Wikipedia:井戸端/subj/「日本の高校野球」での議論

「日本の高校野球」での議論 編集

ノート:日本の高校野球である編集者の方と議論中なのですが「日本の高校野球」の内容を超える話になってきており、様々な疑問が沸いたのでコメント頂けるとありがたいです。

  1. 出典がある記述でも二次的な言及が無いという理由のみで除去の対象になるかどうか。
  2. Wikipedia:信頼できる情報源#概要に「私たちが記事に書くべきなのは信頼できる専門家の意見のみ」とありwikipediaは専門家の意見のみによる構成しか認められないものなのかどうか。また「日本の高校野球」において専門家として認められるのはどういった人物なのか。
  3. A観点の記事のみで構成されている(反A観点の記事を誰も書かないことから反A観点の記事が存在していない状態)節は中立的ではないという理由で一切排除できるかどうか。またその行為が反Aに肩入れ、擁護するといった意味で逆に反A観点の行為にならないかどうか該当するかどうか
  4. 例として「『白河越え』は死語に? 駒大苫小牧の優勝で地元心配」朝日新聞2004年8月23日を出典にして「成井英夫市長は高校野球で駒大苫小牧が優勝することで白河市の知名度アップに「貢献」をしたと述べた。」と私が仮に記事を作成した場合、この記事は<「白河市の知名度アップに貢献をした」ということを主眼に置くと文中の特定の部分だけを取り出したことになり、記事全体の趣旨に対して誤解を招きかねない>よって「ウィキペディアンの意見」でしかなく書いてはいけないと指摘を受けました。この指摘は妥当なのかどうか。
  5. 出典として書かれている書籍の題名を確認しただけで「プロパガンダ目的で中立性、信頼性の必要性が否定できない。」といった指摘をし記事を削除する行為が妥当なのかどうか(これについてはまた別の執筆者の意見です)。以上よろしくお願いします。--チンドレ・マンドレ会話2012年9月20日 (木) 15:48 (UTC)[返信]
  コメントノートも覗いてみましたが、それだけだとちょっと把握しかねます。編集の中身までは追っていません。
1.出典によります。信頼できる一次資料を、一次資料であることを踏まえて使うことはできますし、周辺的な言及でも使うことはできます。
2.「意見」は専門家のもののみであるべきだと思います。「事実」に関しては専門家ではないが当事者であるような場合は、有用だと思います。日本の高校野球についての「専門家」は、野球または教育の評論家や研究者、記者ほかジャーナリスト、一定の業績や知名度のある監督経験者といったところでしょうか。
3.記事全体の中でその節が占める割合が大きすぎるものにならないよう配慮したうえで、除去ではなく反AもしくはB観点の記述を追加することのほうが好ましいでしょう。中立的な観点は、Aを書く側にBを書くことも求めています。
4.部分的に取り出した結果、一部の観点が強調されるのならば、「ウィキペディアンの意見」が反映された記述と言えるでしょう。この記事は貢献のみを取り上げたものではなく今後知名度が得られなくなることへの不安も合わせて書かれているもので、見出しもそれを示しています。この例は、そのように書くべきではないですが、両面を併せ持った形で書くことはできるかもしれません(記事の文脈にもよりますが)。
5.書名や版元次第でしょうか。単に対立する一方の意見が書かれたものであれば、問題ないと思います。そうした情報源と、他の情報源を合わせて記述するべきであって、排除するべきではないでしょう。
といったところです。--Ks aka 98会話2012年9月20日 (木) 16:27 (UTC)[返信]
  コメントノートも確認してみました。入り組んでいたのですが、もっぱら「問題点と批判」節のことですよね。ざっと読んでみた限りでは、独自研究の傾向があり、改善の余地があると思います。
1.記事主題とその出典を使って何を記述しようとしているかに依存しますが、除去の対象になりえます。たとえば、WP:BLPでは記事主題人物以外による一次資料(自己公表物)は出典として使うことができません。一般論としては、一次資料を使った記述は、その資料のどのような点に着目してそれをどのようにまとめるかが編集者の裁量に全面的に任されるので、独自研究に陥りやすいです。他の編集者からその記述には二次資料が必要だと指摘されたら、二次資料を持ってくるしかないでしょう。その一次資料を第三者である専門家がどのように解釈してまとめているか、参考にすることになると思います。
2.基本的にはスポーツジャーナリストになるんじゃないですかね。一般論で言えば、査読や校閲など編集体制がそろっている媒体で、記事主題に関する見解を発表したことのある人、ということになるかと。
3.これは微妙ですね。私だったら除去する代わりに反A観点での加筆を試みると思います。とりあえず、文献調査をして、記事主題に関してどのような観点があるのかをまず調べるべきです。信頼できる情報源で反A観点もそこそこ言及されていることを知りつつ、ウィキペディア記事にはA観点しか記述しないというのであれば、欺瞞的なのであって、およそ中立的とはいえません。ウィキペディア記事では編集者が論争の主体とならないように、論争を記述することを目指すべきなのであって、誰がA観点を記述して誰が反A観点を記述するべきか、などといった論争のフレームを持ち込むべきではありません。
4.これも微妙ですね。その記述は出典となっている新聞記事タイトルとは逆の結論になっているので、適切な要約とは言えないとは思いますが、こんな短い記事はこのような使い方しかできないような気もします。そもそも論として、この新聞記事は「高校野球」という記事主題とは直接の関係がないのであって、出典としては不適切な気がします。白河越え白河の関成井英夫第86回全国高等学校野球選手権大会といったような記事で使うべき出典なのでは。
5.感覚としては分からなくもないですが、題名だけで判断するというのでは説得力はないでしょうね。著者や出版社、出版形態、内容など総合的に判断すべきでは。--Bugandhoney会話2012年9月20日 (木) 21:03 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。後2つほど確認したいことがあります。

