利用者:BadSurprise会話 / 投稿記録 / 記録さんの参加姿勢についてコメントを依頼します。

これまでの経緯 編集

被依頼者とはノート:金妍兒で議論になりました。この中で私は公式な方針であるWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを論拠として提示したのですが、被依頼者はWikipedia:特筆性が草案であることを理由にこの方針に従う必要はないと主張しました(このコメント)。そこで私は再三にわたりリンク先が草案であるからといって方針文書の文言に従わなくてもいいということにはならないと説明したのですが(これこれなど)、被依頼者は同じ主張を繰り返しています。

特に直近の二つのコメント(これこれ)は私の主張内容をわかっていてわざととぼけているとしか考えられず、とてもまともな議論ができるような状況でなくなっています(このコメントを見る限り被依頼者は私が主張しているのは「公式な方針であるWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを遵守する必要がある」ということであるのを理解しているとしか思えません)。私も日頃から何事につけ善意にとるよう努力してはいるのですが、今回は私の能力では不可能でした。

私には被依頼者の議論態度は不誠実に思え、これ以上の直接対話では実りある成果を得ることは難しいと考えました。コミュニティのみなさまからのご意見を募集する次第です。どうぞよろしくお願いします。--sergei 2010年4月21日 (水) 15:54 (UTC)[返信]

被依頼者コメント 編集

ノート:金妍兒での議論は記述項目に特筆性があるかどうかというのが一つ議論となっておりました。私は、依頼者の特筆性がないから記述を留保すべきとの見解に対して特筆性は草案段階にあり他者に対する拘束力はない、と注意したにすぎません。また、依頼者の紹介したいくつかの公式な方針中にある特筆性もWikipedia:特筆性に依拠していることは明らかであり、それを基に特筆性を公式な方針として扱うべきとする依頼者の姿勢を糺したにすぎません。加えて私は一般的な意味においての特筆性については否定しておらず、それは合意によって担保されるべきだと当該ノートで意見表明しています。当該ノートでも複数の方から賛同いただいており、議論後半では依頼者の苛立った様子が見え、それが私に対するコメント依頼ということになったと思いますがそういう意味ではもう少し配慮すべきであったと思います。--BadSurprise 2010年4月21日 (水) 16:25 (UTC)末文追記--BadSurprise 2010年4月21日 (水) 16:44 (UTC)[返信]

