Wikipedia:コメント依頼/YOKOTA Kuniteru 20150502

利用者:YOKOTA Kuniteru会話 / 投稿記録 / 記録さんの言動について、コメントを依頼します。 被依頼者は2012年にもWikipedia:コメント依頼/YOKOTA Kuniteruを提出されています。--ぱたごん会話2015年5月2日 (土) 05:39 (UTC)[返信]

その1 杉原千畝 編集

杉原千畝で執拗に関連項目の抜き差しを行っています。あまり関連が無さそうな項目を関連項目に付け加え、ことに自分が大きく関わった大川常吉を付け加えることにこだわっています。氏が関係あると考えること自体は問題ではありません。しかし、それは関連項目に加えるのは適切ではないと考える複数の利用者の意見を無視して強行しています。

その2 書誌情報、脚注の付け方のみの変更 編集

脚注や書誌情報のつけ方は人それぞれです。<ref>・・</ref>が好きな人、<ref name="unntara">が好きな人、{{sfn|誰々|いついつ|p=何ページ}}を好む人いろいろ方法はあるわけです。書誌情報についてもだれそれ著『なんとkについて』どこどこ出版、何年、ISBN=○○とべたべた書いていく方法を好む人、{{harvnb|誰誰|何年|p=}}と{{Cite journal |和書|author=誰々 |date=いついつ以下省略}}の組み合わせを好む人}、{{sfn|誰々|いついつ|p=}}と{{Citation |author=誰々| year = いついつ | title = なになに|以下略}}の組み合わせを好む人、他にもさまざま方法がありますが、それぞれ主筆者が自分にとって作業をしやすい方法を取っています。どの方式でなければならないということはありません。しかし、YOKOTA Kuniteru氏は脚注の付け方、書誌情報の書き方を一部だけ書き換えていくことを頻繁に行っています。記事の質の向上になんら貢献が無く自分の好みを押し付けて回るのでは、主筆者が新たに書き加え・修正をするときにやりにくくなるばかりです。もちろん記事は誰かの物ではないので、YOKOTA Kuniteruさんがその記事の質・量を向上させる際に自分がやりやすい方法をとるのは良いでしょう。しかし、記事の質になんら質ないで、脚注の付け方、書誌情報の書き方を自分好みに変えていくだけの編集は何のメリットもないばかりか、主筆者がやりにくくなるデメリットしか生じません。・・と考えます。

依頼者コメント 編集

記事の書き方はそれぞれです。たいていの人は良かれと思ってやっているのでしょう。YOKOTA Kuniteruさんも自分の中では良いことをなさっているおつもりなのでしょう。しかしながら、結果的には不要な記述の追加、自分の好みの押し付けばかりの活動になっており、ことに優良な執筆者であるTizizanoさんを疲弊させている行為は好ましくないとおもいます。--ぱたごん会話2015年5月2日 (土) 05:39 (UTC)[返信]

被依頼者コメント 編集

ぱたごんは2012年にWikipedia:コメント依頼/ぱたごん20120804を提出されているようである。

Tizizanoは2013年にWikipedia:コメント依頼/Tizizanoを提出されているようである。

ぱたごんには 「利用者‐会話:YOKOTA Kuniteru#杉原千畝でのこと」において次のように指摘した。


"ぱたごんによる杉原千畝の項目の編集「2014年12月17日 (水) 11:25 (UTC)」、「2015年4月29日 (水) 10:12 (UTC)」は、「Wikipedia:記事の所有権#複数の編集者による私有化」、「Wikipedia:記事の所有権#私有化の振る舞いの例」等に抵触する。「複数の編集者による私有化」に関してぱたごんは、Tizizanoをかばっている。「私有化の振る舞いの例」に関してぱたごんは、「Wikipedia:記事の所有権#私有化の振る舞いの例」に例示されている「行動 1. ある記事について、レイアウト修正・画像挿入・言い回しの推敲といった細部の変更についてであっても毎回異議を申し立てる。」等に該当する。"[返信]


