷案の模索で、ある程度は中立的観点の構築が可能です。ですがウクライナ関連の問題ではそもそも御存知の通り、対立両陣営の人材がJAWPのみならず日本全体に不足しています。これこそが今回の問題の決定的に重要な背景です。
この問題の本質はお二方のあいだの個人的な紛争
「個人的な」の語義解釈にもよるでしょうけれど、「感情的な」という意味であれば否定します。この問題に係る編集者が当面二人程度しかいない、その事によって結果的に「二人の個人的な争い」になっているという意味であれば、それほど外れては居ないでしょう。だからこそコメント依頼に出した訳です。当方の会話ページだったかと思うのですが、Hideokunさんの御心配に対し、冷静になるためにも第三者の介入をお願いする事になるであろう旨、書いた事が御座います。で、少なくとも私から見た観点による、AlexK氏の諸問題を列挙して、第三者から見たらどうなのかを問うている訳です。無論私に賛同されるコメントは感情的に嬉しく、私に水を浴びせかけるコメントは感情的に愉快ではありません。しかしながらそれも勘案してのコメント依頼だという事を御承知置き下さい。
上にも書きましたが現時点でのコメント依頼の結果につき、PRUSAKiNさんは相当誤解しておいでです。殆どの方があくまで「テンプレートの適正な使用法」に関係する問題に限定してコメントしていらっしゃるのであり、それはウクライナに関連する論争とは全く距離が取られたものです。繰り返しますがその第三者の皆様の慎重な姿勢には、私は本当に敬意を払います。
件のテンプレートの「意義」というか「選定基準」を勘違いしている人が多いようですが(勘違いしている人しかいないようですが)、被依頼者が正しく言明しているように、あれはですね、「優れた本だから」記載してあるんじゃなくて、あれしか本がないからあの二冊が書いてあるんですよ。
その論法が通るのでしたら、当方の会話ページにもちらと書きましたが、一般でも手に入る、絶版になっていない、総合的な正教関連書籍(日本語)は、オリヴィエ・クレマンの『東方正教会』と、高橋保行の『ギリシャ正教』だけですから、この二冊についてのテンプレートを作成して、東方正教会にかかる全ての記事(正教会の有名な聖堂がある地理記事を「関連性あり」として含む)に貼り付けて回りましょうか?無論認められるとは思えませんし、そのような事はしませんが。
皆さん、その「選定基準」についてAlexK氏の言い分を無視などしていません。私のコメントだけでなく、皆さんのコメントもよく読んでみてはいかがですか。Ashtrayさんがお書きのように、皆さんそうした「選定基準」とは関係なく、テンプレートについての議論を進めておいでです。--Kinno Angel 2010年10月25日 (月) 03:35 (UTC)[返信]
相手を「極右(極左)」だの「ナショナリスト」だのと呼ぶことは、「テロリスト」と呼ぶのと同列に禁止されております。について。
当方の会話ページにも書いておきましたが、どこかで私、筆が(キーボードが)滑って「AlexK氏はウクライナナショナリストである」などと言ったでしょうか?言っていたとしたら撤回してお詫びします。あくまで「AlexK氏の執筆内容はウクライナナショナリストのものである」としているのみの筈です。こうした表現も禁止されているのでしょうか?だとしたらちょっと困ってしまうのですが。相手の執筆している内容がどこに偏っているのか、その事実の指摘も出来なくなってしまいますので。だから「本当に私の主張内容を確認しておいでですか」と申し上げているのです。--Kinno Angel 2010年10月27日 (水) 09:49 (UTC)[返信]
追記。そもそもナショナリストというのは蔑称なのでしょうか?ヘルプとプロジェクトページで「ナショナリスト」を検索してもヒットしないのですが。「ナショナリスト」を「蔑称」と捉えられる時点で、既に政治思想におけるPOVがあるような気がしますが、当方の方針文書への理解に不足があるのでしょうか?もし私の理解不足なのでしたら今後気をつけますので御教示下さい。
繰り返しますが私は蔑称や中傷としてではなく、単に「AlexK氏の主張はウクライナナショナリストと同様のものに偏っている」としているだけであり、AlexK氏をナショナリストであるとしてネガティブに位置づけようなどとは考えてもいません。そもそも「ナショナリスト」が「蔑称」「ナガティブ」と捉えられた事自体が驚きです。--Kinno Angel 2010年10月27日 (水) 09:54 (UTC)[返信]
