利用者:Miya.m会話 / 投稿記録 / 記録さんについてのコメントを求めます。--Web comic 2009年6月13日 (土) 06:29 (UTC)[返信]

これまでの経緯及び依頼理由 編集

miya.mさんは2004年3月13日から利用者として、2004年12月21日からは管理者として活動を行ってきました。ですが管理者として疑問の残る権限行使、及び利用者として方針の理解不足があるのではないかと懸念しております。最近における具体的事例を挙げますと創価学会において編集合戦が発生していない(保護直前の履歴)にもかかわらず、編集合戦があったとして無期限全保護をかけたり、中川昭一においては「更新の必要性が低い重要ページ」「過剰編集対策」というWikipedia:保護の方針に該当しない理由で全保護を行っています(ログ)。また2008年1月から全ページにおいて移動半保護になっているにも関わらず、豪栄道豪太郎においてIPによる移動荒らしがあったとして半保護を行っていたり(リダイレクト荒らしを移動荒らしと誤認している点も問題)と管理者として権限行使に関して軽率な判断及び方針の理解不足があると思われます。さらに利用者としてもWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト テンプレート/お知らせテンプレートにおいて、cproさんの手続きに問題があるとして反論を行いました。もちろん反論を行うこと自体は全く問題ないのですが、この発言においては管理者の権限行使などに関連する案件でもないにも関わらず、相手が管理者であることを不必要に強調し、あたかも管理者が他の利用者とは違う特別な立ち位置にいるかのような考えを示しておられます。当然ながらこういった考えはWikipedia:管理者#一般の参加者とどう違うのかにある「執筆者、編集者としては管理者は特別な存在ではありません」、「プロジェクトの運営についても、それほど特別な存在ではありません」、「一般の利用者の意見よりも管理者の意見の方が重要だということはありません」に反するものといえ、管理者を特別視しているという点で方針の理解不足が見受けられます。以上の点からmiya.mさんは現状において管理者としての権限を与えたままでよいのかという点で不安を感じますので、皆様がこれらの事例を踏まえた上で、どう感じているかのコメントを求めます。

被依頼者コメント 編集

コメント 編集

  • (コメント)私が Miya.m さんに抱いている印象は、「良いお父さん」です。jawp への愛が感じられ、それが「現状の」jawp にはちょっと過大な父権主義として、例えば「創価学会」や「中川昭一」の保護に現れてしまう場合があるように見受けられます。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト テンプレート/お知らせテンプレートの件は、私も管理者権限を預かる身として、あの議論の方向性はご勘弁願いたいと思います。一般の利用者さんが議論に加わりにくくなりますから。しかし、「豪栄道豪太郎」の移動半保護は、IP利用者によるリダイレクト荒らしのさなかになした害のない判断誤りとして、そこまで非難されるほどのものとは感じませんWikipedia:管理者伝言板/保護ページ編集に対処した先がとっくに解除されていた[1]なんてそそっかしい私が言っても我が身かわいさに見えるかもしれませんが)。今後は、 Miya.m さんがご心配なさっているよりも、少しは jawp が成熟した部分もあるかもしれない、無理解な行動の絶対量は増しているにせよそれをとどめる力もついてきたかもしれないと、時に思っていただくのがよろしいのではないでしょうか。生意気を申し上げてしまいました。
    さて、本件コメント依頼には、疑問を感じます。なぜ「豪栄道豪太郎」は今もって移動半保護されているのでしょう。保護解除依頼なり、あるいは無益無害なので解除依頼もおかしければ管理者伝言板なりに、気が付いた Web comic さんが一言お伝えいただけないのはなぜでしょうか。積極的に活動なさっていらっしゃるのに、本件コメント依頼提出の前に、直接の対話が試みられなかったのはなぜでしょうか。被依頼者は、この場では依頼者への反論ではなく、整理された論点に従って被依頼者コメントを行うことになります。他者を批判する際に、自らは場を設定するのみの安全な場に立っていらっしゃるのは、それが無自覚であればなおさら大人気ない行為だと考えます。「管理者自身が管理者を特別視するという方針無理解」を論点とするのは、「管理者は一般利用者よりも方針を理解していなければいけないという特別視」を整理しておかないとできない議論なので、その意味でも本件コメント依頼は粗製濫造のそしりを免れないものと考えます。--Kurihaya 2009年6月13日 (土) 08:39 (UTC)[返信]
