Wikipedia:井戸端/subj/「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」の解釈

「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」の解釈 編集

方針「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」(以下、WP:NOT)の解釈について相談させてください。現在、ある記載事項について某所で議論をしています。その記載が、(私の解釈だと)WP:NOTの考え方を踏まえると記載すべきではないという記述なのですが、その議論の中で以下のような確認をしています。

  1. ウィキペディア日本語版は「百科事典」である
  2. WP:NOTには《ウィキペディアに含むべきでないと合意されているものの例》が列挙されている
  3. WP:NOTは具体例が列挙されているものに過ぎないので、例示されているもの以外でもWP:NOTの考え方として《ウィキペディアに含むべきでない》記述が存在する
  4. WP:NOTの考え方を踏まえて、《ウィキペディアに含むべきでない》と判断された記述は編集除去されることがある

この4つについては共通認識を持てると考えてはいるのですが、どんなものでしょうか? 3については「具体的にどのような記述だと《ウィキペディアに含むべきでない》のか」という具体論のところで解釈の揺れはあると考えています。(ちなみに、2,3,4については同意できないというような返答をいただいていて、正直困っています)--iwaim会話2017年2月19日 (日) 14:25 (UTC)[返信]

  コメント 3番についてはWP:NOTで「この方針を満たせば何でもウィキペディアに記載してよいわけではありません」と書いてあるので、議論の余地はありません。4番もWP:NOTで「上記の規則に違反していると思われる場合は、以下のことを検討してみてください。[...]記事の内容を通常の編集によって変更する。[...]もし削除の方針に合致するものなら、削除依頼を提出する。」があるので議論の余地はありません。どちらも共通の認識で良いでしょう。2番は相手の考えを知らなければ反論しようがありませんが、もう少し詳しくお願いできないでしょうか。--ネイ会話2017年2月19日 (日) 14:36 (UTC)[返信]

  コメント 1~4の何れもおっしゃる通りだと思います。「以下にウィキペディアに含むべきでないと合意されているものの例を挙げます。ただし網羅的ではありません。 」と記載があるので「WP:NOTEVERYTHING」はあくまでも例示列挙であり、ここに挙げられていないものは何でも記載できると考えるのは明らかに間違いです。「某所で議論」されているのも拝見していますが、そもそもWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんを持ち出すまでもなく、iwaimさんの対話相手の、何でも方針・ガイドラインの「文面」のみに依拠した議論の進め方ではうまくいくはずがありません。対話相手の方は私にはWikipedia:法律家ごっこをしているように見えますし、それ相応の対応を考える時期に来ているのではないかと思量します。--Xx kyousuke xx会話2017年2月20日 (月) 06:56 (UTC)[返信]

  コメント その4点については、共通意識を持てるでしょう。ですが、「具体的にどのような記述だと《ウィキペディアに含むべきでない》のか」が明示されていない以上、この部分を根拠に例示にあてはまらない記述を除去することは諍いの原因になると考えます。Wikipedia:編集方針の旧版に記載された「ある人にとっての改善は、他者にとって冒涜になるかもしれません。」という文に説得力を私は感じます。既存の記述を除去するのであれば、著作権侵害や3大方針に反することを示すか、さもなくばWikipediaの方針とは無関係に合理的な理由を示して合意を得るか、どちらかになると考えます。--j8takagi会話2017年2月21日 (火) 02:04 (UTC)[返信]

