ノート:清史弘

最新のコメント:12 年前 | トピック:記事更新の報告 | 投稿者:Dr jimmy

Dr jimmyさんHyolee2さんの差し戻しについて 編集

プロフィールと略歴の記述については、清史弘本人がtwitter内で.Wikipediaのこの記事を認知している事を発言しているため著作権侵害にはあたりません。特に略歴についてはそれ自体に創作性がないため、権利者の許可不許可に関わらず転載しても著作権侵害にはあたりません。これは料理のレシピをコピーしても侵害にはあたらないのと同じです--222.11.70.240 2011年5月12日 (木) 11:15 (UTC)返信

本人が認知しているのと、著作権利者が許可しているのとは、全く異なります。また、プロフィールの文章をまる写ししても著作権侵害にあたらないという根拠が不明です(レシピにしても、まる写しすれば著作権侵害にあたるでしょう)。Wikipediaでも、過去、公式サイトのプロフィールをまる写しして、削除になった例がいくらでもあります。--Dr.Jimmy 2011年5月12日 (木) 12:27 (UTC)返信
それから、既に保護されていますが、削除依頼テンプレートを除去しても、依頼自体は失効することはありません。それどころか、審議妨害として荒らし行為とされることもあります。コミュニティの判断を仰ぐ必要があります。--Dr.Jimmy 2011年5月12日 (木) 12:29 (UTC)返信

清史弘氏本人がtwitter内(http://twitter.com/f_sei )でWikipediaにプロフィールをコピーする事を許可されたようです。 また略歴についてですが著作物で保護の対象なるには「創作性」が必要となります。ただ事実を並べただけのものには「創作性」があるとはいえないので保護の対象とはなりません。http://cozylaw.com/copy/qa/b02.html にも「たとえ真似されたとしても、創作性が低い(ありふれている)表現や単なる情報は著作権法では保護されないのです。」とあります。--222.11.70.240 2011年5月12日 (木) 15:45 (UTC)返信

著作権侵害にあたるかどうかは、別の方が確認されていますので、私としては、コミュニティの合意に従います。
それとは別に、著作権侵害にあたらないという結論になった場合でも、Wikipediaには何を書いても良いというわけではありません。経歴などは自己申告でも良いかとは思いますが、外部からの評価に関するものについては、第三者からの出典が必要になります(ご本人も、主観が入っていると言われています)。「面倒見の良い指導と柔らかな語り口で行われる実践的な授業は、受験生だけではなく多くの指導者からも定評がある」という箇所について、中立的な信頼できる情報源を、ご提示下さい。出典が提示されない場合は、Wikipediaにふさわしくありませんので、この箇所についてはたとえ著作権侵害にあたらないとなった場合でも、掲載することはできません。--Dr.Jimmy 2011年5月16日 (月) 01:55 (UTC)返信

清史弘氏がツイッター内でプロフィールは第三者が書いたものと発言されています。つまりあのプロフィールの記事が第三者の出典です。--222.11.70.240 2011年5月16日 (月) 10:18 (UTC)返信

第三者ではなく、氏のマネージャー、つまり氏の再度サイドの人が、氏のサイトに掲載したものであって、中立的ではありません。氏とは商業的に関連性の無い、中立な情報源による評価を出典として必要になります。--Dr.Jimmy 2011年5月16日 (月) 10:44 (UTC)返信

その前に、誰々(清史弘氏)の関係者(マネージャー)が書いたものは中立的でないとするルールがウィキペディアの何処に書いてあるのか提示してください。関係者でない者でも偏った評価をするし、関係者でも中立的な評価をします。--222.11.70.240 2011年5月16日 (月) 12:28 (UTC)返信

Wikipediaの三大基本方針であるWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:中立的な観点、及びそこからリンクされている方針・ガイドラインをお読みになり、方針を体系的にご理解下さい。もし、「マネージャの書いたものは中立的ではない」明記されたものをお求めだとしたら、それはナンセンスです。--Dr.Jimmy 2011年5月16日 (月) 13:58 (UTC)返信

ウィキペディアの三大基本方針を読みました(そこからリンクされた記述には目を通してませんが)。その結果「誰々の関係者が書いたものは中立的でない」といった類の記述は見当たりませんでした(これはマネージャの書いた~といった一字一句同じ記述がなかったという意味ではありません)。そのような記述があるならば、今度は何処に書いてあるのか詳細な場所を提示してください。よって、清史弘氏のマネージャーが書いたものは中立的でないという結論にはならないと言えます。--222.11.70.240 2011年5月16日 (月) 16:58 (UTC)返信

やはり危惧していた通り。自分の求める記述が無いかどうか探しただけでしたか。誰が書いたら中立的で、誰が書いたら中立的ではない、などというきまりなどあるわけがありません。そのような決まりが無いから、などという理由は、全くのナンセンスです。ウィキペディアは規則主義ではありません。私は、「方針を体系的にご理解下さい」と言ったはずです。字面を追うのではなく、内容を理解して下さい。そうでなければ、たとえ具体的な場所を指摘したとしても、Wikipediaが何を目指しているかを考えずに、言葉尻だけをとらえて、反論してくるのが目に見えています。--Dr.Jimmy 2011年5月17日 (火) 12:23 (UTC)返信

誰が書いたら中立的で誰が書いたら中立的ではないという決まりがないのに、清史弘氏のマネージャーが書いた記述が中立的ではないと発言しては、それは貴方の決め付けに過ぎません。貴方が作ったルールに過ぎません。自分でルールを作っては自分の思い通りに事を運べてしまい危険です。そしてその決め付けは常識に計っていません。なぜなら関係者でない者でも偏った評価をするし、関係者でも中立的な評価をするからです。そして清氏について何も知らない貴方が中立的でないと判断するのは信頼性に欠けます。また記事(この場合、清氏の記事)を編集する際、編集者(この場合、私や貴方)は中立的な観点で編集しなければなりませんが、この際に原文を編集したものは主観が入り、中立性が失われる危険が伴います。つまり編集者が自分の考えで清氏の公式HPの情報を編集すると中立性を欠くことになります。下手に原文を改変(この場合「面倒見~」の一文の削除)をしない方が中立性を保つことになります。誰か(清氏本人)についての記事を書く場合、本人や関係者が作った公式HPの情報をそのまま転記することは、検証可能性を満たし、独自研究を防ぎ、中立性を保つ最良の方法です。なぜなら公式の情報は最も信頼できる情報源であり、そのままの転記は編集者(私や貴方)の主観や意図を排除出来るからです。ですから「面倒見~」の一文を削除すべきではありません。--222.11.70.240 2011年5月17日 (火) 16:17 (UTC)返信

「自分でルールを作っては自分の思い通りに事を運」ぼうとしているのは、他ならない、貴方です。「ウィキペディアは規則主義ではありません。」と公式方針に謳われているのに、規則主義に基づいて自己の主張を通そうとし、基本方針を読んで理解するように再三に渡りお願いしているにもかかわらず、全く理解しようとしない。「原文を転記することが中立性を保つ」だの、「公式HPが最も信頼できる情報源」だの、それらの主張は全てあなたの個人的な考えによるものであって、Wikipediaの方針には相反しています。あなたは、私の主張を決め付けだと言いますが、私は、きちんとWikipediaの基本方針やガイドラインに基づいて議論しようとしています。まずその前提として、あなたが、Wikipediaの基本方針を理解していただく必要があります。急いで返答をいただく必要はありません。数日かけて、しっかりと基本方針文書を熟読し、理解してからにして下さい。--Dr.Jimmy 2011年5月18日 (水) 13:59 (UTC)返信

公式HPの原文をそのまま転記することは、出典の情報そのものなのですから検証可能性を満たします。 そして「独自研究は載せない」の「何が除外されるか」の項目に『この方針は編集者の個人的観点や政治的意見、また発表済みの情報の個人的分析や解釈、そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する論証や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・合成するようなことも排除します。』の一文があります。 原文をそのまま転記することは、編集者(私)が記事を書くのではないので個人的観点や分析、解釈や情報の合成が入ることもありません。 よって独自研究になりません。 また「独自研究は載せない」の「関連する方針とガイドライン」の項目に『独自研究の排除は、編集者が自分の観点のみを提示する可能性を制限します。さらに、第三者により行われた検証可能な調査・研究を掲載することの重要性を強調することで、この方針は複数の観点を掲載することを奨励することになります。結果として、この方針は中立的な観点の方針を補強するものとなります。』とあります。 つまり原文をそのまま転記することは独自研究を防ぎ、そして中立性の観点を補強します。 そして「中立的な観点」の「この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな」とあります。 これは編集者(私や貴方)は自分の意見を書くのではなく、誰か(清氏のマネージャ)の書いた意見を事実として書くという事ですが、原文を転記する事はこれに合致します。 また誰か(清氏のマネージャ)の意見についてですが「中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版)」に『記事は偏りのない「客観的な」観点に基づいてのみ書くことができる、と誤解されることもありますが、そうではありません。』とあります。 これは誰か(清氏のマネージャ)の意見に主観が入ってもそれを事実として書くことが出来るという事です。 つまり、公式HPの原文を転記することは三大基本方針を満たします。 それに対して原文を編集すること(この場合、貴方が「面倒見~」一文を削除する事)は編集者(この場合、貴方)の観点や分析、解釈や情報の合成が入り、それは独自研究になり、独自研究になれば中立性を欠きます。 これは貴方が三大基本方針を理解していないからです。 ですので「面倒見~定評がある」の一文は削除すべきではありません。 そもそも、Wikipediaの基本方針やガイドラインを(私や貴方が)理解してる、していないという主張はその人の観点に過ぎないので、その議論は無意味です。 それよりもまず最初に、清氏のマネージャーが書いたものは中立的でないという証拠を出してください。そして清氏について何も知らない貴方は、その証拠を信頼性のあるものにしてください。 これは(「ウィキペディアは規則主義ではありません。」の方針がありますので)ウィキペディアの何処何処にルールがあるのを出せと言っているのではなく、貴方が中立的ではないと主張したので、証明責任は貴方にあるという意味です。 議論はそれからです。 ですが仮に「面倒見~定評がある」の一文が中立的でないとしても、「検証可能性」の「自主公表された情報源:公式サイト」の項目に、過度に自己を美化するものでなければ記事を使用できるとあります。 「面倒見~定評がある」のたった一文が、過度に美化すると言えるとは思えません。 また「面倒見~定評がある」が過度に美化するものであったとして、それを削除する事が「独自研究を載せない」の方針に反してする価値があるかという議論もあります。--222.11.70.240 2011年5月22日 (日) 10:54 (UTC)返信