ナショナリストは意味的には民族主義者みたいな感じになると思いますが、辞書によるとナショナリズム民族主義)の極端な形が国家主義であるとされ、個人よりも国家に絶対の優位を認める考え方。→ナショナリズムという意味に取ることもできるようです。ですので例えば国家社会主義(national socialism)者に対する批判ならば蔑称的な言葉になるかもしれません。Kinno Angelさんは単純に「ウクライナPOVである」という意味で使っているだけだと思いますし、当人がそのような意図はないと否定表明している以上、善意に取るからしてもそのような深読みは一切不要ですが、その一方でカタカナ語は色々な意味を含んでいる場合が多いので、別の言い回しが可能ならば言い換えた方がいいかもしれません(この場合は「AlexK氏の主張はウクライナPOVである」「~はウクライナ中心の記述になっている」などでほぼ同義のはず…)。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年10月27日 (水) 10:14 (UTC)[返信]
  コメント コメント・御教示をありがとうございます。実は単純に「ウクライナPOV」とも言えない事情があるのです。ウクライナには様々な民族・見解があるため、ウクライナ内における特定の思想潮流を以て「ウクライナPOV」と名付けることは出来ません。適当な代替案が他にあるのなら御教示願いたいのですが、勿論仰る通り、私は「ナショナリズム」「ナショナリスト」を蔑称として用いた意図は毛頭、ありません。--Kinno Angel 2010年10月27日 (水) 10:23 (UTC)[返信]
  コメント - それはつまり、例えばひとくちに「日本POV」ではなく「大和POV」「アイヌPOV」「琉球POV」、または「民主党POV」「自民党POV」、もしくは「若年層POV」「高齢者POV」、あるいは「東北POV」「九州POV」というような状態でしょうか。確かに単純に「国家POV」というのはどちらかというとその中身を一緒くたにして『とにかく他国よりその国に贔屓した書き方』といった指摘であり、国内で意見が分かれる場合は不適切かもしれません、その呼称自体が蔑称などになる場合もありうるので何とも言えませんが、その場合は「○○民族POV」「××言語POV」「□□勢力POV」「▲▲文献POV」…などになるのでしょうか。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年10月30日 (土) 18:05 (UTC)[返信]
  コメント - ButuCCさん、そういう事になります。なお若干、誤解しておいでと見受けられる方の書き込みが当方の会話ページにもなされましたので、当コメント依頼における2010年10月14日 (木) 11:07 (UTC)のコメントを繰り返しておきます。私が求めているのは両論併記だけなのですが、それすらAlexK氏は認めません。認めるように態度を変えられるのであれば、一方の立場の説明役として歓迎されるでしょう。--Kinno Angel 2010年11月1日 (月) 04:51 (UTC)[返信]
  コメント 本コメント依頼でAlexK氏は「なぜ、自らテンプレートの合理性について議論せず、他人にテンプレートの合理性について議論しろと言えるのか疑問です。」「ウクライナ項目はとんでもない情報を含むようになった」「対話を始める前に「宣伝」という名目で編集合戦」などとAlexK氏は上で仰っていますが、テンプレートの合理性や参考文献の適否についてはもう何べんも私から指摘しています(「町村記事に総合的歴史書籍紹介は必要ない」)し、ここでも指摘しています。これはもう捏造の域に達しています。「ウクライナ項目はとんでもない情報を含むようになった」については議論がある内容であって、そこまで断罪される謂われはありません。「対話を始める前に「宣伝」という名目で編集合戦」については、町村記事に自分の推薦したい図書を貼り付けて回る行為は宣伝であると私は判断したのです。「編集合戦」と言いますが、私はそれぞれの記事において一回ずつ削除したのみで、その後は対抗措置は取っておりません。
繰り返しますが、このような「宣伝」行為が認められるのなら、様々な記事に、記事とは直接関係の無い「総合的参考文献」の「宣伝」が溢れかえって収拾がつかなくなるでしょうね。--Kinno Angel 2010年11月9日 (火) 01:09 (UTC)[返信]