  コメント この件については、Iwai.masaharuさんより2017年2月19日 (日) 14:26に私のノートで対話を求められております。Iwai.masaharuさんが冒頭に書いておられる「某所」というのはおそらくプロジェクト‐ノート:コンピュータのことを指しておられるのでしょうが、そちらでは、「さすがにこの話をここでやるのは無しだと考えますので、ツバルさんの会話ページで。」と書いておられます。(2017年2月20日 (月) 08:21‎ (UTC)投稿。)ほぼ同時に元の場所と違う場所2箇所で議論を立ち上げて、しかもそのうちの1箇所については言及しないというのはいささか誠意のない振舞だと感じております。私自身の「ウィキペディアは何でないか」についての意見は利用者‐会話:ツバルでお答えするつもりで現在準備中です。利用者‐会話:ツバルに投稿するのとほぼ同時にこちらにも投稿しますのでしばらくお待ちください。ツバル会話2017年2月21日 (火) 02:59 (UTC)[返信]

  返信 (ツバルさん宛) 《ほぼ同時に元の場所と違う場所2箇所で議論を立ち上げて、しかもそのうちの1箇所については言及しないというのはいささか誠意のない振舞だと感じております》については、特に問題はないと認識しています。私は(ツバルさんが2にすら同意できないという類の主張をなさった後でも)先の4つに関しては間違いはないと確信しています。が、その判断について第三者に意見を求めることは何ら問題はない行為です。一方、ツバルさん1人の解釈との擦り合せをツバルさんの会話ページで進めることも何の問題もありません。「誠意がない」とツバルさんが感じるのはツバルさんのご自由だとは考えていますので、それについては特にコメントはありません。--iwaim会話2017年2月21日 (火) 10:06 (UTC)[返信]

  コメント 「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」について
この文章は主にIwai.masaharuさんを対象としたものですが、一部Wikipedia:井戸端/subj/「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」の解釈での他の方のご投稿も参考にしています。
Iwai.masaharuさんやそのほかの方のご意見を見ていると、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの「内容」セクションをウィキペディアの各記事の「内容」に言及したものと誤解しておられるのではないかと感じています。Iwai.masaharuさんは「《ウィキペディアに含むべきでないと合意されているものの例》が列挙されている」と書いておられますが、《以下にウィキペディアに含むべきでないと合意されているものの例を挙げます》は2015年7月21日 (火) 17:29 (UTC)に《以下に、ウィキペディアのコミュニティにて広くウィキペディアがあてはまらないものの典型例と考えられているものを示します》から書き換えられたものであり、元の文章のほうが文書の性格を正確に表現しています。
また「内容」のセクションは、2009年9月25日 (金) 13:30 にそれまで

1	ウィキペディアは何ではないか
1.1	ウィキペディアは紙製ではありません
1.2	ウィキペディアは辞書ではありません
1.3	ウィキペディアは演説をする場所ではありません
1.4	ウィキペディアはミラーサイトでもリンク集でもありません
1.5	ウィキペディアはフリーのウェブサイトでもプロバイダーでもありません
1.6	ウィキペディアは単なる知識ベースではありません
1.7	ウィキペディアはいかなる団体の公式サイトでもありません
1.8	ウィキペディアは未成年者を保護するための検閲をしていません
(以下略)

とあったものを

1	スタイルと体裁
1.1	ウィキペディアは紙製の百科事典ではありません
2	内容
2.1	ウィキペディアは辞書ではありません
2.2	ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません
2.3	ウィキペディアは演説台ではありません
2.4	ウィキペディアはリンク、画像、メディアファイルのミラーサイトや保管場所ではありません
2.5	ウィキペディアはブログ、ウェブスペース、ソーシャルネットワーク、追悼サイトではありません
2.6	ウィキペディアは名鑑ではありません
2.7	ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありません
2.8	ウィキペディアは未来を予測する場ではありません
2.9	ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません
2.10	ウィキペディアでは検閲は行われません
(以下略)

と組み替えた際に設けられたもので、各記事の内容について述べたものではありません。
この文書はウィキペディア全体としてどのようなものであるべきかを述べた文書です。実際の運用として、各記事・文書単位で考えることも少なくないとは思いますが、最終的には他の記事・文書との連携を考慮したうえで考えるべきものだと思います。一例をあげるとHelp:脚注という文書があります。この文書自体は明らかに「マニュアル」なのですが、この文書がwikipedia:ウィキペディアは何ではないかに反するとお考えになる方はおられないと思います。ツバル会話2017年2月21日 (火) 04:13 (UTC)[返信]