自分に都合の良いところだけを抜き出して、それに合致しているから方針を満たしているなんていうことにはならないのですよ。
Wikipediaの記事は、「ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべき」とされています。特に存命人物に関する記事は、「記事はどこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべき」とされています。公式サイトは、「自主公表された情報源」の一つとして位置付けられており、信頼できる情報源とはみなされませんが、ある条件を満たした場合には使用できる、という位置づけです。
何ら根拠を提示することなく「~多くの指導者からも定評がある」などと記述することは、「過度に自己を美化するもの」であり、本人に都合よく書かれたものです。また、公式サイトの情報を使用する際の条件として、「当事者の知名度に釣り合うような重要性があるかどうか」が挙げられていますが、他者からの評価についての記述であるにもかかわらず、他に信頼できる第三者情報源がないのであれば、重要性があるとは言えません。
実際に「受験生や多くの指導者から定評がある」のであれば、他の第三者情報源を提示することは容易であるはずであり、他に第三者情報源が存在しないのであれば、その記述は「自己美化」に当たります。該当箇所について記載したいのであれば、「信用できる第三者情報源」を提示していただく以外には解決方法はございません。--Dr.Jimmy 2011年5月28日 (土) 02:00 (UTC)返信

清史弘氏自身の記事を書くのですから、公式サイトを情報源として使用することは、貴方の言う「ある条件を満たした場合」に正に当てはまります。 そして本人についての記事において公式サイトは、検証可能性を満たす最も信頼できる情報源です。なぜなら当事者本人達からの情報なのですから。だからこそ本人の記事には本人の公式サイトを情報源に使えるとウィキペディアで明記してるのです。 自主公表された情報源を信頼性がないとしてるのは本人以外の記事についてです。 また「記事はどこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が当該人物に関して出版・公表したものを文章化すべきです。」の直ぐ次に「場合によっては当該人物自身によって公表されたものを文章化する方がよいかもしれません。」とあります。 これは他人より本人の書いた文章の方が良い場合があるという意味ですが(そもそも件の一文は本人ではなく、他人の文ですが)、この一文があるのを無視して、自分に都合の良いところだけを抜き出す事をしないでください。 そもそも貴方が自分に都合の良いところだけを抜き出して~と主張するのは貴方の主観に過ぎないので、その議論は無意味です。 そして「過度に自己を美化するもの」というのは貴方の主観であるので、それの正しさを証明していません。 それ以前に「過度に自己を美化するもの」というには、まず最初に清氏のマネージャが書いたものが中立的でないという証拠が出てから言えることです。 既に言ったように、清氏のマネージャが書いたものが中立的でないという証拠を出してください。 これを意図的に無視して議論を進めないでください。 既に「面倒見~定評がある」の一文が清氏の文章でなく、他人の文章であるというのは証明済みです。 それを貴方の都合のルールで聞き入れない事はすべきではありません。 情報源(清氏のマネージャ)を示したのに、それを却下して別の第三者情報源を要求する事をすべきではありません。 さらに他の情報源の有る無しと、重要性の大小には関係はありませんし、実際に「受験生や多くの指導者から定評がある」事が、他の情報源を提示することを容易にする事にもなりません。 口伝えでされたものに検証可能性はないですし、口伝えだから重要性が低く、文書だから重要性が高いとはならないからです。 にも関わらず重要性が~とか、提示することは容易~とか、それらから勝手に自己美化だと帰結させたりとか、を言って議論からズレる事をしないでください。 議論の元は「面倒見~定評がある」の信頼できる第三者の出典を出せという事です。私は公式サイトという信頼でき、執筆者が本人でない出典を出しました。中立性がないというのは貴方に証明責任がありますし、証明した場合でも批判記事なら厳しくする必要があるようですが、そうでないなら過度に美化していないなら大丈夫とあります。そして下手に原文を弄るのは編集者(私や貴方)の個人的観点や分析、解釈が入りかねません。ならば「面倒見~定評がある」の一文は、残す結論となるで終りでしょう。--222.11.70.240 2011年5月31日 (火) 15:46 (UTC)返信

まず、公式サイトは、「自己出版されたもの」にあたり、「一般的には信頼できるとはみなされない」「例外的に使用できる場合もある」と、はっきりと明記されています。この時点で、貴方の「本人についての記事において公式サイトは、検証可能性を満たす最も信頼できる情報源」という主張は、Wikipediaの方針から完全に逸脱したものであるということを、最初に確認しておきます。
それさえ理解できれば、マネージャが書こうが本人が書こうが、清氏の公式サイトに掲載されたことは自己出版・自己公表された情報源にあたるため「信頼できる資料」には該当しないということです。Wikipediaの方針・考え方は、公式サイトは信頼できる資料にはあたらないが、ある条件を満たす場合には使用できる、という扱いです。
今回の件が「過度に自己を美化するもの」「不当に本人に都合よく書かれている」といった条件に該当するというのを、貴方は私の主観だと言いますが、私の主観かそうでないかを証明する唯一の方法は、再三申し上げている「第三者による信頼できる情報源」を提示していただくことです。「第三者による信頼できる情報源」があるのであれば美化したものではないし、逆に第三者情報が一切無いにもかかわらずあたかも大多数から評価されているかのように記述するのは「過度な自己美化」にあたるということでしょう。また、「情報源の有る無しと、重要性の大小」には、大いに関係があることは明記されており、議論からずれていると思うのは貴方の理解不足によるものです。--Dr.Jimmy 2011年6月7日 (火) 08:51 (UTC)返信
Wikipediaで定められている合意形成に必要な期間を超えていますが、反論も反対意見もありませんでしたので、公式サイトの扱いについては私の提示している解釈にて合意形成がされたものとします。該当箇所については「要出典」テンプレートを貼付してかなり経ちますが、数日待って「第三者による信頼できる情報源」が提示されなければ、除去させていただきます。--Dr.Jimmy 2011年6月16日 (木) 14:28 (UTC)返信

再開後の議論 編集

(2011年6月7日 (火) 08:51 (UTC)のDr.Jimmy氏の意見のつづき)明記されているのは、本人以外の記事において自主公表された情報源を使用する場合です。本人自身の記事の場合、公式サイトは信頼性のある情報源です。なぜなら「存命人物の伝記」の「信頼できる情報源」の項の中に「本人を情報源にする場合」を位置づけています。 それ以前にそもそも本人の記事の場合は公式サイトを出典にできると明記されています。本人の記事なら信頼性が有る無しに関係ないのです。事実、信頼性に「乏しくても」本人自身の記事なら公式サイトは出典として使用できるとあります。 私は貴方に譲歩して信頼性のある出典として公式サイトを示しましたが、本来、本人自身の記事では公式サイトに信頼性がなくても使用できるという事を理解してください。 過度に自己を美化しているかについての議論の前に、まず最初に清氏のマネージャの意見が中立的ではないという信頼性のある証拠を貴方が出してください。 それと重要性については、当事者の知名度との関係であって、他の情報源との関係ではありません。つまりウィキペディアでは他の情報源の有る無しと重要性が有る無しを決めるのではありません。私が議論をズラすのは止めてくださいと言ったのはそういう事です。 件の一文の出典は示してありますので「面倒見~定評がある」の一文は削除するべきではありません。--222.11.70.240 2011年6月17日 (金) 13:49 (UTC)一部追加--222.11.70.240 2011年7月23日 (土) 12:54 (UTC)返信

まず、既に前回の私の投稿の時点で、Wikipediaで定められている「合意形成」が成立しています。議論を再開したいのなら応じてもよいですが、まず「一旦合意が成立していること」を尊重することが最低限の礼儀です。要出典タグを、無断で除去するのは、Wikipediaのルール違反です。Wikipediaのルールやマナーを守らず、自分勝手な振る舞いは止めること。何か主張するにしても、まずはそれからです。--Dr.Jimmy 2011年6月21日 (火) 11:14 (UTC)返信

合意形成は成立していません。なぜなら私自身が合意していないからです。 にも関わらず一週間程度の期間が過ぎただけの理由で強引に合意形成に持っていこうとするのは字面だけを追求した「ルールの悪用」です。 それこそウィキペディアのルール違反であり、礼儀に反します。不当な要出典タグを貼るような自分勝手な振る舞いは止める事です。 私は以前から出典を示しているのですから、不当な要出典タグを除去するのは妥当です。--222.11.70.240 2011年6月25日 (土) 09:53 (UTC)返信

