Wikipedia:井戸端/subj/「近年」の表現に付いて

「近年」の表現に付いて 編集

目蒲東急之介です。さて今回は「近年」の表現に付いて皆様にお伺いします。

Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」では「近年」等の表現を使用しない事を推奨していますが、利用者‐会話:121.94.159.201でユーザーのお1人様が「(チャタレイ夫人の恋人での)拘束力のない「草案」に基づいて正当だと仰られても困ります。今回の場合、すべての翻訳を網羅されているわけでもないですし、挙げられている翻訳の年代からすれば10年くらい経っても、未だ近年であることに変化はないでしょう。」とのコメントがありました。

これを見て感じたのですが(私の考え過ぎなのかも知れませんが)、それであっても「近年」の表現はあまり使うべきではなく、もし「未だ近年であることに変化はない」と言う理由で使うのであればWikipedia:すぐに古くなる表現は使わないに例えば「「近年」等と言う語句の使用を止むを得ないとする時」等の例外規定を設けた方が良いと思いますが如何でしょうか?

これに付いてご意見をお願いします。--目蒲東急之介 2009年12月17日 (木) 09:25 (UTC)[返信]

  コメント チャタレイ夫人の恋人を見ましたが、地の文で無いならばあまり表現に拘る必要はないと思います。「近年の翻訳」を「翻訳」や「1990年代以降の翻訳」に変更しても情報は増えません。むしろ後者は、具体的な数字が根拠無く出てきている分だけ不適切だと思います。WP:DATEDへの準拠が推奨されるのは、例えば「近年xxが発見された」のように、具体化することで情報量が増える・正確さが増す場合でしょう。
Wikipedia の記述は全て出典に基づく必要がある事を考えれば、「すぐに古くなる表現は使わない」とは、「具体的な年代記述のある出典を探しましょう」「出典の記述に対して時制の一致を行いましょう」ということだと思います。出典に依拠しない「近年」ならば、それは表現の問題ではなく、独自研究として排除すべきです。表現の一律禁止を原則に例外規定を設けるよりも、出典の明記や検証可能性との関係を明確にする方が良いのではないかと思います。- NEON 2009年12月17日 (木) 12:45 (UTC)[返信]
◆基本線としておれは自分の文章でもなるべく「近年」は使いませんが、まあ新たなルール作りとかをやるようなこっちゃないでしょう(ていうか、なんでここで「例外規定を設ける」とかいう話が出てくるんだかがよくわからない)。機械的に除去する者などは基本線問題外でよく、あとは個別具体的に検討すればいいだけの話で。
なるべく日時は明らかにしておくべきだとは思うものの、明らかにトレンドとしては確認できるがそれを明言することが困難なケースなどはあり得ます。特定文献を出典として挙げることは可能であってもその結果として当該特定文献の独自の研究の結果を持ち込んでしまうことになる可能性もあります。
なんかちょっと「近年という表現の排除に関して教条主義に陥っておられるのではないか」という感想を抱きました。--Nekosuki600 2009年12月17日 (木) 14:42 (UTC)[返信]
  コメント「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」に書かれていることからは、チャタレイの記事で「近年」を避ける理由がそのまま導かれるわけではなさそうです。で、「近年」は、たぶん避けるほうが好ましくて、そこで、「近年」を避けるにはどうすればいいかというのを考える、というのが、大事なのではないかと思うのです。百科事典として和訳に触れるなら、広く収録されている伊藤整訳とチャタレー事件を扱うのがよくて、「近年」に限る必要はないだろう。今回の場合だと、「近年の」とするよりも、未完成なまま「翻訳」としたままにしたほうが、加筆が促されるんじゃなかろうか。「近年の」という区切りに意味があるとすると、完訳の登場だと思う。永峰勝男訳、武藤浩史訳が、この完訳と同じようなところで扱われるべきものなのかどうかは、わからないですけれど。もしわかれば、そのへんを書いてもらえるとうれしい。完訳登場前までは、国会図書館の書誌情報を飛ばし読みした程度ですが、以下のようなことになるでしょうか(脚注非表示のままにしておきます。使えそうなら履歴などは気にせず自由に転記してください)。日本語以外への翻訳をどう扱うかという問題は残りますけれど。
伊藤整の訳は、複数の出版社から刊行され、また全集などに広く収録されている。昭和10(1935)年に健文社から伊藤整による訳本が出版されたものが初訳[1][2]。1950年に小山書店から出た完訳[3]は、わいせつ性が問われ、最高裁まで争われる事件となり、出版社と訳者は有罪となる。1964年には一部削除した版が売られるようになった。
伊藤整訳のほかは、青木書店からの飯島淳秀訳(1951年[4]。その後1955年に三笠新書、1958年に角川文庫、1962年に角川文庫で改訳版[5]としても刊行。1982年には富士見ロマン文庫[6]からも刊行された)、1973年に講談社文庫からの羽矢謙一訳[7]、作品社から神西穣訳(1953年)[8]、浪速書房からの根岸達夫訳(1969年)、学習研究社からの五木寛之ほか編集『世界文学全集 12』[9]での伊藤礼訳(1978年)がある。
--Ks aka 98 2009年12月17日 (木) 18:38 (UTC)[返信]
  1. ^ 増口充「伊藤整訳『チャタレイ夫人の恋人』における"表現の自由"と検閲」日本ロレンス協会第38回大会プログラム 発表要旨PDF. p.6. なお、増口には「日本における『チャタレイ夫人の恋人』--伊藤整訳を中心に見た翻訳史 (特集 『チャタレー夫人の恋人』を読み直す)」英語青年 2007/9. 153(6). pp.329〜331. もある。
  2. ^ 『チヤタレイ夫人の恋人』国立国会図書館書誌情報
  3. ^ [1][2]
  4. ^ 『チャタレイ夫人の恋人について・性の虚偽と真実』青木書店国立国会図書館書誌情報
  5. ^ 角川書店国立国会図書館書誌情報
  6. ^ 国立国会図書館書誌情報
  7. ^ 『チャタレイ夫人の恋人』講談社国立国会図書館書誌情報
  8. ^ 『チャタレイ夫人の恋人』富士見書房国立国会図書館書誌情報
  9. ^ 国立国会図書館書誌情報

わざわざご回答頂きましてありがとうございます。なるほど。出典を依拠した「近年」と言う表現であれば問題は無いと言う事ですね。まぁこれは該当記事に限った事ではないでしょうが、「教条主義に陥っておられるのではないか」とのご指摘の通り、これに付いて当方の考え過ぎていた部分もありましたね…。ただ私も止むを得ない場合を除き初版で自身が書いた記事は「近年」は使用しない様にしております。皆様貴重なご意見を頂きましてありがとうございます。--目蒲東急之介 2009年12月20日 (日) 11:07 (UTC)[返信]