「各記事の内容について述べたものではありません。」とのことですが、それでは何の内容について述べたものだとお考えですか?ちなみにHelp:脚注は記事ではないので、wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの対象ではなく、「反するとお考えになる方」がいないのは当然です。--Xx kyousuke xx会話2017年2月21日 (火) 04:31 (UTC)[返信]

  コメント ツバルさん、こんにちは。「2015年の改定以降が現行の方針であり、それ以前の版はもはや方針として無効です」とだけ申しておきます。「元の文章のほうが正確に表現している」とおっしゃるとしても、方針を無視したり違反するのではなく、改定案を提出するようお願い致します。--ネイ会話2017年2月21日 (火) 04:38 (UTC)[返信]

  質問 《以下に、ウィキペディアのコミュニティにて広くウィキペディアがあてはまらないものの典型例と考えられているものを示します》は過去の方針の文章であり、現在の方針の文章ではないので全く議論の根拠にならないとお考えの方への質問です。先にも書いたように、《以下にウィキペディアに含むべきでないと合意されているものの例を挙げます》は2015年7月21日 (火) 17:29 (UTC)に《以下に、ウィキペディアのコミュニティにて広くウィキペディアがあてはまらないものの典型例と考えられているものを示します》から書き換えられたものですが、この書き換えによって「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」の性格全体が変わったとお考えですか。それとも、文書の基本的な性格は変わっていないとお考えですか。ツバル会話2017年2月21日 (火) 07:42 (UTC)[返信]

  コメント 質問に質問で返さないでください。そういうことを繰り返すので、話が拡散するばかりで全然進まないのです。もう一度お聞きします。「各記事の内容について述べたものではありません。」とのことですが、それでは何の内容について述べたものだとお考えですか?--Xx kyousuke xx会話2017年2月21日 (火) 07:54 (UTC)[返信]
  コメント ちょっと脱線します。質問に質問で返すなというのは昨今よく聞くフレーズですが、もともとは漫画の登場人物の勝手な信条に過ぎないという説もあるようですよね。質問に対して質問を重ねて相互に理解を深めるというのはコミュニケーションの一手段として許容できるものだと思います。上記のツバルさんの質問は、ネイさんの発言に対して意味のある質問のように思われました。--へのいち会話2017年2月21日 (火) 12:30 (UTC)[返信]

  返信 (Xx kyousuke xxさん宛) すみません。投稿の順が逆でした。で先のご質問についてですが、セクション名の「内容」はWikipedia:ウィキペディアは何ではないかという文書の構成上使われたセクション名であって、記事など何かの内容を示したものではないと考えます。そのことは現時点でのWikipedia:ウィキペディアは何ではないかでセクション「2. 内容」の中にサブセクションとして編集とは直接関係しない「2.11 ウィキペディアでは検閲は行われません」が含まれていることでも明らかだと思います。ツバル会話2017年2月21日 (火) 07:56 (UTC)[返信]