子供の喧嘩ではないのだから、「自分が合意しなければ合意は成立しない」などという無茶苦茶な理由が通るわけがありません。Wikipediaのルールで定められた要件を満たしています。「俺様ルール」と、Wikipediaのルールと、どちらが優先するのか、おわかりですか? あらためて確認したいのだが、今後、Wikipediaのルールを守ろうという気があるのか、それともあくまでも「俺様ルール」を押し通すつもりなのか、どちらなのかはっきりと聞かせてもらいたい。--Dr.Jimmy 2011年6月30日 (木) 13:53 (UTC)返信
(2011年6月30日 (木) 13:53 (UTC)のDr.Jimmy氏への意見)無茶苦茶な理由ではありません。普通常識的に考えて、合意とは相手の意思がなければいけません。私自身がその意志を示していないのですから合意形成はなされていません。私が「俺様ルール」をしているのでなく、貴方がWikipediaの字面だけを追求した「ルールの悪用」をしているのです。あと2011年6月17日 (金) 13:49 (UTC)の私の本題の意見に貴方は1週間以上、反論していないので(本題とは関係ない礼儀やマナーの話しかしていないですね)新たに合意形成が成立されたものとします。貴方が「ルールの悪用」をし強引に合意形成に持っていくなら、そういう事です。--222.11.70.240 2011年7月4日 (月) 14:09 (UTC)返信
貴方が思い込んでいる常識と、Wikipediaのルールとは異なっているということですよ。だから貴方が主張する「ルール」と、Wikipediaのルールと、どちらが優先するか、と尋ねているのですよ。「ルールの悪用」などというのは、ルールを守ろうという気の無い人が使う言い訳に過ぎません。それから「2011年6月17日 (金) 13:49 (UTC)の私の本題の意見に貴方は1週間以上、反論していない」などというのは大嘘で、次の返信で「議論を再開するための条件」をきちんと提示しています。貴方はそれに応じていません。無理矢理こじつけて鸚鵡返しすることはやめること。--Dr.Jimmy 2011年7月10日 (日) 15:28 (UTC)返信
Wikipediaのルールにはしっかりと、常識の元でルールを適用してください、と明記されてあります。Wikipediaの基本方針を理解せずにウソ言わないでください。また貴方がルールの悪用をし腕ずくで解決しようとしているのに条件も何もないでしょう。--222.11.70.240 2011年7月15日 (金) 14:45 (UTC)返信
『常識の元で「ルールを適用してください」』の、どこをどうとれば、個人の思い込んでいる常識を、ルールに優先してもよいなどと読めるのでしょうか。ルールは、多くの編集者の合意の上で成り立っています。幾度か尋ねていますが、お答えが無いようですので、再度おききします。貴方はWikipediaのルールを守るつもりがありますか?--Dr.Jimmy 2011年7月22日 (金) 12:04 (UTC)返信
私が思い込んでいるのではありません。合意とはお互いの意志がなければいけません。辞書にも書いてあります。言い掛かりをつけるのは止めてください。私は常識とウィキペディアの両方のルールを守っているのです。貴方がウィキペディアのルール守らず悪用しているのです。--222.11.70.240 2011年7月23日 (土) 12:54 (UTC)返信
全然違う。Wikipediaのルールに明文化されたルールを守っていない。あなたが「常識」だと考えることが、Wikipediaのルールと異なると思ったら、あなたがすべきことは、その「常識」を根拠にルールの改定を提案し、合意を得ることです。「自分の思う常識と異なる」からと言って、多くの編集者の合意によって成立したルールを、個人の判断で勝手に従わないことは許されません。自分が気に食わないルールは守らない、自分に都合のよいルールは守る、そんな自分勝手なことは許されません(それこそ実社会においても立派に通じる「常識」です)。--Dr.Jimmy 2011年7月29日 (金) 13:59 (UTC)返信
私が思ってるのではなく、辞書にも書いてあることです。その一般的な常識を元にウィキペディアのルールを用いなければなりません。にも関わらず貴方は字面だけを追求したルールの悪用をしているのです。腕づくで解決を図るのは止める事です。--222.11.70.240 2011年8月4日 (木) 16:28 (UTC)返信
だから、あなたがいう「一般的な常識」にWikipediaのルールが反していると思ったのなら、Wikipediaのルールを改定しなさいと言っているのです。ルールが有効であるうちは、それを守る責務があります。それはWikipediaの中だけでなく現実の一般社会にも通じるそれこそ「一般常識」です。もう一度いいます。あなたがおかしいと思ったからと言って、そのルールに従わなくても良いなどという理由は一切ありません。あなた個人が、守るルール・守らないルールを選ぶことはできません。
あらためてあなたのWikipediaのルールに対するスタンスを問うが、「自分の気に食わないルールには従うつもりはない」ということでよろしいか。--Dr.Jimmy 2011年8月11日 (木) 12:48 (UTC)返信
そもそも一般的な意味の合意とウィキペディアのルールが意味する合意が違うとは何処にも書いてありません。そしてその合意の意味から判断して、一定の期間内に異論がなければ合意が形成されるというのは、相手が沈黙をもって議論を放棄した場合、それを相手に確認できないために行うと考えるのが普通でしょう。にも関わらず一週間程度の期間が過ぎただけの理由で強引に合意形成に持っていこうとするのは字面だけを追求した「ルールの悪用」です。--222.11.70.240 2011年8月17日 (水) 19:05 (UTC)返信
だから、そんなことは、貴方の個人的な勝手な解釈でしょう。それはどこに書いてありますか? どこで合意を得ましたか? 貴方がそう思うというだけでしょう? つまり「ルールの悪用」などというのも貴方の勝手な言い訳にしか過ぎないのですよ。貴方はきかれたことを答えないようですが(答えられないだけなのかもしれませんが)、貴方は「自分の気に食わないルールには従うつもりはない」ということでよろしいか。--Dr.Jimmy 2011年8月23日 (火) 10:29 (UTC)返信
私は常識とウィキペディアのルールの両方を守っていると言ったはずです。そしてそれらから合意とはお互いの意思が一致しなければいけないのは明らかです。それはウィキペディアのルールにおいても同じです。その合意の意味と全く反対のことを貴方が行おうとするのは「ルールの悪用」以外の何物でもありません。そして合意の意味とウィキペディア方針から私の解釈は極々一般的なことです。--222.11.70.240 2011年8月29日 (月) 10:26 (UTC)返信
つまり、Wikipediaには168時間異論が無ければ合意形成とするという、明文化されており、且つ実際に運用されているルールが存在するわけだが、貴方はそのルールには従うつもりは無い、ということでよろしいか。--Dr.Jimmy 2011年9月2日 (金) 07:55 (UTC)返信
合意の意味とウィキペディア方針から判断すれば、私はそのルールに従っています。逆に聞きますが貴方は、常識でありそれを下にするウィキペディアでの合意とは「お互いの意志が一致すること」というルールには従うつもりは無い、ということでよろしいか。--222.11.70.240 2011年9月8日 (木) 18:45 (UTC)返信
貴方からの回答の内容がいま一つ不明確であるため、もう一度確認します。「 Wikipediaで定められている、168時間異論が無ければ合意形成とするというルールに従うかどうか」。従うか、従わないかでお答え下さい。もちろん、回答の内容については、言葉だけではなく、責任を持って実行動を伴っていただきます。
貴方からの鸚鵡返しの質問は、私からの質問にきちんと回答されてから、お答えいたします。--Dr.Jimmy 2011年9月15日 (木) 07:47 (UTC)記述場所を間違えていたので、あらためて転記。--Dr.Jimmy 2011年9月22日 (木) 01:11 (UTC)返信
「合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間・約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。」というのは相手が沈黙をもって議論を放棄した場合、それを相手に確認できないために行うと考えるのが普通であり、その時に適用されるのが普通でしょう。私は議論を放棄していないのでそれを適用しないと考えるのが普通です。なぜなら合意とはお互いの意志が一致する事であるのが大前提だからです。つまり私はウィキペディアのルールには違反しておらず、従っています。そもそも168時間ちょうどでなければいけないとは書いていないのですが。--222.11.70.240 2011年9月26日 (月) 16:07 (UTC)返信
あなたの個人的な解釈や主張を聞いているのではありません。「168時間程度の合理的期間」ルールに従うのかどうか、と聞いているのです。あなたの解釈が正しいかどうか、どこかで確認でも合意でもとりましたか?言葉では「従っている」と言いながら現実の行動では従っていない。「従う」というのは、そのルールにより合意された内容を尊重するということです。そもそも、明文化され多くの編集者の合意を得ているルールに従おうとしない、普通の常識を持たぬ人が「普通です」などとルール解釈をしたところで、何の説得力も持ちません。--Dr.Jimmy 2011年9月28日 (水) 05:18 (UTC)返信
貴方の言う「168時間程度の合理的期間」ルールとは単なる字面だけを追求した「ルールの悪用」なので、それはウィキペディアのルール、方針ではありません。それは貴方のルールです。合意とはお互いの意志が一致することであるのは事実です。その事からして私はウィキペディアのルール、方針に従っています。そして貴方の「ルールの悪用」である「168時間程度の合理的期間」ルールは、本来の合意の意味に反するわけですが、貴方は「お互いの意志が一致すること」というウィキペディアのルールに従わないという事ですか?--222.11.70.240 2011年10月4日 (火) 13:31 (UTC)返信
要するに、たとえ明文化されたルールであっても、自分の都合の悪いルールについては、個人的に解釈し、「ルールの悪用」と決めつけることによって、結局のところ守らない、ということですね。よくわかりました。--Dr.Jimmy 2011年10月11日 (火) 09:07 (UTC)返信
決め付けではありません。何故なら合意とはお互いの意志が一致する事というのが明らかだからです。そして貴方は常識であり、それを基にするウィキペディアでの合意の意味でもある「お互いの意志が一致すること」というルールには従うつもりがないという事ですか?--222.11.70.240 2011年10月17日 (月) 14:41 (UTC)返信
「明らかである」と言うのなら、「明文化されているWikipediaのルール」よりも優先されるという合意を示して下さい。それがないのなら、貴方の個人的な主張が、Wikipediaの多くの編集者の合意に基づいたルールに優先されるわけがありません。
「お互いの意志が一致すること」も、それに合理的な期間制限を設けることも、ともにWikipediaのルールです。その両方に従って初めて「ルールに従う」と言えるのです。自分に都合の良いルール「だけ」に従うというのは、ありえません。--Dr.Jimmy 2011年10月23日 (日) 14:58 (UTC)返信
何度も言っているように貴方のは「ルールの悪用」です。なぜなら貴方のいう事に従えば合意の本来の意味に反するからです。「お互いの意志が一致する事」という合意の意味に貴方は従うと言うのならこの議論は終りでしょう。--222.11.70.240 2011年10月29日 (土) 23:02 (UTC)返信
結局、あなたの主張のもととなる「合意の提示」は示せないわけですね。Wikipediaでは、一人の個人的な主張が、多くの編集者の合意や、合意に基づくルールに優先することはありえません。あと1週間だけ待ちますので、168時間ルールが、あなたのいう「合意の本来の意味に反する」とか、「ルールの悪用」だとかいう主張の根拠となる、「合意」をお示し下さい。その間に、きちんとした合意の形跡を示されなければ、あなたの主張は正当性無しとして議論を終了します。--Dr.Jimmy 2011年11月5日 (土) 11:31 (UTC)返信
私がToshi999さんの案つまりは貴方の案を受け入れたので、この議論はもはや無意味です。--222.11.70.240 2011年11月8日 (火) 13:06 (UTC)返信
こちらの議論は、記事の内容についてではなく、貴方がルールを守る気があるのかどうか、を問うているのですよ。まあ、貴方が返答をしないのは自由ですけど。一応、当初の予告通り土曜日まで待つことにしましょう。--Dr.Jimmy 2011年11月9日 (水) 12:06 (UTC)返信
予告した期限までに「主張の根拠」が提示されませんでしたので、222.11.70.240氏が主張する「ルールの悪用」だの「ウィキペディアでの合意は「お互いの意志が一致すること」である」だの「168時間ルールはルールに反する」だのといった主張は全て事実無根で、何ら根拠の無い個人的な考えであり、それに基づいてWikipediaで明文化されたルールに反した行動をとった、と結論付けて、この議論は終了します。今後はそのような主張は議論の中で一切行わないとともに、Wikipediaの方針・ガイドライン・合意事項について、遵守することを強く要請いたします。--Dr.Jimmy 2011年11月14日 (月) 10:16 (UTC)返信

本人の公式サイトを基にして書くならば「面倒見~定評がある」と自賛している。ぐらいしか書けませんね。自分のサイトで自分を飾るのはいくらでもできますから。--hyolee2/H.L.LEE 2011年6月25日 (土) 10:28 (UTC)返信

(2011年6月25日 (土) 10:28 (UTC)のhyolee2/H.L.LEE への意見)ノート上の方に書いてあるとおり、公式サイトのプロフィールは清史弘氏が書いたものではなく、別の人間が書いたものです。よって自賛ではありません。--222.11.70.240 2011年6月25日 (土) 12:22 (UTC)返信

双方とも、話し合いがまとまってから記事を編集して下さいますようお願いします。記事を1か月間保護しました。--Freetrashbox 2011年6月25日 (土) 12:41 (UTC)返信

IP氏は「マネージャーという別の人が書いた」としきりに主張していますが、どう考えてもそのようなものは無理・矛盾があります。

  1. 一般的にマネージャーというのは、マネージャーに書いてあるように、タレント・芸能人等と一体となって活動しているものであって、直接的に利害関係を共にしている人のことを、世間一般では通常、第三者とは呼びません。
  2. 清氏は、「自分の経歴を伝えたものを私のマネージャーが文章化したもの」と説明しています。マネージャは文章化しただけであって、マネージャが一から考えて書いたものではありません。双方の役割がどれだけのものかはわかりませんが、本人とマネージャが共同で書いた文章であることは疑いの余地はありません。
  3. Wikipediaへの流用の許可についてみても、清氏本人が許可→Wikipedia管理者から正式の要請に対して、マネージャーと相談して許可、という流れになっています。これを見ても、該記事の著作権者は清氏であることは間違いありません。IP氏は、著作権侵害疑いの議論の中では、清氏本人が流用許可したことを根拠に主張を行っていますが、内容の話になると途端に「別の人が書いた」と主張し、これは明らかに矛盾します。第三者が書いた文章を、別の人が使用許可を行うことはありえません。
  4. どのような経緯で書かれたにせよ、最終的に清氏本人の公式サイトにて掲載されて世の中に公表されたわけですから、「自己出版・自己公表された情報源」であることに異論を挟む余地はありません。