豪栄道豪太郎の件に関してはmiya.mさんに一言伝える必要があったのではないかという点についてはそのとおりだと思いますのでそのことに関しては申し訳なかったと感じています。ただ、管理者権限の軽率な行使については中川昭一のケースのようにその行使が問題であると取り消してくれるような管理者が素早く現れれば問題ないのですが、管理者不足の現状においては必ずしもフォローが上手くいってるとは言えず、創価学会のように編集合戦が起きていなかったにもかかわらず、ノートで合意形成→保護依頼提出→保護解除と、問題がなかった編集者側が手間のかかる手順を踏まなければいけないケースなども発生してしまいますのでできるだけそのような権限行使は減らしていただきたいというのが本音です(逆に言えばもし間違った権限行使があったとしてもそれを素早くフォローできる状態であるのならばそれほど問題視するつもりはないです。結局は管理者不足が問題の根源なのですが)。なおこのコメント依頼はmiya.mさんを批判というよりも、多くの利用者が今のmiya.mさんをどう思っているのかmiya.mさんに見ていただいたほうが、miya.mさんにとってより良い方向へ行くのではないかと思って提出いたしました。またKurihayaさんは「管理者自身が管理者を特別視するという方針無理解」を論点と仰っていますが、これは勘違いです。私としてはmiya.mさんが管理者があることを理由に管理者を特別視するのを問題視しているのではなく、一利用者として管理者を特別視すること自体を問題視しています。この点に関してはmiya.mさんに限らず、他の利用者の方にも管理者の発言を他の利用者よりも重要視・特別視される方がいるように見受けられますので改めて管理者自体は特別な存在ではないということを改めて強調するためにもこのコメント依頼は有用なものであると考えています。--Web comic 2009年6月13日 (土) 10:19 (UTC)[返信]
◆おれは、そうは思わないけどなあ。まあ根拠とする問題点の例示数が足らないということは言えるかもしれないけれども、このケースって「Wikipediaがちっちゃくまとまっていた時代の管理者がいつまでも居座ることが望ましいのか」みたいな問題の一端が垣間見えたことのように思いますしね。論じてみる価値はあるんじゃないでしょうか。--Nekosuki600 2009年6月13日 (土) 17:26 (UTC)[返信]
◆「管理者は一般利用者よりも方針を理解していなければいけないという特別視」については、管理者権限関連の方針なら避けて通れないところですが、今回の場合は管理者権限が全然関係ないところで管理者を持ち出していますから、話題が別でしょう(そもそも本当にcproさんや氷鷺さんが方針を理解していないのかどうか、から争点になりますが、ひとまずそれはおいて)。
で、管理者が特別な立場ではないことは言うまでもない。それでも、ある管理者が、「管理者だから」云々という人がいるのが現実だから、そういう口実(全然口実になってないんですが)を与えることを避けるために、できるだけミスはしないようにしようと努める、それは素晴らしいことです。ですが、それはあくまで自身のうちに留めておくべきことで、特別に誇るようなことではないし、ましてや他者に強制するようなことではない。
さらに言ってしまえば、例えばmiya.mさんは(移動差し戻しならそれだけですむところを)何の理由もなく有意な内容および脚注・参考文献を除去する白紙化荒らしに及んだことがあって、これは明らかに方針違反なんですけれども、そういう人が殊更に「管理者は範となるべし」みたいな理由で他の管理者に遺憾の意を示すというのは、ダブルスタンダードで全然説得力がない。ですから、そこまで他の管理者の行動が気になってしまうのなら、miya.mさん自身の信条に則って、まず最初にご自分から辞任したらどうですか、とお勧めしているのですが。--co.kyoto 2009年6月14日 (日) 03:53 (UTC)[返信]