  コメント ご回答いただき、ありがとうございます。おっしゃることがよくわからないのですが、何かの内容を示したものでなければ、何を示したものとお考えですか?wpjaの方針文書であるにも関わらず、wpjaの記事とは一切関係ない文書であるとお考えなのでしょうか?なお「検閲」を本当に読んで理解されてますか?これは編集方針そのもの、つまり記事の内容についての方針です。これが「編集とは直接関係しない」としか読めないのであれば、この対話を続けるのは難しいのかもしれません。--Xx kyousuke xx会話2017年2月21日 (火) 08:13 (UTC)[返信]
  返信 (Xx kyousuke xxさん宛) セクション名なしのセクションは作れないので「内容」というセクション名を付けたのだと思います。あえていえば、ウィキペディア全体の内容になるかと思いますが、各記事の個別の内容という意味ではないと思います。検閲については一般の編集と主語が異なります。さきのお返事で「編集とは関係しない」と書いた時の「編集」は一般利用者の行う編集を指しているとご理解ください。ツバル会話2017年2月21日 (火) 08:29 (UTC)[返信]
  コメント ウィキペディア全体というのはよくわかりませんが、おそらく「記事」と「wikipedia:」で始まる文書両方を合わせたもの、ということでしょうか?異議はありますが、それはさておき。それでは少なくとも「記事」についても適用されるという点には同意していただけますよね?なお、「検閲」を読めばお分かりいただけると思いますが、ここで書いてある「検閲する」というのは「一般利用者が行う編集」の一形態です。--Xx kyousuke xx会話2017年2月21日 (火) 08:40 (UTC)[返信]

  コメント なお、先ほどの質問はXx kyousuke xxさんに向けてのものではなく、直接にはネイさんのご意見にインスパイアされて発したものです。ただ、ネイさん以外にも同様にお考えの方がおられるのではないかと考えてネイさん宛の質問ではなく先ほどのような形にしました。今後議論に参加される方で同様にお考えのかたがおありかもしれないという予想を含めて質問の相手を広く書いています。Xx kyousuke xxさんが同様にお考えならば、ご返答をお願いします。ツバル会話2017年2月21日 (火) 08:03 (UTC)[返信]

  コメント ツバルさんの「書き換えによって方針の性格が変わったと考えるか」との質問ですが、わたしの答えは「現行の方針のみ考慮するので、書き換えがあったことはこの際大事ではありません。従ってその質問にはあまり意味がありません。」になります。関連の薄いことに話を拡散すべきでないと考えます。--ネイ会話2017年2月21日 (火) 09:20 (UTC)[返信]

  コメント Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかは百科事典としてのwikipediaのあり方を説明したものであり、記事を編集するときにも、ノートなどで議論するにしても、「こういうものである」ことを念頭にいれてくださいってものではないでしょうか。なのでそこに例示されているものは記事に記入すべきでないものを篩い分けるときに真っ先にひっかかるものにすぎないと解釈します。ノート:Gitでの話については、参考文献ならともかく関連文献となると一種の宣伝になったり雑多な情報の収集になってしまう場合があるので避けたほうが無難でしょう。--203.148.113.17 2017年2月21日 (火) 09:41 (UTC)[返信]

  コメント へのいちと申します。この「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」は、いかにも「ウィキ」らしく、深い議論や合意形成の厳格な手順などを経ずに作成されて更新されてきた文書でしょう。私などは、書いてあることに多少の引っ掛かりを覚えることがあったとしても、そんなに目くじら立てなくてもいいでしょ、とスルーしてきました。上に書かれている皆さんのご意見を読んだ限りでは、ツバルさんと同じように感じているのだと思います。上のやり取りでは、“ウィキペディア全体”と“ウィキペディアに含まれるもの”を区別するかしないかという点で話がかみ合っていないように思いましたが、それは別にしても、iwaimさんが始めに挙げられた4つについていえば、2に同意できません。合意されたと明確にいえるような手順が踏まれたという認識は持っていませんでした。投票して内容を決めたというわけでもないのですよね?--へのいち会話2017年2月21日 (火) 12:30 (UTC)[返信]

