Wikipedia:井戸端/subj/あるIP氏の編集活動についての対処

あるIP氏の編集活動についての対処 編集

最近気がついたことですが、あるIP氏の一連の編集活動が不適切だと思いますが、対処の仕方を考えあぐねていますので、ご教示頂けると幸いです。

そのIP氏は114.156.36.32氏で、その編集は、寺澤寛一に典型的に見られますが、学者などの記事の導入文からその人の特色を簡潔に紹介した文章を削除し、肩書きなどの無味乾燥な文章だけを残すものです。 同氏は「投稿記録」によれば数十の記事を編集しており、中には本文に手をつけたものもありますが、編集はすべて「削除」で、加筆ないしは添削編集はまったくないようです。 このような編集は記事の劣化をもたらすだけで、改善にはなっていないと考えます。

対処の仕方としては、まずはそれらの文章をノートページで断った上で旧に戻すことが考えられますが、問題の記事が多数ありますので旧へ戻すのも大変な手間ですし、編集合戦になっても敵わない気がします。それにそれぞれの記事にはノートページにも編集理由の記入はまったくありませんが、同氏の編集態度はこのように一貫したものですので、それなりの哲学ないしは美学を持っているのかと思います。そこでまずは会話で真意を確かめたらどうかと考えましたが、何分にもIP氏ですから会話を申し込む手段がありません。このような具合で今は手を出しかねています。

そこでまずは同氏の投稿記録を[[1]]で眺めて事実関係を確認の上、適切な対処手段をご教示頂けると幸いです。また、どなたか篤志家の方に対処して頂けるとさらに幸いです。--Midz 2010年1月31日 (日) 08:08 (UTC)[返信]

  コメント 「何分にもIP氏ですから会話を申し込む手段がありません」とのことですが、直接「利用者‐会話:114.156.36.32」の会話ページで対話を呼びかければよいのではないでしょうか。万が一対話に応じて頂けない場合は、「Wikipedia:コメント依頼」を利用すると宜しいかと思います。--Kanohara 2010年1月31日 (日) 09:02 (UTC)[返信]
(コメント)同一人によるものかどうかは確定できませんが、同一IPは以前から記事の削除に関する警告を何度か受けているようです(→利用者‐会話:114.156.36.32)。--水野白楓 2010年1月31日 (日) 19:56 (UTC)[返信]
(コメント)こうした記事の劣化・あるいは先祖帰りを防止するための公式な方針としてWikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいがあります。ご確認のうえ、利用していただければ幸いです。--Himetv 2010年1月31日 (日) 22:39 (UTC)[返信]

多くのコメントを有難うございました。「利用者‐会話:114.156.36.32」を眺めて、このIP氏がすでに「記述削除」で警告を受けていて、なんら応答していないことを知りました。そこでそこに会話の呼びかけを行っても恐らく本人の応答はなく、またこのIPが本人ではなくてプロバイダーに割り当てられているものであることから、本人に伝わるかどうかも定かでありませんので会話の呼びかけは止めます。

その一方で、私の興味を引いたのは長尾真項目での経過です。ここでもこのIP氏が2009年7月31日に一部記述の削除を行っていますが、同日Mee-sanさんがそれをとがめて「根拠なしの記述削除のため差し戻し」を行い、同時に「利用者‐会話:114.156.36.32」に「削除をお止め下さい」と警告しています。そしてIP氏はそれに何ら異議を唱えることなく、差し戻した記述が今に生きています。 これで見ると、IP氏は何らかの哲学・美学に基づく信念ではなく、単にお手軽に削除を行っているに過ぎないようにも見えます。

そこで私は今、当面IP氏が削除を行った記事のうちの最近のいくつかで削除部分を復元し、その記事のノートにその旨を記して、しばらく様子を見ることにしました。それは上記「長尾真」の例からみると、削除部分が復活したままで経過して、現象としては問題が治まるのではないかと思うからです。もし、IP氏がそれに異議を出してくればそこで会話を始めればよく、それでも無断で同じ削除をするようであれば、そのときは投稿ブロックなどお願いする順序になると思います。ご一緒にしばらく経過を見守って下さい。--Midz 2010年2月1日 (月) 12:04 (UTC) [返信]