  •   コメント 現状において管理者としての権限を与えたままでよいのか、と問われれば、基本的には他の管理者のカウンターが効くと思いますから権限を持たせておいてもいいんじゃないですか、というのが一応の理想論でしょう。非常に大雑把な話になりますが、権限行使の精度が95%ぐらいなら、残り5%のカウンターでトータル90%、カウンターにかかる余計な手間差っぴいても80%ぐらいはプラスですから。ただ、過去の管理者経験から勝手に言わせて頂けば、他の管理者によるカウンターをそこまで期待することはできないと思う(中川昭一ぐらい自明に逸脱すればもちろんカウンターできるのですが、微妙な案件は判断が異なっていてもカウンターしづらい、という空気がある、まあ私が勝手に感じていただけかもしれませんが)ので、逸脱を許容する閾値はあんまり大きくしない方がいいんじゃないかな…とは申し上げておきます。--co.kyoto 2009年6月14日 (日) 03:53 (UTC)[返信]
  •   コメント えーと。
    まずは、おれがMiya.m氏から受けたブロックについての感想。おれとしては報復攻撃として管理者権限のブロックを使ったものだと認識しています。そしてそれは、管理者としては極めて不適切な行動であったと判断します(念のためですが、別段そのことをうらみに思っての報復的批判なわけではありません。他にもMiya.m氏の管理権限行使には不適切なものがいっぱいあるという印象を持っていますが、それを探すのはけっこう面倒で、手っ取り早くすぐにみつかる自分の事例を持ってきたというだけ)。
    当該ブロックは、2008年9月28日 (日) 15:41(UTC) に「3日だから裁量でいいだろう」ということなのでしょう、独断でかけられています。理由は「暴言・嫌がらせ」。これについては、Cpro氏よって、早くも2008年9月28日 (日) 17:04(UTC) に解除されています。ま、不適切なブロックであったとCpro氏は判断したということでしょう[1]。このケースについては、管理者間の相互監視はちゃんと機能したと言えるように思っています。
    率直なところ、Miya.m氏の管理権限行使は、おれにはその正当性がよく理解できないことが多いです。上記のケースについても、どなたかが「配偶者であるMiya氏に対してNekosuki600が批判をしたからではないか」と疑っておられます(このブロックについては、それは違うだろうとおれは思うのですが)。おれはというと、Miya.m氏によるビギナーへの注意[2]について、Wikipedia上でだったかにちゃんねるでだったか覚えていませんが「極めて不適切で見識を疑わざるを得ない」という厳しい判断を明示したことへの報復だったのだろう、と考えています。
    狭い範囲のコミュニティでほそぼそとやっていた時期のWikipediaならば、ある意味「超法規的」な運用ってのもありだったのじゃないかと思います。というか、規模が小さいときにルールでぎちぎちに縛るのは逆効果かもしれないし、そもそもルールの確立なんぞに振り向けられる人的資源だって限られていたでしょうから。しかし今となっては、Wikipediaは総体としてけっこう大きなコミュニティとなっており、どちらかというと「超法規的措置」というものは逆にトラブルを引き起こすものとなってしまっているように思う。そしておれは、Miya.m氏は、「狭いコミュニティで、あまりルールで縛ることをせず、時として超法規的(ルールに明記されていない)措置も容認された時代」を引きずっており、すでに状況は変わっているのだということが認識できていないように思うのです。
    このまま管理者を続けることで、初期の貢献まで打ち消してしまうようなことになっては残念であろうと、おれは思います。何か問題を発見したならば管理者でありMiya.m氏の同居人でもあるMiya氏[3]を説得して管理権限を行使してもらえば済むことではありませんか。また、管理者間の相互監視・カウンターへの期待という意味でも、あまりに近しい古参の夫婦がともに管理権限を持っているということは、望ましいことであるようには思いません(一般論としてはそれが問題だとはあまり言いたくないのですが、おふたかたは大変仲が良いように思われ、あまり意見が対立するところを見た覚えがないので、管理権限の行使に関する相互監視・抑制といった期待は持てないというのが率直な感想です)。