このコメント依頼においてもぱたごんTizizanoをかばっているようである。このコメント依頼において「もちろん記事は誰かの物ではない」(その2 書誌情報、脚注の付け方のみの変更)とぱたごんは仰るのであるから、Wikipediaに記事の所有権がないことはご理解いただけたようである。ぱたごんの仰る「主筆者」(その2 書誌情報、脚注の付け方のみの変更)という概念はどのこから来るのであろうか、教えていただきたい。Wikipedia:方針とガイドラインの一覧のどこかにあるであろうか。検索結果: 主筆者においては、それを用いる方針とガイドラインはない。

あまり関連が無さそうな項目を関連項目に付け加え」(その1 杉原千畝)とぱたごんは仰るが、ベニート・ムッソリーニ#民族・人種政策が追加されたのは2014年5月10日 (土) 04:47 (UTC)であり、IP利用者の「IP:133.218.159.141会話 / 投稿記録」による追加である。[返信]

再度、以下のWikipedia:ノートページのガイドライン#認められない行為 2015年2月18日 (水) 12:18‎ (UTC) 時点における最新版を確認していただきたい。

  • 他の人の行為を歪曲して伝える:他の利用者の行為や発言に言及する時には、正しい文脈とともに正しく伝えなければなりません。基本的には以下に注意してください。
    • 引用する場合は正確に。
    • 他の利用者の編集や発言に言及する際には差分機能を利用する。差分ページを利用すれば、常に編集や発言を正しく示すことが出来ます。
— Wikipedia:ノートページのガイドライン#認められない行為、2015年2月18日 (水) 12:18‎ (UTC) 時点における最新版

大川常吉に関してであるが、杉原千畝が語られる時、大川常吉も語られるのである(東洋経済日報)。杉原千畝と大川常吉は学校教育の道徳において同じ授業の中で扱われている(群馬県総合教育センター『平成17年度 特別研修員研究報告書』)。李修京は自身のコラムにおいて杉原千畝と大川常吉を扱っている(李修京研究室-コラム - 東京学芸大学。その大川常吉を関連項目から削除することを強行する者がいるようである。

ぱたごんは「記事の質になんら質ないで、脚注の付け方、書誌情報の書き方を自分好みに変えていくだけの編集は何のメリットもないばかりか、主筆者がやりにくくなるデメリットしか生じません。・・と考えます。」(その2 書誌情報、脚注の付け方のみの変更)と仰る。「Wikipedia:記事の所有権#私有化の振る舞いの例」には次のような文言もあるのでご覧いただきたい。ぱたごんの仰る「主筆者」という概念にも関連する。

発言 1. 「あなたには、この記事を編集するにふさわしい資質があるといえるのでしょうか?」
発言 4. 「この記事は、私/彼/私たちによって作成された(大部分の記事を書いた)のです」(そのことを理由に何かしらの不適切な権利や地位を主張する)
— Wikipedia:記事の所有権#私有化の振る舞いの例、2013年6月23日 (日) 11:00‎‎ (UTC) 時点における最新版

また、ぱたごんはIP利用者の「IP:125.30.66.22会話 / 投稿記録」による2015年4月29日 (水) 14:39 (UTC)の版を、「出典つけてください。検証可能性を読んで下さい」と要約欄に記述して2015年4月29日 (水) 14:55 (UTC)において取り消した後、2015年4月29日 (水) 15:02 (UTC)において自身の取り消し自体を取り消しているが、何がしたかったのであるか。[返信]

--YOKOTA Kuniteru会話2015年5月2日 (土) 08:14 (UTC)[返信]