11月21日~ 編集

  コメント テンプレートや参考文献に関して、私を含めて複数のユーザーから指摘されているにもかかわらず、このようなお返事ですし、また議論を無視して(Subst展開した状態ですが)新記事に適用していますし、そろそろ「WP:POINT#いつまでも「納得」しない」に則り、次のステップも考慮すべきではないでしょうか。--Ashtray 2010年11月21日 (日) 06:20 (UTC)[返信]
  コメント彼の論法に従うと「千谷沢村」(『笑点』元レギュラー林家こん平師匠のふるさと)のような一寒村でも山川出版社から刊行されている『日本史』を貼りつけてもいいということになります。そのような愚挙は看過できるものではありません。氏にこれ以上言うのは情報資源の無駄なので、次のステップも考慮すべきでしょう。--Wushi 2010年11月21日 (日) 13:13 (UTC)[返信]
  コメント 議論中であるにも関わらずそれらを無視するような言動にはやはり問題が多いと思われます。お二人から御意見も出されましたし、次のステップについて真剣に考慮すべきものと思います。--Kinno Angel 2010年11月29日 (月) 09:12 (UTC)[返信]
  コメント 当コメント依頼、およびテンプレートのノートページでの議論・指摘を完全に無視して、参考文献を追加する編集([10][11])を続けています。まあ州レベルの記事ですからこの二冊にも記載はあるかとは思うのですが(確認まではしていません)、それならば「歴史」節の脚注という形で頁数まで付けた上で出典として付与すればいいだけの話で、一体どうしてこういう議論無視が平然と出来るのかよく分かりません。対話拒否を理由とするブロック依頼等も視野に入れる必要が出て来ているかと思います。--Kinno Angel 2010年11月30日 (火) 15:03 (UTC) 事例追加--Kinno Angel 2010年11月30日 (火) 15:31 (UTC)[返信]
  コメント議論・指摘を完全に無視して」についてですが、Template‐ノート:ウクライナ史文献では2010年11月19日から議論・指摘を完全に無視している私の方でしょうか?2010年11月19日に私が説明・疑問を書いた後、誰もが議論を続きませんでした。果たして、このような状況で、「Alex Kは議論・指摘を完全に無視している」といえるでしょうか?くりかえします。参考文献に関して私の意見が間違っているなら、それを証拠を持って証明して御説明ください。Wikipediaでの証拠はpolicyやguidlinesので、それを持って御説得ください。もし、参考文献をめぐる件では、あの二冊を載せることがpolicyやguidlinesでに違反しているなら、私の方から二冊を載せることやめましょう。問題はありません。しかし、具体的な証拠がない限り、反対意見をまるのみするわけには行かないと思います。--Alex K 2010年12月1日 (水) 09:45 (UTC)[返信]
  コメント2010年11月19日に私が説明・疑問を書いた後、誰もが議論を続きませんでした」についてですが、当コメント依頼で直ぐ上に11月21日に指摘がなされています。しかもAlexKさんはこの書き込みWushiさんのことば使いを見ればみるほど、本当に話す気にはなりません。Wushiさんとの会話をこれで最後にしましょう。と書き込まれ、文字通り対話を拒否しています。この姿勢に対するお二方からの反応である事に言及しないのは、あまりフェアとは言えませんね。--Kinno Angel 2010年12月1日 (水) 10:25 (UTC)[返信]
  コメント 議論はTemplate‐ノート:ウクライナ史文献で行われいています。あの議論では2010年11月19日からコメントがありませんでした。当コメント依頼では何があるか知りません。あっちこっち議論すれば、議論する意味が薄れてしまいます。Wushiさんは[12]では「これ以上話しても、平行線のままです無駄な気もしますが、同じことを言うのを最後にします。」と書いたではありませんか?これこそ「文字通り対話を拒否」です。言い換えれば、「最後通牒」そのもです。Kinno Angelさんは私をブロックしたいあまりに、見たいことだけを見ているんじゃないでしょうか?もう一度いいます。自分の意見を単に押し付けるではなく、Wikipedia上の根拠(policyやguidlines)をもって私が間違っていることを証明してください。でなければ、Kinno Angelさんの意見も、Wushiさんの意見も受け入れるわけに行けません。「参考文献」は推薦書であるか否かはともかく、そもそも、なぜ私が立ち上げているウクライナ地理関係の項目において、私が参考にしている参考文献は「参考文献」ではないといえるのか、疑問ですが…--Alex K 2010年12月2日 (木) 03:23 (UTC)[返信]
  コメント 経緯欄に追記しておきました。--Kinno Angel 2010年12月3日 (金) 04:16 (UTC)[返信]
遅くなっておりますが、来週辺り、時間がとれそうなので、参考文献についての正式な合意形成に向けて動き出したいと思います。「正式なガイドラインにはなっていない」事を盾に、多くの人の懸念を無視し続けるAlexK氏の言動も問題ですが、まずはこんな参考文献の使い方が許されては、第一に芸能系・サブカル系の記事は大混乱になると思われますので。--Kinno Angel 2010年12月24日 (金) 16:17 (UTC)[返信]

2013年 編集

利用者‐会話:121.111.125.182について、AlexKさんと同一人物なのかどうかお問い合わせをさせて頂きました事を報告させて頂きます。--Kinno Angel会話2013年1月3日 (木) 17:18 (UTC)[返信]

これまでAlexKさんの活動が下火になっていましたのでコメント依頼も自然に低調になっていたわけですが、仮にAlexKさんがIPとして同様の問題を各所で起こしているのだとしたら、かなり悪質です。御本人の会話ページにも問い合わせを行いましたので、御本人からの釈明を待ちたいと思います。--Kinno Angel会話2013年1月3日 (木) 17:21 (UTC)[返信]

まとめ 編集

AlexKさんの参考文献節の扱いに関する行動(ウクライナ町村地理記事へのウクライナ総合歴史書籍添付)は議論継続中も止まることなく続けられましたが、2010年12月末以降、AlexKさんの編集活動が休止状態になり、本コメント依頼も自然に下火になりました。

他方、参考文献の扱いについての問題が一般論として浮上したように思います。AlexKさんに対する注視は今後も必要と思いますが、一旦は本コメント依頼は終結させて頂きます。

コメント依頼に参加して下さった皆様、ありがとうございました。

なお、参考文献節の扱いについては、全く遅くなってしまいまして恐縮ですが、他の事例も出て参りましたので、jawpの全記事に係る問題としてWikipedia‐ノート:出典を明記する#参考文献の無秩序な列挙に何らかの歯止めが必要なのではを提起しました。是非ともこちらにも参加下さいます様、お願い申し上げます。--Kinno Angel 2011年2月7日 (月) 02:27 (UTC)[返信]