    結論として。おれもMiya.m氏はそろそろ辞任をご検討になってはいかがなものだろうかと考えます。
  1. ^ 暴言とされた発言については、その取り消し履歴でご確認ください。また、当該やりとりの内実についてはこの差分でご覧ください。
  2. ^ この差分を参照のこと。なお、この差分で「ピンボケ写真をアップするな」とMiya.m氏に罵倒された方の写真については、その後「貴重な古写真である」という評価が固まっているものと思います。行うべきだったことは「項目へのバランスの良い写真の提供方法」であり、古い貴重な写真を提供してくれる方に対して「ピンボケ写真」などという罵声を浴びせることではなかったと、わたくしは考えます。
  3. ^ 現時点のMiya.m氏のユーザページでの記述による。
--Nekosuki600 2009年6月14日 (日) 15:21 (UTC)[返信]
  •   コメント 今回の依頼の直接の原因と思われるWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト テンプレート/お知らせテンプレートの件は、それほど問題視するに及ばないと思います。私自身も当事者の一人ではありますが、運営を巡る考え方の「通常あり得る範囲内」の相違に過ぎないと思います。確かに逐一「管理者の」などと付した上でのコメントは多少疑問に思いましたが、感想といえば単に「そういう見方もあるのか」「議論の終結が少々拙速だったかな?」程度であり、あえて言えば「あそこまで強い危惧を示されるほどのことかいな?」くらいのものです。既に本題であるテンプレートの廃止問題は、落としどころに沿って動いていますし、殊更「辞任」を持ち出すこともないと思うのです(とは言え、それ以外の被依頼者の言動に関するこれまでの経緯を見る限りでは持ち出す側の気持ちも分からないでもない。一応miya.mさんも、このように思われているということは、気に留めておいて頂きたい)。--ろう(Law soma) D C 2009年6月15日 (月) 05:50 (UTC)[返信]
  •   コメント これまで Miya.mさんとはまったく関わることが無かったのであまり彼のことは知らないのですが、管理者権限の有無に関わらず、管理者云々と特別視するような発言/させるような風潮を生み出す発言は非常に問題だと……その問題「だけ」で管理者としての素質を疑わざるを得ないと考えています。(極めて個人的な考えで、あまり賛同を得られないとは思いますが) Miya.mさんは考えを改め、発言を撤回すべきだと思いますし、そうされないのであれば自発的に辞任して頂きたいと思います。依頼者や他の方が挙げてくださった問題については、まだよく見ていないのでコメントは控えさせていただきますが、普段の行動が如何なものであれ、仮に素晴らしい利用者・管理者であったとしても(もしそうであれば尚更)、前述のような行為ひとつだけで「個人的には」解任票を投じるに値します。--氷鷺 2009年6月15日 (月) 09:54 (UTC)[返信]
  • (コメント)今年2月1日以降の179件に目を通しましたが、自分の目には、ここで指摘された以外に不適切な管理行為はありませんでした。精度を言うなら良い仕事ぶりでしょう。
Nekosuki600さんなら問題視するだろうな、と思うものは5件ほどあります。つまり短い記事の即時削除です。企業記事(カブ知恵新大阪サニーストンホテル亀屋芳広)、サークル記事(森谷孝行探検隊)、音楽CD(ルーラ (デュオ))。この点を責めるなら他の管理者(たとえば新大阪サニーストンホテルでのTan90degさん)も同じで、古くからの人だから、という話ではありません。
その他指摘された諸点については、中川昭一の保護を除き、特別問題視することではないと思います。もし問題だとしても、周囲に制止されても止まらず大変な面倒をかけたとか、人の注意を無視して同じことを二度も三度も繰り返しているというようなことはありません。miya.mさんにはぜひ管理者として仕事を続けていただきたいと思います。
Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト テンプレート/お知らせテンプレートの件ですが、管理者が方針を良く知っているべきか、その程度が管理者でないユーザーより大きいか、管理者の方針無視は一般ユーザーのより重大かと問われたら、私はいずれも「はい」と答えます。さらに、Web comicさんやNekosuki600さん、co.kyotoさんのような管理運営に関わるベテランユーザーを主語にして一般ユーザーと比べるなら、上の三つの問いに全部「はい」と答えます。そして、管理者と管理に関わるベテランユーザーに、方針の理解について求められる程度に違いはないと思います。一般ユーザーはこうした人たちより方針に詳しくなくていいし、間違いが多くてもいいのです。その上で、管理運営に関わるベテランユーザーが方針を無視したときと、管理者が方針を無視したときの害の程度を比較すれば、管理者が無視したときのほうが大きいです。そういう意味で、管理者は特別視されてよいし、してよいのです。実際、Miya.mさんをここで批判している人たちは、まさにこの意味で管理者を特別視しているからこそ、管理者権限行使と無関係の言葉を重大視しているのではありませんか。
それは、議論での平等扱いとは別次元の問題です。Miya.mさんが管理者を強調した意味は、「管理者の方針無視は重大だ」ということでした。それを「管理者の特別視」という言葉で架橋して、「議論の場で管理者の意見は一般ユーザーより優先する」ということまで含めさせているところはないでしょうか。
Miya.mさんの問題の書き込みは冷静さを欠いていましたので、感情の力学として、強い反作用が返ってきたのはしょうがないです。しかし、本人が言っていない意味まで抽出して方針無理解と決めつけるのは穏当ではありません。翌日に対人コメント依頼を出すのは、なお穏当ではありません。頭に血が上って失言→袋叩き→提案否決→おしまい、でいいではないですか。--Kinori 2009年6月15日 (月) 14:45 (UTC)[返信]
廃止の手続きに問題があったとは思いません。あの場でのMiya.mさんの意見は、はじめから無理な筋だったと思っております。無理を無理に通そうとしたからああいう発言になったのだろうなあ、と。--Kinori 2009年6月16日 (火) 01:04 (UTC)[返信]
了解です。Miya.mさん主観では「方針を無視した」と受け止めていたのでああいう物言いをしたと。--ろう(Law soma) D C 2009年6月16日 (火) 05:05 (UTC)[返信]
  •   コメント まず、権威に対して壁を作る人種はどの時代にも存在します。とりわけ礼節をわきまえないコメントを残している方の意見は参照するに値しないでしょう。さて、管理者の方々からも痛烈な批判があるようですが、私はこの考え方のギャップこそが健全な管理体制を生み出すと思います。私もそこそこの規模のサイトで管理を行っていますが、Wikipediaのように多角的な情報を載せるようなサイトでは無いので、一定の方向性の統一さえあれば問題なく管理できます。しかしWikipediaではそうはいかないでしょう。基本理念は別格ですが、ルールについては時間の経過と共に変わって然るべきだと思います。私のような利用者の立場としては、今その時点で存在するルールを遵守するわけですが、管理者がそれに凝り固まっていると、サイトは風化します。また、管理者の権限についてですが、特別視して何が悪いのか私には分かりません(Kinoriさんに同意)。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト テンプレート/お知らせテンプレートにおける議論は、コミュニティーの総意で完結すればいいですし、健全な管理体制という意味でMiya.mさんの今回のような立ち位置は問題視せずとも良いと思います。あえて言うならば、管理者限定で話し合う場の設置でしょうか。見苦しいと言えば見苦しいですし、最初に申し上げたような人種に攻撃させる切欠を与えてしまいますので。--Oh H 2009年6月16日 (火) 05:49 (UTC)[返信]
