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「自主公表された情報源:公式サイト」の解釈について
編集清史弘という塾講師の、評価についての記述についてノートで議論を行っています。人物節の中に「~多くの指導者からも定評がある」という記述を残そうとしている編集者は、公式サイトのプロフィールを出典として掲載を主張しますが、これに対して、Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイト(またはWikipedia:信頼できる情報源#公表者自身についての記事内での自己公表された情報源)の「過度に自己を美化するもの」にあたるため、中立的・第三者による信頼できる情報源によらない評価は載せるべきではない、という意見が出ています。
現在、「自主公表された情報源:公式サイト」の解釈について対立しています。掲載を主張する側は「公式サイトのプロフィールは、本人ではなくマネージャーが記述したものである(Twitterによって本人が表明)。別の人が書いたのだから自己美化にはならない」、掲載に反対する側は「本人が書いたかは問題ではなく、公式サイトに公表されたものは自主公表された情報源に該当する」、それに反論して「本人でない別の人間が書いた物ではダメだと書いていない」、などといったように、参加者が二名しかいないため、完全に平行線をたどっています。一般論でも、本件個別のケースとしての話でも構いませんので、他の方の意見を伺おうと思い、こちらに挙げさせていただきました。--Dr.Jimmy 2011年10月24日 (月) 10:54 (UTC)
- 私の感覚的な意見を書きます。評価とは本来他者がするもので自分するものではありませんよね。彼の公式サイトに載っている彼に対する評価というのも、当然他人からされたものです。
- ですが、それを載せているのは彼の公式サイトであり、該当の場所を読むと「他者からの評価を自己評価として利用している」ように見えます。
- つまり、自己評価にならないように「他人」を使っているだけで、本質は自己美化となんら変わりありません。
- マネージャーが記述したという情報もあるようですが、誰が記述しようと掲載されている場所が「自身の公式サイト」なのですから同じことだと思います。
- 他者からの評価を掲載できるのは、たとえば新聞記事などの人物紹介においてとか、とにかく本人が関わることが出来ないと言えなければならないのではないでしょうか。
- まぁ細かいことは抜きにして言ってしまえば、もし本当に評価されてるんだったら本人の公式サイト以外の場所にたくさん「評価」が転がってるはずですし、それを出典とすればいいだけだと思います。--リネン 2011年10月24日 (月) 11:15 (UTC)
- マネージャーなら雇用関係にあるわけですし、それを掲載しているのが本人のサイトならば、第三者的な情報源と呼べるものではないです。--Ks aka 98 2011年10月24日 (月) 11:24 (UTC)
- リネンさん、Ks aka 98さん、コメントをありがとうございます。やはり、そうですよね。もう少し他の方のご意見を伺いたいと思います。特に、「掲載を主張する側」の意見が正しいと思われる方はいらっしゃいませんか。--Dr.Jimmy 2011年10月25日 (火) 12:43 (UTC)
- 「掲載の主張が正しい」という意見ではなくて恐縮ですが。方針 Wikipedia:存命人物の伝記#本人を情報源にする場合 の「下記のような場合、当事者提供の情報を記事に加筆しても構いません」にも「不当に本人に都合よく書かれていないこと」「それが、確かに項目当事者自身で書かれたものであること」とあります。「~多くの指導者からも定評がある」というのは「不当に本人に都合よく書かれて」いるとみなすべきという主張は妥当なものと思いますし、マネージャーが当事者から独立していると主張するのであれば「確かに項目当事者自身で書かれ」ていないことになります。また、草案 Wikipedia:信頼できる情報源#公表者自身についての記事内での自己公表された情報源 には「記事が、自己公表された情報源を最重要な情報源としていないこと」とあって、これは英語版の方針 Wikipedia:Verifiability#Self-published or questionable sources as sources on themselves にも同じことが書かれていますが、例示の項目はこれを満たしていません。あと、それらリンク先には「第三者に対する~主張を含まないこと」「第三者に関する主張を含んでいないこと」ともあって、厳密に言えば、評価というのは第三者がしていることなのですから、この点からも問題ありと思います。--Calvero 2011年10月26日 (水) 19:26 (UTC)
- マネージャーが当事者であったとしてもそうでなかったとしても、いずれにせよ問題がある、というわけですね。ありがとうございました。
- どちら側のご意見でも構いませんので、引き続きお待ちしております。また、ノート:清史弘の議論へのご参加もお待ちしております。--Dr.Jimmy 2011年10月27日 (木) 12:28 (UTC)
- 「掲載の主張が正しい」という意見ではなくて恐縮ですが。方針 Wikipedia:存命人物の伝記#本人を情報源にする場合 の「下記のような場合、当事者提供の情報を記事に加筆しても構いません」にも「不当に本人に都合よく書かれていないこと」「それが、確かに項目当事者自身で書かれたものであること」とあります。「~多くの指導者からも定評がある」というのは「不当に本人に都合よく書かれて」いるとみなすべきという主張は妥当なものと思いますし、マネージャーが当事者から独立していると主張するのであれば「確かに項目当事者自身で書かれ」ていないことになります。また、草案 Wikipedia:信頼できる情報源#公表者自身についての記事内での自己公表された情報源 には「記事が、自己公表された情報源を最重要な情報源としていないこと」とあって、これは英語版の方針 Wikipedia:Verifiability#Self-published or questionable sources as sources on themselves にも同じことが書かれていますが、例示の項目はこれを満たしていません。あと、それらリンク先には「第三者に対する~主張を含まないこと」「第三者に関する主張を含んでいないこと」ともあって、厳密に言えば、評価というのは第三者がしていることなのですから、この点からも問題ありと思います。--Calvero 2011年10月26日 (水) 19:26 (UTC)
- リネンさん、Ks aka 98さん、コメントをありがとうございます。やはり、そうですよね。もう少し他の方のご意見を伺いたいと思います。特に、「掲載を主張する側」の意見が正しいと思われる方はいらっしゃいませんか。--Dr.Jimmy 2011年10月25日 (火) 12:43 (UTC)