つまり、マネージャーは第三者でもなく、プロフィールも「清氏とは別の人」が書いたとは言えず、しかもたとえそれを否定したところで、公式サイトで発表されているという厳然たる事実をもって、その後の議論には何ら影響しない、ということです。--Dr.Jimmy 2011年7月1日 (金) 12:31 (UTC)返信

(2011年7月1日 (金) 12:31 (UTC)のDr.Jimmyへの意見)1については、上でも書いてあるように「面倒見~定評がある」の一文をDr.Jimmy氏は、清氏のマネージャが書いたもので中立的ではないと言いましたが、何度も言っているように、そう主張するなら貴方が清氏のマネージャーが書いたものは中立的でないという証拠を出してください。関係者でない者でも偏った評価をするし、関係者でも中立的な評価をします。 そしてやはり上でも書いたように、仮に中立的でないとしても過度に自己を美化するものでなければ問題ないとあります。「面倒見~定評がある」のたった一文で記事全体を過度に美化する事にはならないでしょう。 2については、経歴を伝えたという事しか分かっていないのですから「面倒見~定評がある」の一文までも清氏が書いたという事を証明していないのに、清氏が書いたと決め付けてはいけません。 3については、第三者が書いた文章を、別の人が使用許可を行うことはありえます。なぜなら著作権は譲渡する事ができるからです。ウソを言わないようにしてください。そもそも清氏とマネージャの両氏が許可を出しているのですから、どちらに著作権があろうと関係ありません。論点をズラすのは止めてください。 4については、だから何なのでしょうか? 本人を記事にする場合には公式サイトは信頼性のある情報源であり、仮に信頼性が乏しくてもウィキペディアの出典として使えるとあります。 何度も言っているように、私は出典を示したのですから「面倒見~定評がある」の一文を削除する必要はありません。--222.11.70.240 2011年7月4日 (月) 14:09 (UTC)返信

まず、1について重点的に回答します。私は貴方に、何度も繰り返しWikipediaの基本方針を理解するように求めてきましたが、一向にそうしようとしていない。「関係者でない者でも偏った評価をするし、関係者でも中立的な評価をします」と何度も言っていますが、それを判断するのは誰ですか? Wikipediaの編集者は、その内容を中立的がどうかを判断することは「オリジナルリサーチ」として方針で禁じられています。編集者が行ってよいことは、「情報源の評価」です。マネージャーが中立的・第三者な立場ではないことは、異論の無いことです。中立的・第三者的な立場でない人が、中立的・第三者的ではない本人公式サイトというメディアに書いたものは、中立的・第三者的な情報源ではありません。繰り返しになりますが、Wikipediaの基本方針に反した「オリジナルリサーチ」を要求されても、応じる必要は全くありません。「過度に美化する」ものでないというのなら、客観的事実を持って証明してください。
2について。マネージャが書いたことも証明できません。だから「本人とマネージャが共同で書いた文章」だと言っているのです。3について。できる・できないの話と、本ケースにおいてそうであるということは全く異なります。そのような証拠はありますか?仮に著作権をマネージャから清氏に譲渡したとすれば、両氏が第三者的関係ではないことの証明にはなります。4について。やはり自分の都合の良いところだけしか見ていません。「自己出版・自己公表された情報源」は、無条件で使えるわけではありません。
一応、個別に返信しましたが、前回の私の発言の主旨である、「清氏の公式サイトで発表されているという厳然たる事実を見れば、清氏が自己公表した情報源であることに議論をはさむ余地はなく、下書きを本人が書いたか、マネージャーが書いたかは影響しない、ということを再度明言しておきます。よって、hyolee2さんのいう「自賛」という表現は全く妥当であり、「マネージャが書いた」などというエクスキューズは的外れであるということをはっきりさせておきます。--Dr.Jimmy 2011年7月10日 (日) 15:28 (UTC)一部追加--Dr.Jimmy 2011年7月14日 (木) 04:33 (UTC)返信

1については、上で既に言ったように、公式サイトの原文をそのまま転記する事は、編集者(私)の個人的観点などが入らないのでオリジナルリサーチなりません。 それに対して編集者(貴方)が「面倒見~定評がある」を中立的ではないと判断し、原文から削除するのは編集者(貴方)の個人的観点などが入りオリジナルリサーチとなります。 これは貴方がWikipediaの基本方針を理解していないからです。 それに、内容を中立的かどうか判断するのは禁じられていると言いながら、貴方自身が中立的でない判断するような二枚舌は止めてください。 何度も言っているように中立的でないという証拠をだしてください。 また当事者以外を第三者というのですから、清史弘氏本人が書いたのではない記事は問題ありません。 また何度も言っているように、本人を記事にする場合は公式サイトを情報源として使う事が出来ると明記されています。 そして仮に中立的でないとしても全体の記事の中で「面倒見~定評がある」のたった一文だけという客観的事実から過度に美化するとはいえないでしょう。 2については、清氏は経歴を伝えたと言っています。「面倒見~定評がある」の一文は経歴ではなく評判なので、件の一文はマネージャが一から考えたとするのが普通ですから、件の一文までもが共同で書いたと言い切るなら、そうだという事と双方の役割がどの位なのかも証明してください。そうでなくては始りません。 3については、まず最初に言っておきますが、貴方は「第三者が書いた文章を、別の人が使用許可を行うことはありえません。」と清氏が書いたと言い切ったのに、今度は「そのような証拠はありますか?仮に著作権をマネージャから清氏に譲渡したとすれば、」とマネージャが書いたものとして話を進めています。 著作権が譲渡できないというような類のウソを言った上に、ここでも二枚舌を使い論点をズラすのは止めてください。 そして著作権を譲渡したら、両氏が第三者的関係でなくなるという訳の分からない事をいうのも止めてください。 そもそも上で書いたように、両氏が許可を出したのですから、著作権がどちらにあろうと関係ないので証拠を出す必要はありません。 4については、何度も言っているように無条件ではなく、本人を記事にする場合という条件を満たしているのですから公式サイトを使うのは問題ありません。 よって本人ではなく別の人間が書いた「面倒見~定評がある」の一文は削除する必要はありません。--222.11.70.240 2011年7月15日 (金) 14:45 (UTC)返信

「オリジナルリサーチ」と「情報源の評価」の違いを理解していないようですね。私が行っているのは「情報源の評価」です。マネージャーは一般的に言っても中立的・第三者な立場ではないことに異論は無く、また、公式ページの執筆や使用許可についても、本人と共に大きく関わっているところは疑いの無いところです。そのような人はまさしく当事者であり、第三者と呼ぶことはできません。内容云々や特定の箇所がどうこう以前に、中立的・第三者な立場ではない人物が書いた資料は、中立的ではない、と言っているのです。加えて、「清氏の公式サイトで発表されているという事実から、清氏が自己公表した情報源であり、下書きを本人が書いたか、マネージャーが書いたかは影響しない」と部分については異論が無いようです。公式サイトを使用してもよい場合の条件である、「過度美化するとはいえないでしょう」というのは、貴方の個人的な主観による判断に過ぎません。実際に「受験生や多くの指導者から定評がある」のであれば、他に第三者情報源は当然存在するはずであり、他に第三者情報源が存在しないのに「定評がある」などというのであれば、「自己美化」に当たります。客観的な証拠を以って反論としてください。--Dr.Jimmy 2011年7月22日 (金) 12:04 (UTC)返信

情報源の評価も何も本人自身を記事にする場合は例え信頼性が乏しくても公式サイトを使用できると、何度も言っているでしょう。 また清史弘氏についての記事なのですから清氏本人が当事者であり、第三者の意味からも判断して本人以外である清氏のマネージャは第三者です。 別に第三者という難しい言葉を使わなくても本人でない別の人間が書いたという事実からして「自己美化」ではありません。自己美化とは読んで字のごとく自分で美化することです。 そもそも第三者だろうとなかろうと、自分自身についての記事なら過度に美化していなければ公式サイトを使用できるとあるのです。 貴方に合わせて議論しましたが、清氏のマネージャが第三者でなくても(第三者ですが)公式サイトを出典に出来ることを理解してください。 「清氏の公式サイトで~影響しない」については異論がないのではなく、上で既に言った事の繰り返しなのであえて書かなかっただけです。繰り返しますが公式サイトは出典として使用できます。 過度に美化しているかどうかの客観的事実は、既に上で言ったように全体の記事の中で「面倒見~定評がある」のたった一文があるだけだからです。 そもそも貴方が「面倒見~定評がある」が過度に美化するという客観的な証拠を出してください(しかし、その前に中立的でないという証拠をだしてください)。 そして既に上で書いたように実際に「受験生や多くの指導者から定評がある」ことが、他に第三者情報源が当然存在することにもなりません。口伝えの場合があるからです。 よって他の情報源がないことが自己美化にはなりません。 それと既に上で書いたように「面倒見~定評がある」を削除するのは、オリジナルリサーチとなることも忘れないでください。--222.11.70.240 2011年7月23日 (土) 12:54 (UTC)返信

つまり、「他に第三者情報源が存在しない」(少なくともあなたは提示できない)ということでよろしいですね。第三者情報が存在しない(少なくとも容易に見つけることができない)にもかかわらず、自己公表情報でのみ良い評価を行っている、それこそが自己を美化しているという、動かぬ証拠です。あなた以外の編集者による第三者情報の捜索・提示の可能性も、あなた自身の手によって閉ざされました。
清氏の公式サイトの文章を本人と共同で執筆し、公式サイトに掲載された文章を本人と共同で利用許可を出している以上、明らかに公式サイトの当事者であることは誰が見ても明らかなのですが。
それから、公式サイトが使用できる場合には条件があると何度も言っているでしょう。意図的に無視することは止めること。「オリジナルリサーチ」と「情報源の評価」の違いを、きちんと理解してから返信して下さい。--Dr.Jimmy 2011年7月29日 (金) 13:59 (UTC)一部追加--2011年7月31日 (日) 11:45 (UTC)返信

何度も言っているように、他に情報源がないことで自己美化なるという訳の分からない事を言うのはやめてください。まず清氏が自分で書いたものではないという事、そして口伝えの場合は形に残るものとしてないからです。 口伝えのものを別の人間が文章にしたのなら、自己美化にはならないのですから。そして美化してあっても「過度に」美化していないなら使用できると明記してあります。 また既に上で書いたように、清氏は経歴を伝えただけなのに、経歴でない「面倒見~定評がある」の一文を清氏が書かせたと言い切るなら、そうだという事と双方の役割がどの位なのかも証明してくださいと言ったはずです。 それから既に上で書いたように公式サイトが使用できる条件は既に満たしているのですが。それとオリジナルリサーチと情報源の評価の違いを理解するしないの話ではなく、貴方が「面倒見~定評がある」の一文を削除することはオリジナルリサーチになると言っているのです。--222.11.70.240 2011年8月4日 (木) 16:28 (UTC)返信