  •   コメント ウィキペディアの方針解釈や「行動規範(?)」について、管理者と一般利用者のどちらにより多くが求められるか、といえば、それは権限の多い管理者であることは自明であり、この点はKinoriさんと考えを同じくするものです。しかし、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト テンプレート/お知らせテンプレートの議論でことさら管理者であることを持ち出されたのは不適切だと思います。手続きに瑕疵があるというなら、その瑕疵を無くすようご自分で動くこともできます。現に、そのように実行された方がおられます。それをせず、実質手続き論のみで反対意見を示されたのは「反対のための反対」に見えました。このあたりの心情的には、co.kyotoさんと近いものがあります。もっとも、私は管理者の辞任を勧めるつもりはなく、「管理者なんだから遺漏なく手続きすべき」と主張するのなら、そのお手本になるよう努めるべきで、反面教師のようなふるまいはなるべく慎んでもらいたい、と願うわけです。
被依頼者は、「執筆コンテスト」などに積極的に参加され、エントリ記事の表彰経歴もお持ちの優れた執筆者であると同時に、個人的に暖かい励ましの声をかけていただいたこともあり、一利用者として尊敬しています。管理者権限行使の点では大して知りませんが、特段の否定材料はないものと思います。ただし議論姿勢では、よくも悪くも「説教好きの頑固オヤジ」という印象があります。これは挙げるかどうか迷いましたが、過去、被依頼者とのやりとりの結果ウィキブレイクされた方や、そこまでいかないにしても、どうなるかとハラハラさせられたことがありました。もし、今回の件が別の管理者辞任の引き金になったとするなら、たいへん不幸なことだと思います。Miya.mさんには、相手を傷つけてしまったときのフォロー、あるいは、言い過ぎる前の自制といったことに配慮していただけるとありがたいです。--みっち 2009年6月16日 (火) 10:47 (UTC)[返信]
  •   コメント とりあえず一点。「管理者としての権限を与えたままでよいのか」というのは間違ってる。管理者の投票等に精を出す酔狂な人々はともかく、wikipediaの利用者の大半は「権限を与えている」という意識は無い。管理者自身も「権限をもっている」という意識はあるだろうけど、一般利用者から「権限を与えられている」という意識は無いだろ。どちらかというとウィキメディア(なのかな詳しく知らないけど)から「権限を与えられている」と思ってるぞ。本人らは否定するだろうけどね。閑話休題。慣れが生んだ慢心の所以でミス多発、管理権限(最終兵器)の長期使用で感覚麻痺・方針(憲法)無視して専守防衛的になりつつあるってこったろ。結局、ある種の緊張感を致命的に失ってるわけで、こういうのは他人が横から「初々しかった頃を思い出せ!」とか言って直る性質のものじゃないと思うな。これは広域ブロック関連でメチャクチャな事をやったFaso氏にも当てはまる。どっかで幕引いてもらわなきゃ困るんだけど、いろいろとしがらみがあって難しいんだろうな。あと、管理者相手のコメント依頼は、他の管理者や秀逸なんちゃらやなんちゃらコンテストの常連がワラワラ出てきて結局「○○さんは素晴らしい」で締められる事が多いわけで、なんつーか、戦い方を間違ってる。井戸端とかで議論参加呼びかけて一般利用者を大量に呼び込まないと「潰される」ぞ。最初からそのつもりなら構わないが。--219.99.105.95 2009年6月25日 (木) 14:49 (UTC)[返信]
  コメントあー、この意見の流れでそういうことを言っちゃえる方が「間違ってる」と思う。--ろう(Law soma) D C 2009年6月26日 (金) 00:02 (UTC)発言の前提が私の誤解であったので謹んで謝罪し撤回する。--ろう(Law soma) D C 2009年6月29日 (月) 03:36 (UTC)[返信]
  •   コメント Miya.mさんとは私はこれまで一度も関わったことがないのですが、ここまでの議論を一通り読んだ感想を言わせて頂きます。今回の依頼で被依頼者のMiya.mさんからはコメントを頂けないまま議論がそのまま放置され、その事について本人から一言ももらえないのであれば、確かにMiya.mさんが普段から「一利用者として管理者を特別視」していると誤解されても仕方ないと私は思いました。Miya.mさんは2004年から長い事ウィキペディアに参加されている優秀な執筆者で、ウィキペディアにも多大に貢献されてなさる方だけにその点については非常に残念だと思いました。今回のWeb comicさんの依頼の仕方や、保護の解除を依頼しなかったやり方には疑問が残りますし、良くない部分もあったかと思います。管理者だって人間ですからときには誤った判断を下してしまうこともある、と私は思いますし、その失敗を責められる側の立場も大変だと思いました。色々と乱文失礼しました。--Kingofclub13 2009年6月29日 (月) 19:16 (UTC)[返信]