「杉原千畝が語られる時、大川常吉も語られるのである」← まったくの間違い。関東大震災の朝鮮人殺害と杉原千畝が結び付けられるなど、例外的な書き手によるまれなる関心に過ぎず、この項目杉原千畝の他の関連項目のように普遍的な説得力があるものでありません。また書き手の(0)氏なる人物は、杉原千畝のこれまでの研究において意味のある名前でもありません。このような事項を関連項目にしたら、関連項目は千にも万にもなるでしょう。Tizizano会話2015年5月2日 (土) 12:49 (UTC)[返信]
「学校教育の道徳において同じ授業の中授業の中で扱われている」← これも誤り。例えば、杉原千畝と広田弘毅のような項目理解に必須の事項ではなく、若干の教員の特異な関心が、単に例外的に存在するに過ぎません。「関連項目」とは、例えば松岡洋右とかリトアニアとかいったものでしょう。例外的な関心を通則のように扱う発想自体が大きな誤りです。Tizizano会話2015年5月2日 (土) 12:56 (UTC)[返信]
「例外的」と仰るのはわかるが、大川常吉を参照することにより、杉原千畝の中国人に対する態度にどのような価値があったのか、理解が更に深まるであろう。杉原千畝が朝鮮人に対してどのように振る舞っていたのかは存じない。← ですから、百科事典ですから、価値観を持ち込む場所ではないんですよ。「大川常吉はユダヤ難民とは何の関係もないとみられる」← 「みられる」ではなく、事実として関係ないのです。Tizizano会話2015年5月5日 (火) 13:19 (UTC)[返信]
  • 「価値」という言葉を、意図しない方向にTizizanoが解されるので解説する。
      "杉原千畝の中国人に対する態度にどのような価値があったのか、理解が更に深まるであろう。"
    ここにおいて、重要な部分は、「理解が更に深まる」という部分である。ここにおける「価値」は、「性質」、「位置」等のつもりで使用した。
      "大川常吉は「日本のシンドラー」とも呼ばれているわけである。大川常吉はユダヤ難民とは何の関係もないとみられるが、そのように呼ばれている。"
    ここにおいて、Tizizanoは「大川常吉はユダヤ難民とは何の関係もないとみられる」、この部分だけを抜粋して仰っているが、ここにおいて重要な部分は、大川常吉が「日本のシンドラー」と呼ばれているという部分である。大川常吉が「日本のシンドラー」と呼ばれているのは事実である。ナチス・ドイツに迫害を受けていたユダヤ系の人々と関係がない人物は「シンドラー」と呼んではいけないという協定か何かがあるのであるか。
    TizizanoWikipedia:コメント依頼/YOKOTA Kuniteru 20150502 2015年5月5日 (火) 13:19 (UTC)において改ざんを行っている。また、第三者コメント欄に記述していないことを既に指摘したのであるが、依然として第三者コメント欄に記述していない。「Wikipedia:投稿ブロックの方針#悪戯・荒らし・破壊行為」における「他の利用者の署名付きコメントを改竄すること、故意に紛らわしい編集をすること」等を参照いただきたい。[返信]
    --YOKOTA Kuniteru会話2015年5月11日 (月) 00:29 (UTC)[返信]
YOKOTA Kuniteruさん。"杉原千畝の中国人に対する態度にどのような価値があったのか、理解が更に深まるであろう。" ← まったく違うでしょう。こんな理由をして、項目杉原千畝の関連項目を作って行けば、中国人のところに「◯◯人」を代入すれば無限の組み合わせが出来てしまい、あなたの恣意で森羅万象すべて関連項目になってしまいます。いい加減にして頂きたいものです。Tizizano会話2015年5月11日 (月) 20:57 (UTC)[返信]
他の利用者の署名付きコメントを改竄すること、故意に紛らわしい編集をすること — Wikipedia:投稿ブロックの方針 1 投稿ブロックを実施すべき場合 1.1 悪戯・荒らし・破壊行為、2015年1月26日 (月) 07:58 (UTC) 時点における最新版

   --YOKOTA Kuniteru会話2015年5月13日 (水) 17:21 (UTC)[返信]