貴方からの回答の内容がいま一つ不明確であるため、もう一度確認します。「 Wikipediaで定められている、168時間異論が無ければ合意形成とするというルールに従うかどうか」。従うか、従わないかでお答え下さい。もちろん、回答の内容については、言葉だけではなく、責任を持って実行動を伴っていただきます。
貴方からの鸚鵡返しの質問は、私からの質問にきちんと回答されてから、お答えいたします。--Dr.Jimmy 2011年9月15日 (木) 07:47 (UTC)返信

私の2011年8月4日 (木) 16:28 (UTC)の意見に、何の回答をされているのか不明確です。これでは答えようがありません。--222.11.70.240 2011年9月21日 (水) 14:35 (UTC)返信

これは失礼しました。返答を記述する場所を間違えていました。正しい箇所にあらためて転記しますので、回答をお願いします。--Dr.Jimmy 2011年9月22日 (木) 01:11 (UTC)返信

論点を整理します 編集

ここでの議論は一番上の「Dr jimmyさんHyolee2さんの差し戻しについて」の見出しから全て続いています。--222.11.70.240 2011年10月30日 (日) 13:23 (UTC)返信

何度も同じことを繰り返し言えば、事実になると思ったら大間違いですよ。
論点を絞って、一つ一つ進めていきますかね。まず、「清氏の公式サイトに書かれた文章」は、Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイトに該当する、これはよろしいですね。で、「自主公表された情報源:公式サイト」の情報は、「情報源自身に関する記事」においても、条件を満たした場合にのみ使用できる、これもよろしいですね。
で、その条件である「過度に自己を美化するもの」に該当するかどうか、ですが、「面倒見~定評がある」という箇所について、公式サイト以外にこれを証明する情報源は存在しない(少なくともあなたは提示することができない)ということでよろしいですね。--Dr.Jimmy 2011年8月11日 (木) 12:48 (UTC)返信

何度も同じことを繰り返して言っているのは、あなたの主張を既に述べた事で反論できるからです。 そして何度も上で書いたように、過度に自己を美化するかどうかと、他に情報源があるかどうかは関係がありません。--222.11.70.240 2011年8月17日 (水) 19:05 (UTC)返信

反論できていると思っているのは貴方だけであって、的を得ていない反論を繰り返したところで事実になるわけではありませんよ。
こちらでも貴方はきかれたことに答えようとしないが、前回私が確認したことは異論はないということでよろしいですね。
「何度も上で書いた」ことは、貴方の個人的な想像であり願望であり妄想でしかありません。客観的な事実を挙げて下さい。客観的な事実に基づけば、公式サイト以外に清氏を評価した事実は何一つなく、「自画自賛」に過ぎません。客観的な事実に対しては、客観的な事実を持ってのみ反論して下さい。--Dr.Jimmy 2011年8月23日 (火) 10:29 (UTC)返信

的を得てないと思っているのは貴方であって、貴方がそう思っても事実は変わりまん。何度も上で書いた事は紛れもない事実です。 それを貴方は著作権は譲渡できないといった類のウソを言ったり、二枚舌を使い論点をズラしたりして、それら事実を認めていないだけです。 私は聞かれた事を答えないのではなく、既に答えた事を貴方が認めていないだけです。 また本人を記事にするための条件を満たし公式サイトを使用していると私は何度も言っています。 そして公式サイト以外に情報源がないことによって「自画自賛」になるという訳の解らない事を言わないようにと言ったはずです。--222.11.70.240 2011年8月29日 (月) 10:26 (UTC)返信

貴方が言う「反論」「条件を満たしている」というのは、評価が「口伝えでなされたもの」であろうというということか。それなら前回申し上げた通り「貴方の個人的な想像であり願望であり妄想」でしかありません。想像や推測で言うのなら、「マネージャ氏が捏造したものである」という主張だって貴方の主張と同程度以上に、十分成り立つわけです(念のため行っておくが、これはたとえであって私がそうだと主張している訳ではない)。今、存在している客観的な事実は、「公式サイト以外に、誰かが清氏を評価した事実は何一つない」ということです。他に誰も評価していないのに、自身で自身を評価しているのだから、「自画自賛」であり「自己美化」です。反論するのであれば、他の誰かが清氏を評価しているという情報源を提示するよう何度も言っているはずです。想像や推測だけで、客観的な事実を提示できないようであれば、反論にはならないということを、再度あらためて宣言しておきます。--Dr.Jimmy 2011年9月2日 (金) 07:55 (UTC)返信

今、存在している客観的な事実は、公式サイトという有効で検証可能な情報源があるということです。 私は既に検証可能な出典を示したのですから、それを認めずに別の出典を求めるのは止めるべきと既に言ったはずです。 そもそも清氏は芸能人のような有名人ではなく予備校講師ですから、幾つもの評論家や評価機関が形に残る方法で評価をしないのは普通です。 つまり真実であるなら他に形に残る情報源があるとはなりません(そもそもウィキペディアは「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が掲載の基準ですが)。 私は既に検証可能性な客観的事実を提示しているという事を、再度あらためて宣言しておきます。 因みに私の言う「反論」「条件を満たしている」というのは、貴方の発言全てに対してであって「口伝えでなされたもの」一つではありません。 また他人が評価しているのですから「自画自賛」でも「自己美化」でもないし、例えそうだとしても「過度」でなければ問題ないとウィキペディアのルールに書いてあると何度も言ったはずです。--222.11.70.240 2011年9月8日 (木) 18:48 (UTC)返信

残念ながら、貴方が私に行ってきた「反論」とやらは、客観的な証拠を何一つ提示されておらず、反論になっておりません。
今問題にしているのは、「公式サイトで検証可能かどうか」などということではなく、その公式サイトにある自画自賛記述が、公式サイトを使用するための条件に叶っているのかどうか、ということだったはずです。
「自画自賛かどうか」ということについて、「貴方の個人的な想像や願望や妄想」ではなく、客観的な事実を以って反論するように求め続けているのですが、自画自賛でないという「検証可能性な客観的事実」などは何一つ提示されていません。
「清史弘の公式サイト」が「清史弘」本人について、「広く世間一般に認められている評価・評判」があると賞賛している。しかし、公式サイト以外に誰かが清史弘を評価しているという事実は、皆無である(「少ない」ではなく、「何一つ無い」ということ)。
これが「自画自賛」でも「自己美化」でも「過度」でもないと主張するのなら、客観的な証拠の提示のみを以って行うこと。「予備校講師だから、形に残る評価はない」というのでしたら、「自己美化」であるということを否定することはできない、と言っていることになります。--Dr.Jimmy 2011年9月15日 (木) 07:48 (UTC)返信

客観的な証拠を何一つ提示していないのは、貴方の方です。 それどころか著作権は譲渡できないといった類のウソを言ったり、二枚舌を使い論点をズラしたりといった捏造で反論してさえいます。 「面倒見~定評がある」の一文は、清氏とは別の人間が書いたという事が清氏のツイッターにより既に証明ずみで、自画自賛でない事は明らかです。 そんなに言うなら件の一文を清氏自身が書いたという客観的な証拠を出してください。 また公式サイト以外に誰かが清氏を評価している事実は皆無というのも貴方の決め付けです 何故なら何度も言ったように口伝えの可能性があるからです。 これは私の想像とかいう次元の話ではなく、貴方は口伝えの可能性がゼロであると証明しなければ、他に誰かが清氏を評価している事実は皆無と言えないという事です。 貴方が、他に誰かが清氏を評価している事実は皆無、と言う事はつまり件の一文は捏造であると言ってるという事ですが(貴方はそう主張している訳ではないと言っている様ですが、そう主張しているも同然です。)、 捏造であるというなら、その証拠を出してください。 上で言ったように真実であるなら他に形に残る情報源があるとはなりません。 因みに形に残るものとして清氏を評価している事実がありました。 これには「教えることの実力はもちろん~」とあり、 これには「清史弘先生の講座が楽しみで~」とあり、 これには「いまや日本予備校界の看板講師です。」とあります。 清氏のマネージャが評判を捏造したのではなく、こういった受験生や指導者の生の声が周りに実際にあるので、自己美化にはなりません。 これらは直接出典にはしませんが、公式サイトの件の一文を裏付けるものであり、公式サイトが有効な出典であるといえます。 そしてウィキペディアの記事には有効な出典が一つあれば十分であり、貴方はそれを認めず他の出典を求めるような事をすべきではありません。 そして件の一文には有効な出典があるということです。 この場合の有効なとは、本人を記事にする場合であり、さらに「自画自賛でもなく」例えそうであったとしても記事全体の中で占める割合が、たったの一文だけということから「過度ではない」ということであり、これはウィキペディアのルールから公式サイトを使用する条件に叶っているということです。 あと件の一文は「清氏の周りでの評価・評判」であって「広く世間一般に認められている評価・評判」とは書かれていないのですが。二枚舌を使わないでくださいと何度も言ったはずです。--222.11.70.240 2011年9月21日 (水) 14:32 (UTC)一部追加---222.11.70.240 2011年9月26日 (月) 16:07 (UTC)返信

議論に関係の無い、勝手な決め付けによる個人攻撃や煽りは、一切無視します。また、無いことを証明せよなどという非常識な要請、また、私が主張したこともないことを証明せよなどという無意味な要請も、無視します。
清氏が書いたことを証明せよなどと要求していますが、実際に誰が書いたかなど問題ではなく、「清氏の公式サイトで自主公表された情報源」であるという事実で十分です。
で、最初の要請から4ヶ月以上経って、ようやく形の残る証拠を提示してくれました。しかしながら、個人のブログは、「信頼できる情報源」にはあたりません。また、「~定評がある」という言葉の意味は「広く世間一般に認められている評価・評判」があるということを意味しており、たかだか2,3のブログで述べられただけでは、内容に大きな隔たりがあると言わざるを得ません。2番目のブログについては、匿名の一般人(指導者)に過ぎず、内容も「楽しみ」だと言っているだけなので論外として、1番目と3番目については実名で職業や地位も公表しており、また著作物もあるということで、「著名な専門研究者」とまではいかないでしょうが、教育分野での専門家が実名で公表しているので、かろうじて情報源として受け入れられるかもしれません。少なくとも、自主公表された自分自身への評価よりは遥かに第三者的・中立的な情報になりますので、評価の部分については、1番目と3番目のブログを出典として書き換えることにしましょう。--Dr.Jimmy 2011年9月28日 (水) 05:20 (UTC)返信

勝手な決めつけによる個人攻撃や煽りをしているのは貴方の方なのですが。 そして「清氏の公式サイトで自主公表された情報源」であるというので何が十分なのでしょうか?別の人間が書いたものなのですから自己美化ではないのは明らかです。 そもそも自己美化であっても過度に美化していなければ問題はないとウィキペディアのルールにも書いてあると言ったはずです。 記事全体の中で占める割合が、たったの一文だけということから「過度ではない」のは明らかです。 で、私はあれらのブログをウィキペディアの記事の出典にしようと言っているのではなく、公式サイトの件の一文には裏付けがあると言っているのです。 あくまで公式サイトが有効であるという事を言っているのです。公式サイトが「主」であれらのブログは「従」であると言っているのです。 貴方は2,3のブログでは内容に隔たりがあると言っていますが、あれら以外にも多くの形として残らない口伝えの評価、評判があり、清氏のマネージャはそれらをよく聞いていたと考えるのは自然なことでしょう(最も本来は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」で十分なのですが)。 ですので、評価の部分は書き換える必要はないでしょう。--222.11.70.240 2011年10月4日 (火) 13:31 (UTC)返信