コメント 編集

  • (依頼者コメント)第三者からのコメントを依頼したからにはしばらく静観するつもりでいたのですが、またしても曲解に基づく発言があったのでやむを得ずコメントします。私はWikipedia:特筆性を公式な方針として扱うべきだなどと主張したことはありません。そのように主張内容を(半ば意図的に)曲解して反論されるのは極めて不愉快です。このようなことは金輪際おやめ下さい。
    そして繰り返しますが、リンク先が草案だからといって公式な方針の内部に書かれている文言を無効とすることはできません。ウィキペディアは「基本方針に賛同していただけるなら、誰でも記事を編集したり新しく作成したりでき」るのであり(メインページより、太字強調は引用者)、方針を遵守する気がないのなら参加をおやめ下さい。--sergei 2010年4月22日 (木) 08:42 (UTC)[返信]
  •   コメント 発端となった議論に目を通すつもりも、該当記述の是非について考えるつもりもない、あくまでもこの依頼文と被依頼者の発言から、思ったことを言わせてもらいますので、私のコメントにはあまり考察がなされてない、ってことを前提としてください。
    特筆性が草案だから拘束力がなく、従わなくていい、っていうのはまぁ理屈としてはおかしくないが如何なものかと思う。それを言ってしまったら、例えばそこらへんのおっさんの記事だって作れるわけで(プライバシーの問題は考えずに)、百科事典として無用な記事の乱立を招くことだって有り得る。それを防ぐ意味でも、記事を作る、記述を記載する、一定の基準と見るべきで、草案だから無視していいなんて不適切な考えだと、個人的には思う。根本的に、被依頼者はもう少しWikipediaの方針・ガイドラインに理解を示すべきでしょうね。--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年4月22日 (木) 09:27 (UTC)[返信]
  • (被依頼者コメント)既にコメントしたのですが、曲解があるようですので再度コメントします。
  • 1点目、まず私は依頼者がWikipedia:特筆性を公式な方針として扱うべきだと主張しているとはいっていません。依頼者はWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに示されている特筆性は、公式な方針として扱うべきということについて問題があるといっているのです。何故ならばその特筆性はWikipedia:特筆性に依拠しているからです。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか中の特筆性のリンクを辿ってみてください。それとこれまではスルーしてましたが、ちょっと酷いので一言いいますが、不誠実な態度だとか半ば意図的な曲解だとか、方針を尊守する気がないだとか、決め付けで人を悪し様にいうのは止めてもらえませんか。また、キムヨナのノート中に本日記載された『言質が取れ』た[1]というような表現も甚だ失礼な表現です。依頼者には反省を強く求め、今後繰り返すことのないよう求めます。
  • 2点目、一般的な特筆性については認めていますので、そこらへんのおっさんの記事が作られることには私も反対ですし作られることもないでしょう。私が主張したいのは、少なくともノートで特筆性に関し、大きな議論が繰り広げられるような記事は既にそれ自体特筆性があるのではないかということです。つまり、これは特筆性有りと判断する人間の部分集合が確実に存在することを意味するからです。当該の記事は(私の参加前から)特筆性について長きに渡って議論が繰り広げられているのです、そして特筆性があると主張している方は複数いらっしゃるのです。--BadSurprise 2010年4月22日 (木) 12:34 (UTC)[返信]
  • (依頼者コメント)なるほど、「特筆性を公式な方針として扱うべきとする依頼者の姿勢」における「特筆性」とはWikipedia:特筆性のことではなくWikipedia:ウィキペディアは何ではないかの文書の中での「特筆性」のことだったわけですね。それは私の誤解でした。とするとあなたは私の主張内容を「現実に公式な方針として運用されている文書を公式な方針として扱うことを要求する」という当たり前のことだと正確に認識しているわけで、そのことの一体何を糺そうというのでしょうか? ますますわけがわかりませんね。
    「その特筆性はWikipedia:特筆性に依拠しているから」などという勝手な理由で公式な方針であるWikipedia:ウィキペディアは何ではないかの規定を無効にすることなど許されるはずがありません。以前にも述べましたが、もしそんな主張が認められるのなら「Wikipedia:著作権Wikipedia:削除の方針における引用についての規定は草案であるWikipedia:引用のガイドラインに依拠しているから無効だ」という主張も成り立つわけで、そんなことになればプロジェクトの存続を揺るがす危機的な事態に陥ります。繰り返しますが、方針を遵守する気がないのならウィキペディアに参加しないで下さい。--sergei 2010年4月22日 (木) 14:16 (UTC)[返信]
  • (被依頼者コメント)
    「ますますわけがわかりませんね。」
    もう一度落ち着いて上の私のコメントを確認ください。わけがわからないのは私の問題ではありません。
    「その特筆性はWikipedia:特筆性に依拠しているから」などという勝手な理由」
    では、特筆性についての説明はどこにあるのでしょうか。
    「草案であるWikipedia:引用のガイドライン
    これは参考資料として挙げられているものでしょう。そもそもモノが違うと思いますが、少なくとも特筆性のように拘束力がないとは書かれていませんね。
    「方針を遵守する気がないのならウィキペディアに参加しないで下さい
    方針は尊守するつもりです。それともあなたの意見に従わないと方針を尊守していないことになるのでしょうか。
    あと、上で私が強く求めた件ですが、反省はしていただいているのでしょうか、先ずこちらを明らかにしてください。--BadSurprise 2010年4月22日 (木) 14:57 (UTC)[返信]
  • ノートなどで議論となる=特筆性があるって言うのは違うんじゃないかと。ノートで議論となるのは、それに話題性があるからであって、必ずしも百科事典として有意的な情報であるとは限らない。あなたの理屈でいえば、削除依頼で削除された記事の多くを、復帰依頼に掛けなければならないんじゃないですか?
    そもそも、私が言いたいのは、特筆性があるか否かじゃなくて、草案だからだとか、草案に依存しているからだとか、とにかく理由をつけて方針・ガイドラインに従わない被依頼者の参加姿勢についてです。もう一度言いますが、草案に依存してようが何だろうが、公式な方針なんだから、遵守しないのは共同作業の場では不適切。--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年4月22日 (木) 14:48 (UTC)[返信]
  • 感情論に走らずに読んで欲しいのですが、草案とは拘束力のないものです。なぜ拘束力がないかといえば運用での問題が予想される等、公式方針とするには憚られる理由があるからです。以上より、草案を公式方針として捉えることはできず、そのような草案を尊守することは却って方針に背くことになります。Wikipediaにリスクをもたらすものとなります。--BadSurprise 2010年4月22日 (木) 14:57 (UTC)--BadSurprise 2010年4月22日 (木) 14:59 (UTC)[返信]
  • 私はなにも、草案に拘束されろなんて言ってはいない。あくまでも、一定の基準となり得るんだから、簡単に無視して良いもんではないだろうねってことを言いたい。そして、公式な方針である「ウィキペディアは何でないか」までもを、草案と同一視(公式方針として問題があると判断)して遵守しないなんて言うのは、理屈としておかしい。ちなみに、草案でありながら、議論でやたらと取りざたされるものにWikipedia:信頼できる情報源があったりします(被依頼者の言い方をすれば、Wikipedia:検証可能性はこの草案に依拠している)。--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年4月22日 (木) 15:25 (UTC)[返信]
  • 草案を簡単に無視するか、尊守するかは個々人の判断にゆだねられていると思います。草案には拘束力がないと明記されているからです。簡単に無視しろとも尊守しろとも書かれておりません。そして尊守した結果、万一なんらかの不都合が生じた場合は尊守した方の責任となると考えるのが妥当です(草案にはなんらかの瑕疵がある可能性を否定できません)。そして、『「ウィキペディアは何でないか」を草案と同一視して遵守しない』とはいってません。その方針に書かれている特筆性に関しては草案に準じて考慮すべきといっているのです(その方針で書かれているからといってWikipedia:特筆性は公式な方針とはならないでしょう?)。Wikipedia:信頼できる情報源が草案とは知りませんでしたが、草案であるのなら草案として運用するのが本来の正しい運用でしょう(私個人の判断ではWikipedia:信頼できる情報源は賛成ですが、Wikipedia:特筆性には賛成できません)。--BadSurprise 2010年4月22日 (木) 15:59 (UTC)[返信]
  •   コメント今のところ、コメント依頼の内容について言及する気は一切ないことをあらかじめお断りします。被依頼者および依頼者は、本セクションにコメントすることは控えていただけないでしょうか。また、Mkhcan487さんも、逐一コメントするのではなく、数日静観してみては如何でしょうか。-- 2010年4月23日 (金) 09:03 (UTC)[返信]
    •   コメント 私自身、ここで議論をするつもりはなくて、ただ単に第三者としての直感的な見解を示そうと思っただけなんですよね。そのつもりだったんですが、私のコメントに被依頼者がレスポンスしたので、私もレスポンスした感じです。前にも別のコメント依頼かノートで言った気がするのですが、依頼者と被依頼者は、一度コメントしたらそれ以降は傍観決め込んで、他者に一切を任せるくらいしなくちゃ、発端となったノートと全く様相が変わりませんし、あくまで戦線を拡大させたにすぎないんで解決はしない。そうと分かって逐一反応した私がバカだったようです。
      あんまり被依頼者を逆なで(少々語弊気味な表現)してもしょうがないので、当分の間は本件に関わらないようにします。--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年4月23日 (金) 09:43 (UTC)[返信]