へのいちです。上に書いたコメントについての修正的な内容も含むので、あまり離さないようにここに割り込ませていただきます。さて、この下でディー・エムさんから過去ログへの案内をいただきましたが、そのあたりの経緯については把握していませんでした。上に書いた「深い議論や合意形成の厳格な手順などを経ずに作成されて更新されてきた文書でしょう」というのは、それよりも以前の状態を念頭においたものでした。当時は本当にそんな具合で、参加者それぞれが思いつくままに改稿していた文書でしたが、それでもまあ妥当なことが書かれた状態が続いたものでした。なので、特にこの文書を厳格なルールとして扱うというわけでもなく、この種の文書の一つとしてあって困るものでもないですし、そのままあまり気にしなくなったため、当時の認識のままその後のやり取りを把握していなかったという事情です。今あらためて経緯をたどってみると、それなりに議論を経て「すべての利用者が従うべきだと考えられている方針」だと書かれるようになっていたのですね。私に言わせれば「5本の柱」のような上位の理念を例示によって説明しようというこの文書にしては少し大げさな扱いかなとも思いますが、方針だと掲げられているのは確かなのでそのまま素直に受けとるというのも理解できます。一方で、そのあたりの議論に参加した人の多くがすでに活発に活動しておられないということを鑑みれば、やはり金科玉条のような扱いをするのがはたしてよいものなのかという気もします。とまれ、現状に対しては、上に書いた「深い議論や合意形成の厳格な手順などを経ずに作成されて更新されてきた」というのは当てはまらないようですね。認識不足をお詫びいたします。--へのいち会話2017年2月22日 (水) 14:13 (UTC)[返信]
  コメント あなたがどのような認識を持っているにかかわらず、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかは「すべての利用者が従うべきだと考えられてい」る方針ですし、「以下にウィキペディアに含むべきでないと合意されているものの例を挙げます。ただし網羅的ではありません。」と書かれている以上「WP:NOTには《ウィキペディアに含むべきでないと合意されているものの例》が列挙されている」以外の解釈はありません。方針文書の変更をお望みであれば、しかるべき場所で提起されることをお勧めします。--Xx kyousuke xx会話2017年2月21日 (火) 13:07 (UTC)[返信]
  返信 (へのいちさん宛) 2について、そのような理解になるのは納得できる面もあります。ただ、方針であるのですから、文字通り解釈することをまずは考えないとダメだろうとは判断しています。また、方針の改訂も提案できますし、WP:NOTを字面通り解釈すると記載すべきではない情報が掲載されている記事も見かけたことはあります。その中には「何故この記述が記事に必要なのかという理由」が明確化されたものもありますし、そうではなさそうなものもあります。(へのいちさんがそうだとは全然思っていませんがWP:BEANSの観点から例示は控えます)
また、個人的には「総論としては、WP:NOTの考え方を踏まえれば記述すべきではないが、この対象の場合は記載すべきである。その理由は(略)だからだ」というような主張はありだとは考えていますし、その理由によって「記載する」という合意形成がなされる場合もありうると考えています。
投票については、「ウィキペディア日本語版は基本的には『投票』にて物事を決めることはないですよね」に留めておきます。--iwaim会話2017年2月21日 (火) 15:19 (UTC)[返信]
  コメント 「深い議論や合意形成の厳格な手順などを経ずに作成されて更新されてきた」> ノートページの過去ログはご覧になっていますか? 大きな改定議論としては2009年の「全面改訂提案」(〜「最終的決着へむけて、枝葉末節の議論の分離、コミュニティ節アップデート反対意見への反対意見まとめ、もろもろの検証」まで)・「Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625」、直近の比較的大きな改定議論は2015年の「英語版との対比による改訂の提案(2015年6月)」あたりになりますが、議論の結果見送られた改訂や個別箇所の改廃の是非についての議論は長大すぎてピンポイントにリンクを示す事ができませんので、過去ログ全体を見返してください。
それらの改訂議論をきちんと読まれたのであれば「内容」節云々の話も疑問の余地は無いはずです(直近の英語版に倣って、記事内容の注意書きであることがより分かりやすい節名に差し替わっているだけのことです)。