「自主公表された情報源:公式サイト」というのは、本人が書いたかどうかなどということを要件にしてはいません。「マネージャーが書いた」などというエクスキューズは通用しません。「清氏の公式サイトに書かれた文章は、Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイトに該当する」ということは、きちんとあなたにも確認しました。同じことを今更蒸し返さないこと。
それから、「たった一文」が自己美化しているのであれば、その自己美化している箇所を使わなければよいだけのことでしょう。何も自己美化以外の生まれや経歴なんかまで含めて自己美化だから使うなと言っているのではないのですから。
何度も言いますが「口伝えがあったはずである」などというあなたの憶測・推測は、何の論拠にはなりません。
また、「検証可能かどうかで十分」などというのも、あなたの個人的な解釈に過ぎません。「検証可能であるからといって、Wikipediaに書いてよいとは限らない」ことは明文化されています。
より第三者的な資料を使って書き直すのが嫌なのでしたら、やはり自己美化の一文を削るしかありませんね。--Dr.Jimmy 2011年10月11日 (火) 09:09 (UTC)返信

それ以前にそもそも「自主公表された情報源:公式サイト」には、本人でない別の人間が書いた物ではダメだと書いていないのですが。 それどころか「自主公表された情報源:公式サイト」には、過度でなければ自己美化していても記事に出来ると書いてあると何度も言っています。 「たった一文」であり過度ではありませんので削る必要はないでしょう(もちろん別の人間が書いたのですから自己美化ですらありません)。 それから貴方は口伝えなどないと言いますが、清氏を評価する人は全員、形に残るものを記述し、それは私が上に挙げたブログの数人だけである、と本気で思っているのですか? 形に残らない潜在的な人達はいないという、非現実的な事を本気で思っているのですか? 例えばこれの場合、清氏の事を評価する記述を書いたのは最近であり、それまでは口伝えで清氏を評価していた事になります(ツイッターを始めたのは3週間程前のようです。あと当の数学講師の名前がイニシャルになっていますが清氏のツイッターにフォローしているので清氏の事でしょう。)。 また「検証可能であるからといって、Wikipediaに書いてよいとは限らない」の横に「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかをご覧ください。」がありますが、そこを読んでも件の一文が当てはまることはないのですが。--222.11.70.240 2011年10月17日 (月) 14:41 (UTC)返信

「本人でない別の人間が書いた物ではダメだと書いていない」なんて、当り前です。常識的に読めば、誰が書いたかは問題にしておらず、「公式サイトによって公表された」ことでこれに該当することは当然でしょう。子供が駄々をこねるような鸚鵡返しは止めて下さい。
「たった一文」が過度な自己美化だから、その一文を削れば美化ではなくなります。
いくら、「信頼できる情報源」に当たらない、個人のブログやツイッターを集めたところで、「広く世間一般に認められている評価・評判」とは天と地ほどの差があります。それどころか、あなたのやっていることは、Wikipediaで禁止されている「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」です。「形に残らない潜在的な人達はいない」などとは一言も言っていません。形にならないものはWikipediaの出典としては使えず、私への反証にはならないと言っているだけです。
最後の文は意味不明です。Wikipediaに掲載される条件として、貴方が主張する「検証可能かどうかで十分」というのは、はっきりと方針で否定されているということを再度強調しておきます。それとも、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかを見て、冒頭の太字の注意書きを見ずに、列挙されている事例に該当しないと言っているでしょうか。--Dr.Jimmy 2011年10月23日 (日) 15:00 (UTC)返信

双方言い分はあるでしょうが、半年も同じ論点をめぐって議論を続けるのは不毛ではないでしょうか?仲裁者を求めてコメント依頼をするのはどうでしょうか。

(IP氏へ)あなたが書き加え用としているその一文は、どうしてもこの項目になければならないものなのでしょうか?存命中の人物への直接的な評価、というものは良しにつけ悪しきにつけ非常に加筆のハードルが高いものだと思います(余程の著名人でない限り権威ある第三者が評価をすることはありません)。著書や事績の記述であれば客観的な形での出典を確保しやすいですし、それによって実績、人気のある講師であるということが示せると思いますが、そういった方面への編集方針の転換は不可能でしょうか。--133.86.235.103 2011年10月25日 (火) 10:44 (UTC)返信

コメントありがとうございました。私の方でも、既に2名だけの議論では埒が開かないと思っており、井戸端で意見を聞いた後に、コメント依頼を出そうと考えていました。良い機会でしたので、早速コメント依頼の方も提出しました。--Dr.Jimmy 2011年10月26日 (水) 07:34 (UTC)返信

常識的に読めば本人が書いて自己美化だったとしても過度でなければ問題ないと読めるのですが。 そして「全体の記事の中でたった一文」なのですから過度ではありません(もちろん自己美化ですらありませんが)。 上で言ったように私はブログやツイッターをウィキペディアの記事の情報源にしようとしてるのではなく、貴方が件の一文の内容を疑うので、その裏付けのために提示しただけです。公式サイトが「主」でブログやツイッターは「従」ということです(そもそも重要なのは公式サイトという出典を提示するだけで十分で、その内容の真実性の裏付けをする必要はなかったのではあるのですが)。 私の「222.11.70.240 2011年5月17日 (火) 16:17 (UTC)」や「222.11.70.240 2011年5月22日 (日) 10:54 (UTC)」等の意見で言ったようにプロフィールの全文を記載する事は、手を加えないわけですから編集者(私)の個人的な観点等が入らないため「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」には「なりません」。 むしろ編集者(貴方)が件の一文を削除するということは、手を加えるわけですから貴方の個人的な観点や分析、解釈が記事に入り込み中立性を欠いたり独自研究となります。 「形に残らない潜在的な人達はいる」と思ってるなら件の一文は残すで良いでしょう。形に残らないものをウィキペディアの出典にしようとしてるのではなく、件の一文が捏造かどうかは言えないというためだけに提示しただけですから。 そして件の一文は「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」にもそれ以外のルールにも違反していません。

(133.86.235.103氏へ)確かに私個人としては件の一文をどうしてもと思っているわけではありません。 しかし「222.11.70.240 2011年5月17日 (火) 16:17 (UTC)」や「222.11.70.240 2011年5月22日 (日) 10:54 (UTC)」等で書いているように件の一文を残すことがウィキペディアのルールに当てはまり、削除することが違反となるために残す必要があると言っているまでです。--222.11.70.240 2011年10月29日 (土) 23:02 (UTC)返信

コメント依頼を見て来ました。
222.11.70.240さん、井戸端での皆さんの反応を見ても222.11.70.240さんの主張は通すのが難しく思えます。
そこで、「取り合えず」Dr jimmyさんが提案している「評価の部分については、1番目と3番目のブログを出典として書き換えることにしましょう。」を落とし所にし、他に強力な補完出典が得られた時にでも、再度公式ホームページの文言を採用する事を提案してみてはどうでしょう?
--Toshi999 2011年10月30日 (日) 07:53 (UTC)返信

(Toshi999さんへ)基本的に自分自身を記事にするのではない場合、その出典として個人のブログ等は使えないとあります。ですのでそれらブログを出典をして書き換えても他の人によって削除される可能性がありますので、妥協案として成り立っていないと思います。私がそれらブログを提示したのは件の一文の内容を裏付けるためだけにしたものです。--222.11.70.240 2011年10月30日 (日) 13:23 (UTC)返信

そんな事は無いと思いますよ?やはり、ノートで合意形成された記述だと言うのはかなり強力な保護理由になり得ますので、仮に削除されても「ノートで合意済みだ」と差し戻せば宜しいのでは無いかと。
そうして今回の合意された記述を保護しつつ、将来的に強力な出典を持って来て再度の合意を形成すれば良いので、十分に222.11.70.240さんに取ってもメリットの有る落とし所になると思います。
--Toshi999 2011年10月30日 (日) 13:32 (UTC)返信
横から失礼します。Shigeru23と申します。井戸端から参りました。さて、Wikipedia:検証可能性の「自主公表された情報源:公式サイト」が言及しているのはセクション名からも「公式サイト」であることが明らかです。222.11.70.240さんご自身も当該ガイドラインを引き合いに出されているにも関わらず、なぜ『本人』であるか無いかにこだわられるのか理解できません。このガイドラインの当該セクションでは「公式サイト」であることをのみに言及しており、『本人』なのかといった記述者を特定する必要性などまったく論じておりません。また、このガイドライン内で『過度に自己を美化するものでなく……』と書かれている『過度』なのですが、『過度に○○するものではなく……』となっていることからも日本語の意味として『美化』の程度を示しているのであって文章量を示しているのではありません。このような文意を無視した読解を行ったり、会話上での論議とは明らかに無関係なガイドライン(Wikipedia:ウィキペディアは何でないか)まで言及して本件に合致する指示がガイドラインに書かれていないことをもって、自己の主張にも正当性があるような論理展開を試みられたりされるなどはWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用(法律家ごっこ)に該当しそうです。
Dr.Jimmyさんが個別に丁寧に説明されているのに、222.11.70.240さんは同じ論点でいつまでもご納得されないまま、途中からは相手の些細な言葉尻を捕らえて最初の本論とは無関係な全く別の議論を始めようとされているのですが、これらはWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないで示されている『しばしばこのような編集者は、要点をはっきりさせようとしてなされた、他者のささいな発言を根拠にして、次なる攻撃や妨害的編集を続けようとします』がそのまま該当するように思えます。また、井戸端での指摘を受けて態度を変えられるご様子も無く、上記での「妥協案」も拒否されるようですので、多くの点で問題があると思います。222.11.70.240さんはこのあたりでご納得される方が良い様に思えます。偉そうに書いて申し訳ございませんが、私からは以上です。--Shigeru23 2011年10月30日 (日) 21:50 (UTC)返信

(Toshi999さんへ)強力な保護理由とは、どのような根拠や保障あってのことでしょうか? 妥協案であるわけですからToshi999さんが言うように私にとってメリットがなければいけませんが、それにはその案が別の人に破棄されない必要があります。

(Shigeru23さんへ)清史弘氏についての記事なのですから自己というのは清氏の事であり、それ以外の別の人間が書いたものは自己ではありません。よって自己美化ではありません。 過度かどうかは普通、記事全体の内容から判断して過度かどうかいうものです。たった一文というのは文章量が少ないからとかではなく、記事全体の内容(主旨)が清氏を美化する内容となっていないから過度ではないという事です。 よって件の一文では美化の「程度」は過度ではありません。文意を無視する読解はやめてください。 「ウィキペディアは何でないか」を持ち出したのはDr.Jimmy氏が「Wikipedia:検証可能性の但し書き」の事を触れたためにした事であり、何ら問題ありません。 そもそもDr.Jimmy氏自身も「ウィキペディアは何でないか」についての話をした事があるのですが。 私が相手の些細な言葉尻を捕らえて最初の本論とは無関係な全く別の議論を始めようとしているというのも、全くの言い掛かりです。 Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用(法律家ごっこ)、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しない、はそのままDr.Jimmy氏に当てはまります。 これらDr.Jimmy氏に当てはまる事を私にすりかえるShigeru23さんには多くの点で問題があると思います。偉そうに書いて申し訳ございませんが、私からは以上です。--222.11.70.240 2011年11月3日 (木) 10:14 (UTC)返信