  コメント方針草案の解釈の違いによる口喧嘩にしかみえません。拘束力のない草案であることは事実ですので、依頼者は草案といわれて気に入らないのであれば、議論相手をコメント依頼するのではなく、草案をガイドラインなりに格上げする努力をしたほうがよろしいのではないでしょうか。--Dondokken 2010年4月24日 (土) 00:16 (UTC)[返信]

  コメント 草案とは、現在はまだ修正の余地の有無を検討する段階ではあるものの、将来公式な方針とする前提なので、原則として公式な方針に準ずる扱いとすべきと考えます。なぜならば、草案に従わないで行われた記述は、草案が公式な方針となった時点で修正を要することになるわけですが、それらの全てが速やかにかつ適切な内容に修正されることはおよそ期待できず、結局方針違反の記述が広範囲にわたっていつまでも残るであろうことは想像に難くないからです。 もし、草案に従いたくない場合は、理由を明示するべきです。その理由が合理的であるとコミュニティに判断されれば、草案もそれが反映されたものとなることでしょう。しかし、単に拘束力が無いからと言うだけでは、先に述べた理由により、ウィキペディアの発展を阻害することはあっても寄与することは無く、無視してよい合理的な理由にはなり得ないものと考えます。 以上から、「特筆性は草案段階にあり他者に対する拘束力はない、と注意したにすぎません」との被依頼者の考え方は不適切であると考えます。その意味では、草案の「拘束力はない」との文言は、修正すべきだと思います。--Nazox 2010年4月24日 (土) 01:47 (UTC)[返信]

  コメント 「拘束力はない」としたのはコミュニティーですので、コミュニティーの見解を軽視し反する主張をすることは問題があります。コミュニティーの意見に反する「拘束力がある」「草案に従わなければならない」「将来方針になるから従え」とするならば根拠を提示する必要が出てきます。比較的簡単に作成できる草案で人の行動を規制できてしまうことは危険なことです。今回の件も披依頼者は草案だから従わないというよりも草案をもとに人の編集を規制しようとしている依頼者に疑義を呈しているものであり、草案だからといって軽視しているものではない態度である、と見ています。--Dondokken 2010年4月25日 (日) 17:18 (UTC)[返信]