1.「高校スポーツの光と影――いまだに「甲子園」ばかりが優遇される現実、ダイヤモンド・オンライン、2010年8月24日発行」は相沢光一氏の見解のみで構成された記事(一次資料)だと思うのですがこの記事を出典にして加筆することができるかどうか。
2.ガイドラインWikipedia:信頼できる情報源#概要の「書くべきなのは信頼できる専門家の意見のみ」(2012年6月1日とわりと最近にWikipedia:信頼できる情報源に加筆された記述だったようです[1])とある一方、方針Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源に<ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示してください。例えば、「イギリスのタブロイド紙『サン』によれば…」としてください。>とありつまり「○○新聞によれば~」とすれば記事を書けるということです。タブロイド紙は勿論読売新聞、朝日新聞などの意見は専門家の意見の範疇に入らないような気がするのですが大丈夫なのでしょうか。--チンドレ・マンドレ会話2012年9月22日 (土) 03:17 (UTC)[返信]

  コメント 高校野球に限らない「一般論」としてお答えします。

  1. 相沢氏の件に限らず「特定の執筆者(便宜上『A氏』とします)の見解のみで構成された記事」は「A氏はこのように見解を述べている」という「A氏の意見」として書くことは出来ると思います。これを、何か別の件に関する言及(例えば『A氏の意見(見解)は一般論に合致する』などと書く)のための出典とすることは、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に該当してしまう可能性が出てくるため、十分に留意する必要があると思います。
  2. ご質問の趣旨が少々曖昧なのですが、読売新聞、朝日新聞などの一般紙の意見を「信頼できる専門家の意見」とできるかどうかはケースバイケースだと思います。事実関係のみを判断するには一定の信頼度があると思いますが、事実関係に対して独自の見解を加えているような場合は注意が必要だと思います。ですので、新聞などで疑わしい観点の記述があった場合には、出来れば複数のソースをあたって、それを並列に記すのが妥当なような気がします。--Bsx会話) 2012年9月22日 (土) 04:09 (UTC)微修正--Bsx会話2012年9月22日 (土) 04:10 (UTC)[返信]
  コメント使って加筆できる。ただし、それを一般化してはいけない。P:NPOVとかWP:NOR参照。
英語版見たら This means that we only publish the opinions of reliable authors, and not the opinions of Wikipedians who have read and interpreted primary source material for themselves. ですから、「つまりこれは、われわれはただ信頼できる著者の意見を掲載するのであって、ウィキペディアンが自分のために一次資料を読んで解釈した意見を掲載するのではないということを意味します。」と訳すようなものじゃないかな。--Ks aka 98会話2012年9月22日 (土) 08:32 (UTC)[返信]
1も2も「高校野球」という記事主題の出典として問題ないです。特に相沢氏の記事は、高校野球の内容そのものから離れて社会との関わりを多面的に論じていて、ウィキペディア記事の出典としてむしろ積極的に使うべきようなものだと思います。ちょっと、話がかみ合ってないと思うのですが、相沢氏の肩書きは「スポーツライター」となっていて、週刊経済誌のオンライン版に掲載されたものですし、一般全国紙のスポーツ面に掲載された記事はその新聞のスポーツ記者によるものでしょう。これらはスポーツという分野に関する分析や解説を書く訓練を受けた人の手によるもので、記事を書いた人とは別の編集者による校閲などを経て著名な媒体に掲載されたものです。「高校野球」などという記事主題が学術誌で取り上げられることはまずないですから、スポーツライターによる記事や一般全国紙のスポーツ面の記事が出典として使えない、ということになれば、「高校野球」などという記事は書けなくなっちゃうと思います。「高校野球」という記事主題の一次資料といえば、選手や監督のブログや談話、高野連の談話、試合の組み合わせ、試合結果や内容、試合中継の視聴率、野球憲章などがそれに当たると思います。二次資料とはこれらを第三者がまとめたもので、相沢氏の記事は二次資料に当たります(相沢氏は高校野球の当事者ではないです)。
(Ks aka 98さんへ)それは「専門家」という訳語が限定的で適切ではないということですよね。--Bugandhoney会話) 2012年9月24日 (月) 16:44 (UTC)WP:RSを書き換えました([2])。--Bugandhoney会話2012年9月24日 (月) 16:51 (UTC)[返信]