222.11.70.240さん。合意が強力な保護理由になる理由は、一つはWikipediaの慣例が有ります。またご自身でも仰ってる通り、「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用(法律家ごっこ)」はルールに拘らず合意を優先して下さいと言う趣旨に基づく物です。またWikipediaの5本の柱にも合意を最優先とする旨は書かれています。よって、安直に合意さえ有ればルールを無視して良いと言う事にはなりませんが、しかし、ルールの主旨に反さない範疇での合意と言うのは、ルールの表面上の文言などよりも強力な担保と成り得ると思います。(記事を育てる為にどうしても必用なら、時にはルールに反するローカルルールを合意によって形成する事さえ有るのですから)
しかしながら、私はコメント依頼を見てちょっと首突っ込みに来た程度のスタンスですので、強くお勧めするつもりは有りません。ただ前回も書きました通り、現状222.11.70.240さんの主張は井戸端を見る限りコミュニティの信任を得られていませんので、このまま頑なに主張を押し通そうとしても良い結論は得られない所か、更に立場が悪くなる可能性も有ると私は思っています。もしそうなれば、当然オールナッシングになる訳ですが、それを考えればここでお互いに歩み寄って合意を計った方が、大きなメリットが得られると思いますよ。
--Toshi999 2011年11月3日 (木) 10:45 (UTC)返信

「面倒見~定評がある」の一文はウィキペディアのルールにも合致したものであり削除の必要はないものですが、このまま議論が平行したままでは埒が明かないというのも確かであるので、合意が強力な保護理由になるのならToshi999さんの妥協案を受け入れることにします。 その際、出典は多いに越した事はないので4番目のツイッターも出典に加えることにしましょう。--222.11.70.240 2011年11月5日 (土) 02:40 (UTC)返信

前回の投稿でも触れていたのでご存じでしょうが、Wikipedia:井戸端/subj/「自主公表された情報源:公式サイト」の解釈についてWikipedia:井戸端/subj/公式サイトを丸写しすることの是非についてにて、あなたの主張内容が妥当かどうか、他の方の意見を伺いました。ベテラン管理者の方を含む、経験豊富な編集者の方々から多くの意見をいただきましたが、結果としては、あなたの「マネージャは別人だ」だの「自己美化にならない」だの「公式サイトの文章に手を加えることは独自研究にあたる」だのといった主張は、完全に否定されました。リンク先の全文を熟読して下さい。それでも自分の主張が正しいなどと言うつもりでしたら、井戸端で反論でもしてみてはいかがでしょうか(言うまでもありませんが、管理者というのは、Wikipediaの方針やルールを理解し、それを適切に運用できることを、多数の編集者から認められた人しかなれません)。それでも納得しないのならWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないそのものであると断定せざるを得ません。
今回の井戸端でのやり取りで、あなたが主張し、実際に行っている公式サイトの文章の丸写しは、Wikipedia:原典のコピーはしないというガイドラインに明確に反することがわかりました。一旦コピーする前の状態の戻すことも考えましたが、問題となる箇所の修正に応じるというのでしたら、そこを落とし所にしてもよいでしょう。「出典は多いに越した事はない」というのは、Wikipedia:信頼できる情報源に限られるものであり、既に述べたように、2番目のブログや、後で提示された4番目のツイッターなどの、単なる一般人の書いたものは、出典とはなり得ません。何度も言い続けてきましたが、方針の理解をあらためてお願いします。--Dr.Jimmy 2011年11月5日 (土) 12:19 (UTC)返信
(222.11.70.240さんへ)突然失礼を。Toshi999さんの説明自体は極めて丁寧で適切なものですが、222.11.70.240さんの目的が自身の投稿テキストを死守することにある限り、前進は望めません。他のウィキペディア参加者とはそもそも目的が違うわけですから。方針も合意のルールも誰か個人の記述を保護するためには存在しません。
もしも諸方針の趣旨をひとり曲解したまま不適切な対応をまた繰り返されてこの記事とあなた自身の立場を更に悪くなさらないよう、ぜひ賢明な判断をお願いしたいですし、今のうちにそれを強くお勧めします。この記事の記述を是が非でも維持しなければならない特段の事情をお抱えで無いのであれば。--ディー・エム 2011年11月5日 (土) 16:25 (UTC)返信

(Dr jimmy氏、ディー・エムさんへ)私はToshi999さんの妥協案を受け入れることにしたので、既にその話は終わっています。--以上の署名のないコメントは、222.11.70.240会話/Whois)さんが 2011年11月6日 (日) 22:22‎ に投稿したものです。

何か、勘違いしていないか? 貴方は自分に決定権があると思っているようだけれど、大間違いです。あくまでも、必要なのは、コミュニティの合意ね。--Dr.Jimmy 2011年11月6日 (日) 13:50 (UTC)返信
仮に私が、ディー・エムさんの修正案を受け入れて、その通り編集したとしても、貴方は文句を言わないということでよろしいですね。--Dr.Jimmy 2011年11月7日 (月) 01:29 (UTC)返信

Toshi999さんの妥協案はDr jimmy氏が提示したものでもあったはずです。Toshi999さんの案を受け入れる事はDr jimmy氏の案を受け入れる事になるはずですが。--222.11.70.240 2011年11月8日 (火) 13:06 (UTC)返信

1ヶ月以上も前に行われ、しかも貴方が拒否し、私も取り下げた提案について、その後自分に不利な状況が明らかになったからといって、自分に都合の良いところで妥協して議論を終わらせようとしてもダメです。しかも、ディー・エムさんは、その提案に対して一切関係ありません。Toshi999さんの提案を受け入れたからといって、議論そのものが終わりになるというわけではありません。
それから、私の11月5日 (土) 12:19 (UTC)に述べたように、貴方のこれまでの主張はWikipediaでは受け入れられないということは理解されたでしょうか? 返答するしないはお任せしますが、その場合は今後同様の主張は議論の中で行わないことです。--Dr.Jimmy 2011年11月10日 (木) 07:19 (UTC)返信

記事更新の報告 編集

記事を更新しました。あくまで応急措置ですが、222.11.70.240さんから強い要望が出ていた箇所は暫定的にブログ2件の出典を付け、原文のまま維持しました。

記事の内容だけで判断すれば、初版からいきなり出典無しの書籍宣伝、加えて(「公式サイト」と言う名の)個人サイトからほぼそのまんまのプロフィール転載で、本来は宣伝記事として削除依頼相当の案件だと思いますが、投稿履歴の中には善意の加筆・修正も含まれており、記事削除によってそれら貢献の履歴が完全消失するのは避けたいところです。できれば当該記事の内容をぎゅっと要約し、「エミール (学習塾)」へ統合(リダイレクト化)する方向で穏便に済ませられれば有益な記述と履歴を温存できてベターだと考えますがいかがでしょうか?--ディー・エム 2011年11月5日 (土) 16:25 (UTC)返信

2件のブログと、「公式サイトからの引用」の箇所については、書かれている内容が大きく乖離しており、出典としての役割を全く果たせていません。ブログを出典とするならば、ブログに書かれていることを忠実に記述すべきです。--Dr.Jimmy 2011年11月5日 (土) 17:06 (UTC)返信
ご指摘の件、ブログによる出典2件除去しました。
そもそもこの一文については記述する意味はあまり無く、混乱回避のため暫定的判断として記述を維持しただけなので、手間をかけて文言を調整する必要は無いと考えます。仮にも一流予備校の講師に対して「指導に定評がある」と当たり前の事を取り立てて言うのもある意味失礼な気もするし、たとえばサッカー選手の記事に「特技はサッカー」っていちいち書くんですか?ということですよね。逆に「授業がすごい苦手」ていう大手予備校講師がいたら特筆に値すると思いますが。
そういうことでよいでしょうか?--ディー・エム 2011年11月6日 (日) 11:44 (UTC)返信
一応、予備校講師でもサッカー選手でも、他者からの評価というのは、きちんとした信頼できる情報源に基づくものであれば、必要であるとされています。現在の記述は、公式サイトの丸写しで、自己美化にあたるので、掲載することは不適切であるため、ブログ(2件)を出典として、出典に忠実に全面的に書き換えようとしています。--Dr.Jimmy 2011年11月6日 (日) 12:32 (UTC)返信
早速返答有り難うございます。そういう強いご希望があれば反対はしませんが、おすすめしません。ブログの情報、しかも同業者同士の社交辞令のような賛辞をあえて記載する必要性は感じませんし、ここで修正して新規の表現を挿入しちゃうとあとで削りにくい。--ディー・エム 2011年11月6日 (日) 13:08 (UTC)返信

私が削除の合意をしたのは「面倒見~定評がある」の一文だけでそれ以外の記事の削除ではありません。--222.11.70.240 2011年11月6日 (日) 13:14 (UTC)返信

なぜ私の版を勝手に差し戻されたのでしょうか?理由を説明頂けますでしょうか。--ディー・エム 2011年11月7日 (月) 11:28 (UTC)返信
ディー・エムさんの修正案を受け入れることにします。近日中に修正することにします。--Dr.Jimmy 2011年11月8日 (火) 12:27 (UTC)返信

削除するのは「面倒見~定評がある」の一文だけだったはずです。記事の大半を削除することではなかったはずです。--222.11.70.240 2011年11月8日 (火) 13:06 (UTC)返信