その上で、それらの過去ログの内容を読まれた上で方針文書として議論の不備や合意の不十分な点があると思われるのであれば、具体的に新たにノートで指摘頂くのが良いと思います。もし具体性のない批判であるなら、それは過去の改訂作業に携わった編集者各位からすれば謂れのない非難にほかならないでしょう。
「2に同意できません」> それは合理的な判断としては無いと思います。そもそも冒頭の1から4はほぼまるっきりトートロジーな内容なので、それに対して「これらはトートロジーですか?」と質問して「そうですよ」と分かりきった答えが帰ってきたとしてもそれで本題の方の問題解消に繋がるとも思いませんが、それどころかそれ以前のところで脱線するのはいかがなものかと。--ディー・エム会話2017年2月21日 (火) 15:49 (UTC)[返信]
  情報 (追記)ちなみに「内容」節の英語版での原題は「Encyclopedic content」(百科事典的内容)です。--ディー・エム会話2017年2月21日 (火) 15:57 (UTC)[返信]
  コメント へのいちです。過去ログのご案内をいただきありがとうございました。認識を改めることができました。それとは別に、ディー・エムさんが最後のほうで仰っている「そもそも冒頭の1から4は...」以下の部分は、ちょっとどういうことなのかよくわかりませんでした。“トートロジー”という論理学の用語は知っているのですが、今回の文脈で、「...と質問して...と答えが返ってきたとしても」というのは誰が誰に質問するということなのかとか、「本題の方の問題」というのが何を指すのかとかがよくわからないです。この件は、iwaimさんの解釈がどなたかと違っているので、第三者の解釈も聞かせてほしいということだと思っていましたが。--へのいち会話2017年2月22日 (水) 14:13 (UTC)[返信]
  返信 へのいちさん、すみません。他の方に関するコメントも一緒に織り交ぜて書いてしまったので、紛らわしいコメントになってしまいました。ご質問の箇所はおよそiwaimさんとツバルさんに対する所感を述べたものです。
1から4の内容は「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」に書かれている事柄をそのまま抜き出して表現を変えただけの内容ですから、iwaimさんからすればツバルさんがそれに同意できないと返答されたことは全く予想外だったかもしれません。しかし、そもそも百科事典的でない記述がウィキペディアに不要だと指摘するだけであれば、1の大前提さえ共有できてさえいればあとの2から4の判断はどうでも良いことです。1が合意できているということは、百科事典的でない加筆内容はまずいという問題意識は共有できているわけですから、あとはどのような加筆が百科事典として相応しいかそうでないかの判断基準が争点となるはずです。逆に言えば、たとえ1から4の内容で表面的に合意が得られたとしても、実際に各記事に加筆されている個々の内容が百科事典的か否かの判断について合意が得られないかぎり、結局は問題の決着には到達しないわけで。それをあえて第三者の合意を募ってまで問い詰めることは、有り体に言えば無駄手間ではないか(最初から答えのわかっている事柄を問いかけて本論から微妙に離れた争点で自説への多数支持を顕示するよりも、本来対話すべき相手に対して正論で説明をすることに専念するほうが一見手間に思えても合理的ではないか)ということを含意してのコメントでした。
ノート:Gitでの議論も含め、誰も百科事典的でないトリビアリストを積極的に歓迎しようという主張はしていないわけで、結局のところFurther readingや関連書籍リストのクオリティに対する要求水準の相違の問題ですから、プロジェクト‐ノート:コンピュータDarklanlanさんが指摘されている観点(きちんとした出典に基づいて厳選された書籍リストなどであれば掲載OK、編集者各自の思いつきや主観で行き当たりばったりに加筆された独自研究のリストは不要という線引き)で改めて問題点を検討されるのが一番妥当かと思います。
(追記)「トートロジー」についての補足説明ありがとうございます。ご指摘のとおり論理学上の用語として用いましたが、一般的でない語であり説明不足でした。要するに最初から絶対的にTrueの命題(最初から論証や証明が不要な真理)みたいな意味で比喩的に使ったものです。--ディー・エム会話2017年2月23日 (木) 14:53 (UTC)[返信]