 "杉原千畝の中国人に対する態度にどのような価値があったのか、理解が更に深まるであろう。"ここにおいて、「他の日本人との比較」が黙示されていることをTizizanoにはおわかりいただけなかったようであるので、ここに明示した。杉原千畝と他の日本人を比較し、杉原千畝の態度の性質・位置等を確認するのである。日本人・杉原千畝の態度を知るために有用な人物は限定される。日本統治時代の朝鮮における杉原千畝の朝鮮民族に対する態度の研究が進めばなおよろしい。← まったく項目杉原千畝とは無関係のことばかりです。「杉原千畝の朝鮮民族に対する態度の研究」云々は、同項目が杉原の事跡の紹介であることを無視して、あなたか恣意的に追加したテーマであり、「◯◯民族」などと言い出したら、関連項目は無限大に増加してしまいます。あなたの「関連項目」へのご指摘は、まったく説得力がありません。Tizizano会話2015年5月14日 (木) 20:09 (UTC)[返信]


リトアニアや満州は赴任地なので無関係と思う人はいません。「朝鮮」云々はあなたの主観的な思い込みであり、説得力を持ちません。Tizizano会話2015年5月18日 (月) 10:56 (UTC)[返信]


杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 - 1986年(昭和61年)7月31日)は、日本官僚外交官第二次世界大戦中、リトアニアカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くが、ユダヤ系であった。海外では、「日本のシンドラー」などと呼ばれることがある。 — 「杉原千畝」冒頭部分、2015年5月4日 (月) 07:49 (UTC) 時点における最新版

   Tizizanoが記述すべき場所は第三者コメント欄である。既に四度、指摘している。
   --YOKOTA Kuniteru会話2015年5月18日 (月) 13:50 (UTC)[返信]

コメントではなく、「コメントに対する所感」です。「所感」がコメントと離れた場所にあったら、何に対する所感かわからないでしょう。Tizizano会話2015年5月18日 (月) 22:57 (UTC)[返信]
"本文中に書いてあるものは多少除外したほうがよいと思うのであるが。「カウナス」、「リトアニア」などは冒頭に書いてある。" ← まったく意味不明。そんな発想では、関連項目はなくなってしまいます。余計なのは、あなたが主観的な恣意で付加された関連項目です。Tizizano会話2015年5月18日 (月) 22:57 (UTC)[返信]


  • 指摘があるにもかかわらず、理由なく第三者コメント欄に記述しないことは、不誠実な行為といえよう。Tizizanoは、理由があるのであれば、総計五度指摘される前に理由を述べるべきであった。Tizizanoの理由に基づくと、例えば「コメント」がコメントと離れた場所にあっても、何に対するコメントかわからないのではなかろうか。すなわち、Tizizanoの記述が所感であるかコメントであるかは、第三者コメント欄を使用しない理由にならない。
    Tizizanoは「何に対する所感か」という理由を述べたので、以後、「何に対する所感か」わかるように、引き続き被依頼者コメント欄を使用すればよろしい。
    Tizizanoは最初の所感「Wikipedia:コメント依頼/YOKOTA Kuniteru 20150502 2015年5月2日 (土) 12:49 (UTC)」において、東洋経済日報 (「朝鮮人狩りから救った大川署長」 2005/07/08)の「書き手の(0)氏なる人物は、杉原千畝のこれまでの研究において意味のある名前でもありません。」と仰る。そのように、その都度、所感を述べるのが、杉原千畝のこれまでの研究において意味のある名前として登場しないTizizanoであるということになる。[返信]
    引用した「杉原千畝」冒頭部分に「ポーランド」もある。関連項目に「ポーランド」は必要なかろう。
    --YOKOTA Kuniteru会話2015年5月25日 (月) 19:27 (UTC)[返信]
何もわかっていない。杉原千畝は、主にポーランドの諜報機関から情報を得ていたのですよ。Tizizano会話2015年5月25日 (月) 22:16 (UTC)[返信]


記事内容を向上させようという真摯な姿勢がまったく見られませんね。Tizizano会話2015年6月1日 (月) 08:34 (UTC)[返信]


「悪戯・荒らし・破壊行為」などというのは、YOKOTA Kuniteruさんの意味不明の記事内容の追加にこそ当てはまるものであって、悪質な中傷以外の何ものでもありません。後は第三者のご判断にお任せ致します。Tizizano会話2015年6月4日 (木) 11:46 (UTC)[返信]

第三者コメント 編集