Toshi999さんが提示され貴方が受け入れた妥協案というのは、例の一文を書き換えることであって、それ以外の公式サイト丸写しを保存するということではありません。そのような合意はなく、そもそも現在の公式サイト丸写しについても何ら合意を得たものではありません。しかも、Wikipediaのルールに反しているということが新たに判明しています。
昨夜遅く、InfowebのIPにより差戻しが行われました(勿論私ではありませんが)。InfowebIP氏の行動は褒められたものではありませんが、このままでは編集合戦になるおそれがあります。前回は222.11.70.240氏とHyolee2氏との間の編集合戦が原因で記事の保護が行われました。言うまでも無く、編集合戦はルール違反です。特に前歴のある222.11.70.240氏には強く申しておきますが、編集合戦は絶対に行わないで下さい。一応明言しておきますが、現在の記事でFIXしたということを示すものではありません。--Dr.Jimmy 2011年11月9日 (水) 00:32 (UTC)返信
(差し戻したのは勿論私でもないでーす、念のため)もし編集合戦の危険が生じた場合、今回の場合は保護よりも記事の削除対応を優先的に検討すべきかと思います。実はこのノートの初版(後の編集で誤って消されていますが)を見ると、この記事は以前に特筆性無しとの判断で一度削除されており、その後手違い的に別記事の移動(改名)処理で再作成されてしまったものなので、現状を鑑みても削除での対処が本来は妥当でしょう(Wikipedia:削除依頼/駿台予備学校の講師Wikipedia:削除依頼/駿台予備学校の講師2で26件削除、3件のみ特筆性を認め存続→その後当記事のみ削除後再作成され現在に至る)。ただ、記事統合してリダイレクトページとして存続するのはギリギリ許容範囲かなあと思いつつ、様子見も兼ねてその下地調整の意味で記述を整理してみたというのが私の編集の真意です。そのあたり、私個人は基本的には色々想定は用意しつつも臨機応変というスタンスではあるのですが。--ディー・エム 2011年11月9日 (水) 15:49 (UTC)返信
なるほど。既に「特筆性無し」ということで一旦削除されていたのですね。これは知りませんでした。Wikipediaのルールに反する「公式サイトからの丸写し」を取り除けば、何ら特筆性を示す「信頼できる情報源」が存在しないため、現状では単独記事を作成すること自体が不適当ということですね。ディー・エムさんの修正した記事を下地に、「特筆性を示す信頼できる第三者情報」(当然、個人のBLOGやTwitterではなく)を一定期間求め、なければ統合しリダイレクト化、という流れが妥当であると思います。--Dr.Jimmy 2011年11月10日 (木) 07:07 (UTC)返信
(賛成)基本賛成です。ただ、その後の取り扱いについて、記事統合とは言ったものの書く材料が無く悩み中。[1]のサイトに園歌載ってないし、映画「幸せ物語」についても「製作:有限会社数学研究所コスモボックス株式会社」ということで法人が製作元としてクレジットされてるから「自主制作映画」と書くと御幣があるような無いような感じで、読者に分かりやすく簡潔な説明を思いつきません。
ということで、本式の記事統合(履歴ページのリンク)は行わず、現時点ではひとまず「エミール (学習塾)」へのリダイレクト化のみ行うということでも良いでしょうか。--ディー・エム 2011年11月11日 (金) 14:44 (UTC)返信
私も賛成します。本人のサイトによる部分以外には出典がなく、それらは Wikipedia:独自研究は載せない という方針から問題があると思います。公式サイトがあるのだから、清史弘について知りたい人はそちらを見ればよいでしょう。ウィキペディアには、作成基準を満たした項目のみ作られるべきです。ところで「寄稿者の要望により」と注釈するのは、Wikipedia:ウィキペディアへの自己言及 をみるに、微妙なものに感じます。--Calvero 2011年11月13日 (日) 05:59 (UTC)返信
私もディー・エムさんの提示された案に賛成いたします。Calveroさんのご意見にも同意いたします。「寄稿者の要望により」の一文はあくまでも一時的なものでリダイレクト化されればそもそも必要なくなりますし、特筆性を示す「信頼できる情報源」が見つかれば、それに従ってその箇所も全面的に書き換えられるものと思います。--Dr.Jimmy 2011年11月13日 (日) 09:53 (UTC)返信
ディー・エムさんがリダイレクト化の提案をされてから1週間が経ちましたが、賛成意見のみで反対意見がありませんので、基本的にリダイレクト化を行うという方向で進めることにいたしましょう。あと1週間程度待って、特筆性を示す「信頼できる情報源」が提示されなければリダイレクト化するということにします。--Dr.Jimmy 2011年11月18日 (金) 14:02 (UTC)返信

賛成のご意見と期日のご提案、ありがとうございます。個人サイトへの外部リンク情報を「エミール (学習塾)」に、宣伝記事を取り除いた駿台文庫刊行物の書誌情報(本記事から除去済み)を「駿台文庫」に、それぞれ転記作業致しました。あとはその期日を目処にリダイレクト化実行ということでお願いします。--ディー・エム 2011年11月20日 (日) 09:07 (UTC)返信

  報告 1週間が経過しましたが、特筆性を示す情報源が提示されませんでしたので、コミュニティの合意に従って、予告通りエミール (学習塾)へのリダイレクトといたしました。議論に参加して下さった方々に、深く感謝いたします。--Dr.Jimmy 2011年11月25日 (金) 16:06 (UTC)返信

観点についての議論 編集

「著書」の節は出典の無い宣伝記述となっていました。駿台文庫の記事中に書籍リストがありますので、同社の書籍はあちらのリストに統合し、それ以外の書籍はサイトの著書リストにも掲載が無く特筆性の面で不要だと思います。とりあえずこちらのノート(↓↓↓下記参照)に移しましたが、この節は出典がない上に宣伝が酷いのでさすがに消して良いですよね?--ディー・エム 2011年11月5日 (土) 16:25 (UTC)返信

私には特に宣伝記述にはみえません。また書籍については公式サイトに掲載があります。--222.11.70.240 2011年11月6日 (日) 13:22 (UTC)返信

Wikipedia:検証可能性の文書は当然ご承知のはずですよね。ご自身でも繰り返し提示されておられますし。にもかかわらず下記記述の除去を差し戻したのは一体どういった認識に基づくご判断でしょうか?--ディー・エム 2011年11月7日 (月) 11:29 (UTC)返信

下記記述を書いたのは私ではありませんから出典は私はもちませんが、過去に多くの人が育てた記述を削除するのは惜しいと思います。削除するより誰かによって出典が付けられるのを待つ方が建設的だと思います。--222.11.70.240 2011年11月8日 (火) 13:06 (UTC)返信

まあ程度問題なので、さすがにこれはちょっと……というのが一点。それともう一点は、記述と除去の優先順位のルールは、例えるなら船とか飛行機がぶつかりそうになった時どっちが回避するかという決まりと同じように、ちゃんと守らないと衝突事故になるからすごい大事。--ディー・エム 2011年11月9日 (水) 15:38 (UTC)返信

著書

『受験数学の理論』シリーズ

受験数学の理論(じゅけんすうがくのりろん)シリーズは、大学受験のための数学を取り扱う駿台文庫の本(初版2005年、全11巻)である。

通常の参考書のような「数学I・A」「数学II・B」「数学III・C」といった科目名の分け方ではなく、「数と式」「図形と式」「微分と積分」のように、内容の分野ごとにまとめてある。その内容は以下のとおりである。

  1. 数と式(方程式不等式
  2. 関数三角関数指数関数対数関数2次関数分数関数無理関数
  3. 場合の数確率
  4. 図形と式(の方程式、領域
  5. ベクトル
  6. 数列級数極限を含む)
  7. 微分法積分法の基礎
  8. 微分・積分
  9. 行列
  10. 2次曲線
  11. 受験数学と教えられない数学

この本の最大の特徴は、参考書ではなく教科書という性格を持たせている点にある。参考書の多くは文部科学省検定した教科書である「検定教科書」の内容をもとにそれを補う形で構成される。例えば、公式などを、導き方を説明せずに結果だけをのせ、それを使う練習から始まるものが多い。しかし、『受験数学の理論』は、定義およびそれに基づき公式を導き出す説明から始まり、「検定教科書」とは違った切り口で受験レベルの数学(一部高校数学を超えた範囲)までを説明している。ゆえに検定教科書を使わなくても、このシリーズだけで高校数学の入門者から上級者まで幅広く対応した内容になっている

『受験教科書』シリーズ

『受験数学の理論』シリーズの前身となった出版物(2000年、全12巻)。出版社はSEG (学習塾)。『受験数学の理論』シリーズ同様、高校数学で扱う内容を科目ではなく分野ごとにまとめてある。その内容は以下のとおりである。

  1. 数と式(方程式不等式
  2. 図形と式(の方程式、領域
  3. 場合の数確率
  4. 数列
  5. ベクトル
  6. 複素数
  7. 微分積分入門
  8. 微分・積分
  9. 行列線型変換
  10. 2次曲線
  11. 三角関数指数関数対数関数
  12. 受験数学と教えられない数学

このシリーズが、予備校教師によって書かれた、大学受験を目的とした教科書であるという点は、大学受験数学史上において重要な意味を持つ。1990年代まで、「教科書」とは、学校教育関係者によって書かれた「検定教科書」を常識的には指していた。塾・予備校教師が著すのは主に参考書であり、教科書ではなかった。文部科学省の定めた学習指導要領に反発する団体が「検定教科書」以外の教科書(検定外教科書)を出版することはあった<ref>[[数学教育協議会]]と[[遠山啓]]による『わかるさんすう』など</ref>が、大学受験のための数学学習を目的としたものではなかった。

ところが、1994年と2003年の二度にわたる高等学校学習指導要領の改訂により、高校数学の内容は大幅に削減され、その体系性・系統性が失われ、多くの矛盾点を含むものとなった。そのような状況を危惧した清が、文部科学省のカリキュラムに縛られず、高校数学およびそれ以降を見通して作成した大学受験用の「検定外教科書」が『受験教科書』シリーズであった。

その後、SEG出版の解散とともに駿台文庫版権移行され、『受験数学の理論』シリーズとして改訂出版された。

なお、1990年後半以降、『受験教科書』シリーズおよび『受験数学の理論』シリーズ以外にも、「検定外教科書」を謳った書籍は数多く出版されている。

その他
  • 受験数学の理論問題集 (駿台文庫) (全7巻)
  1. 数と式
  2. 関数/微分法・積分法の基礎(未刊)
  3. 場合の数と確率
  4. 図形と式/ベクトル(未刊)
  5. 数列
  6. 微分・積分
  7. 行列と1次変換/2次曲線
  • 数学の計算革命(駿台文庫)
  • 青本・早稲田大学理工学部 (駿台文庫)
  • 青本・東大後期 (駿台文庫)
  • 本質の演習 (旺文社・共著)
  • 文部科学省検定教科書とその附属教材 (旺文社・共著)
  • 理系への数学 (現代数学社) に連載
  • 蛍雪時代「鉄人の数学」に連載 (2006年度)
  • 数学の幸せ物語 (現代数学社 全 2 巻 10年1月刊行)
  • 受験教科書 (SEG 出版) (絶版)
  • 大学入試正解(旺文社・共著)
  • 教員免許更新テキスト (昭和堂・共著)
  • 聞いてしまえばとっても簡単(旺文社・共著)

すみません、記事本体削除の可能性を忘れて、なにげにコピペしてしまったので。以下、上記テキストの主要編集履歴です。

  • 2011年6月6日 222.11.70.240
  • 2011年5月12日 擬態 (内容を分けて記入)
  • 2010年9月30日 222.11.64.154‎
  • 2010年9月11日 222.11.64.154 (→その他)
  • 2010年8月29日 222.11.64.154‎ (→『受験数学の理論』シリーズ)
  • 2010年8月20日 222.11.64.154‎ (→『受験教科書』シリーズ)
  • 2010年8月18日 222.11.64.154‎ (→その他)
  • 2009年6月30日 Ozean-schloss‎ (『受験教科書』の細目などを追加)
  • 2009年6月25日 114.182.9.161 (→『受験数学の理論』シリーズ)
  • 2009年5月21日 Ozean-schloss‎ (受験数学の理論を加筆修正)
  • 2008年7月20日 133.11.142.237
  • 2006年12月16日 ‎219.108.132.250
  • 日付はUTC
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