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「百科事典」と事件記事 編集

最近発生した出来事に関する記事(以後「時事記事」とします)についての質問です。

まず、時事記事を書く事は是か非か、ということです。ウィキペディア百科事典です。百科事典というのは本来専門家が、アカデミズムが時間をかけて選別した「安全な」書物に基づいて執筆するものなのでしょう。新しい出来事には「安全な」資料はありませんし、状況は刻々と変化します。そういう意味では時事記事は「よい」題材とはいえないかも知れませんし、「百科事典に時事記事を載せるべきではない」というのは正論かもしれません。

その一方で、例えば「2013年ボストン・マラソン爆発事件」(2013年4月22日04:27(UTC)の時点で49言語版)、「中国四川地震 (2013年)」(同16言語版)、「アルジェリア人質拘束事件」(同18言語版)など、多くの言語版(この中にはインテリ層の比率が高いといわれる英語版ドイツ語版カタロニア語版などを含みます)で時事記事が作られているという現実もあります。現状を見れば、ウィキペディアはいわゆる百科事典というものとは違う方向に進化を始めているという考えも成り立つかもしれません。百科事典ではだめでも、ウィキペディアでは許されるという事なのかもしれません。

つまり「百科事典」というか「ウィキペディア」に時事記事を載せるのは筋というか、ウィキペディアとして良いことなのか悪いことなのかという事です。もちろん最終的には「方針に合致すればOK」なんでしょうが、良いことなのかどうか分からなければ、書く人もなかなかいないのではと思います。

次に、何か事件が起こった時にどうするかという事です。例えばウィキペディアとウィキニュースの使い分けです。英語版などではウィキペディアとウィキニュースが共存しており、ウィキペディアは全体像を描き、経緯や影響、出来事の背景等を掘り下げるのに対して、ウィキニュースはその時々の出来事を担当しています。たとえば今回のボストンの事件でいえば、ウィキペディアが「ボストンマラソン爆発事件」(Boston Marathon bombings)を作っているのに対し、ウィキニュースには「ボストンマラソンで複数の爆発が発生」(Multiple explosions hit Boston Marathon)や「ボストンマラソン爆発事件で2人の死亡を確認」(Two people confirmed dead in Boston Marathon bombing)などの記事が作られており、相互にリンクが張られています。「ウィキニュースでやれ」という人にはウィキニュースをごみ捨て場や流刑場のように考えている人が時々いますが、少なくとも英語版の基準からいえば間違いです。

また、時事記事を書く人が少ないのも問題だと思います。「時事記事」という意見もありますが、重大事件に関しては加筆する方が少ないのが現状です。起きない事を願いたいものですが、重大事件は今後も起きるでしょう。ウィキペディアは多くの人が見るものですし、内容がスカスカというのも何だかなあという気はします。執筆者にも生活がありますし、こればっかりは仕方がないのかもしれませんが。

最近は重大な事件が続いてますし、話し合う事にも一定の意味があるかなと思い立項しました。--Nissy-KITAQ会話2013年4月22日 (月) 05:42 (UTC)[返信]

  コメント百科事典には「出来事」の記事も含まれます。通常、百科事典の出版をする際には、ある時点で項目を確定させますから、その後現在に至るまでの出来事は収録できません。しかし、ウィキペディアは、紙の百科事典ではないですから、最近の出来事を扱うことも可能です。いわゆる百科事典から離れて変化・進化しようとしているのではなく、百科事典として変化しているのだと思います。
発生したばかりの出来事についての記事で、明らかに重大な、百科事典に含まれるべき主題については、記事にするべきです。しかし、発生したばかりの出来事が、すべて重大とは限りません。メディアでの扱いや、出来事の性質などから、単独記事とすべきか、別の項目に加筆するか、項目のなかで軽く触れるか、とりたててウィキペディアの中では扱わないとするか、ということを判断します。そうした判断については、ウィキペディア内には「ウィキペディアは何ではないか」や「特筆性」といった指針があります。また、既存の百科事典で扱われている、比較的最近の出来事の記事にはどのようなものがあるかを確認することは、判断の助けになるでしょう。
「ウィキペディアは全体像を描き、経緯や影響、出来事の背景等を掘り下げるのに対して、ウィキニュースはその時々の出来事を担当しています」。だから、その出来事の重大さが明らかになっていないものや、全体像を描けず、経緯や影響、出来事の背景などを掘り下げる情報が存在していない状態ならば、「ウィキニュースでやれ」と言われることになります。ウィキニュースをごみ捨て場や流刑場のように考えている人もいるのかもしれませんが、「何ではないか」を示してウィキニュースでやれと言っているからといって、ゴミ捨て場と考えているわけではないはずです。
「時事記事」を書く人は、少なくないと思いますよ。物性物理学の記事を書く人や、中央アジアの文化の歴史を書く人に比べれば、圧倒的に多いと思います。そうした記事よりも時事記事の充実を優先させるべきだ、という意見ならば、同意しかねます。
実際には、事件や災害などが発生した際に、百科事典の記事として、どう書けばいいのかがわからないまま編集する人が多く、しばしばニュース的な記事になっていたり、情報源が示されていなかったり、その扱いが未熟だったりと、問題の多く含んだ記事になってしまっていることが問題で、そういうことをわかっている書き手が少ないというべきでしょう。過去の百科事典の編集者はそういう作業を行っていないのですから、やむをえないところもあります。また、一定期間の後に、そうした記事の検証・整理を行う利用者も少ないのかなという印象を持っています。基本的には、将来に向けて充実した記事を作るというのが、百科事典の目的になるはずですから、報道などが一段落したところで、きっちりと全体像を描き、背景などを掘り下げることが重要になります。--Ks aka 98会話2013年4月22日 (月) 09:26 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。確かに「時事記事」には新聞記事を引き写したものや、内容が全くないものも多く、記事として体制が整っていないものが多いのは確かですよね。本来は大事件が起きた際に記事執筆のノウハウを持った人間が素早く骨組みを作ってしまえば妙な記事の作成も防げるのではないかとは思いますが、執筆者不足の現状ではなかなかそうもいきませんね。
今回井戸端で発言したのは、以前に井戸端で「時事関係の記事は全部ウィキニュースに移動してはどうか」という提案があり、それも極端かなと思ったのと、ウィキペディアンの中にウィキニュースの存在意義がいまいち浸透しておらず、そのことがウィキニュースが盛り上がらない一因ではないかと思ったのがきっかけです。「他の記事よりもとくに時事記事に人数を割くべき」だとか「事件はすべて立項すべき」といった意図ではありません。こうして考えてみると、結局は「方針に従いつつ内容のある記事を作って、アフターケアする」という当たり前のことに帰ってくるのかなと思います。--Nissy-KITAQ会話2013年4月27日 (土) 07:55 (UTC)[返信]