  •   コメント Miya.mさんとは私はこれまでWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 航空/項目名/指針策定2等で会話したことがありますが、敬愛するウィキペデァンのひとりです。よくいえばなかなか骨のあるお方だと存じます。プロジェクトの大勢に反して論陣を張ったりしてね。ただ管理者として、あそこまで踏み込まなくてもどっぷりと当事者に浸ってしまっていいものかと、、。他の管理者の好意をウィキメールで牽制しつつの行動はいやはや御苦労なことだなぁと思いました。航空プロジェクトの項目名が今でも「大変だなぁ」の状態にある遠因の一つが失礼ながらMiya.mさんにもあったと今でも思っています。あと、今ではご夫婦別の名前ですが、前は一緒にして(B-29なんかの記事)いました。「李下に冠」ですからネ、、、。説教する頑固爺さんが尊敬できるキャラクターのうちはいいのですが、その財産が今のままでは尽きてしまいそうな気がしてます。papamaruchan22 2009年7月1日 (水) 14:49 (UTC)[返信]
  •   コメント Kurihayaさんや、何が「良き親父」なんだか私の知ったこっちゃないですが、自分ルールで逸脱しまくっても「いいお父さん」ならばコミュニティをオブラートに包んで欺けるとか、好きなようにやっても誤魔化せるなど、斯様な感情なり観念論など振り回さんでもらいたい。私としましては、Nekosuki600さまのご意見にまったく同感です。Miya.m氏におかれましては、今回は免れても近い将来には氏の解任依頼が通過し、某元管理者のように強制的にその任を追われる前に、いまこそ潔いご決断を! これが私の意見です。--113.33.174.104 2009年7月10日 (金) 15:47 (UTC)[返信]
  •   コメント 私はいくつかの記事で、Miya.mさんの手腕を拝見する機会がありました。不祥事を起こしてしまった人物・企業・団体などの記事において、その不祥事を無用なまでにあげつらうような加筆や誹謗中傷的な加筆が暴走ぎみなときに、よく登場してくださいます。それぞれの記事が、まるで大衆週刊誌のゴシップ記事のようになるのを防いでくださっていると思います。Miya.mさんの問題よりも以前に、各投稿者の、マスコミ報道を鵜呑みにして他人の非を喜んであげつらうような記述を書き連ね、それを妨げられると「事実なのに書いて何が悪い!」と言わんばかりに喰ってかかるような、そんな各投稿者のほうに、何か性格的な欠陥があるのではないかという気がしてしまいます。ただ、もし仮に、Miya.mさん御自身が、こんなWikipedia日本語版の(その一部の投稿者の)あまりの幼稚さに幻滅し、お疲れであられるようでしたら、今後については御自身で判断していただきたいと思います。--しまあじ 2009年7月18日 (土) 05:26 (UTC)[返信]
  •   コメント - このコメント依頼が提出されて、すでに2ヶ月以上も経ちました。それなのに、被依頼者(Miya.m)さんからのお返事がありません。どうしたのでしょうか。
    コメント依頼での被依頼者は必ずコメントをしなければいけないというルールはありません。そのことぐらいは、私も知っております。しかし、これだけ多くの人たちから関心を持たれてコメントが寄せられているのですから、それに対して何か反応することが大切なことではないでしょうか。
    ウィキペディア百科事典づくりは、参加者が共同で作りあげるものであり、また、他の参加者との対話を重視しながら合意を形成し、質も量も世界最高・最大の百科事典を創り上げることを目指しています。このことは、Miya.m さんならば百も承知のはずですよね。是非、他の参加者の皆さんに、被依頼者さんのコメントをお願いします。--日輪 2009年8月18日 (火) 01:20 (UTC)[返信]