  コメント件のIPユーザ氏の編集傾向は基本的にWikipedia:大言壮語をしないに抵触しそうな表現を含む文章を除去しているように思われます。また適切な表現に書き換えるなどの工夫をするほど手間をかけるつもりもなければ、リバート掛けられても編集合戦に持ち込むほど執着もしないというのが氏のスタイルのようです。問題がないかと言われればやや難のある編集姿勢だとは思いますが、それほど深刻な問題にもなりにくいのではないでしょうか。考えようによっては氏によって削除された文章にはWikipedia:大言壮語をしないに抵触しそうな表現を含む可能性があるので、適切な表現に改めて書き直すことで記事の質を高めることにつなげることもできる思います。--M_aisawa 2010年2月1日 (月) 15:12 (UTC)[返信]

確かにお説の通り、Wikipedia:大言壮語をしない、に抵触ということで削除したと解釈出来るものもあります。しかしまず、それであればその部分をばっさり削除してしまっては改良の手掛かりもなくなるので、単純な削除はやはり不適切だと思います。
そしてそれよりもはるかに多く目に付くのは、導入部でその人のイメージ形成する必要はないとの意図でか、そのための簡潔な紹介文のほとんどすべてを内容に関係なく機械的に削除しているらしいことです。応答もないIP氏の意図を忖度しても仕方ありませんが、削除の結果は内容の劣化をもたらしているだけだと考えますし、長尾真高橋秀俊の例からみると、旧にもどしてもIP氏は気にしないようですので、少しずつ旧に戻して様子をみる試みを始めたわけです。ご理解下さい。--Midz 2010年2月2日 (火) 13:06 (UTC)[返信]
◆前にも書いたとおりIP氏の編集姿勢が適切でないという点については否定するつもりはありませんが、内容に関係なく機械的に削除しているという印象は正直感じません。たとえば「日本を代表する~」「双璧として譬えられることも多い」「~として知られる」など削除部分にはWikipedia:大言壮語をしないWikipedia:言葉を濁さないに抵触しそうな表現が含まれていると思います。IP氏の編集姿勢が不適切であるからといってこれらの表現を機械的に復帰するのではなく、可能であるならより適切な表現への置き換えを行ったほうがよいのではないでしょうか。対話不能なIP氏の行状を批判しても仕方がないので、記事をより良くしていくためにできることをやっていけばよいと思います。--M_aisawa 2010年2月4日 (木) 15:40 (UTC)[返信]
確かに「日本を代表する~」や「として知られる」など、「大言壮語しない」に抵触するという見方も出来る表現を含んでいる場合もありますが、それらも多くは私にはその学界で常識的な事実を述べているのに過ぎないであろうと感じられます。そしてそれらの語句が「大言壮語しない」に抵触する恐れがあるからと言って、その表現を直すのではなく、それを含む文章全部を削除して述べられている事実を抹殺するのは、やはり機械的行為と考えざるを得ません。特に導入文においてイメージ形成に役立つ文章を全部削除する行為は、前にも述べた通り、IP 氏の「哲学」を反映する機械的削除だと考えます。
それへの対処としてはやはり、まずは削除された文章を復元して述べられていた事実を利用者の目の前にさらし、その表現が不適切だと考える利用者がいたらノート欄に問題を提起して自由に改良を論じることのできる基盤を整える、ということになると考えます。
IP氏の「削除」が特に不適切であった例として「高橋秀俊」があります。 そこでは導入文では「物理学者で日本のコンピュータのパイオニアである。」が削除され、生年月日、死亡年月日と生まれ場所だけになり、かつ本文でも物理学における業績を全部削除して、残された文章からは「物理学者」という本来の姿が読みとれなくなっていました。さすがにこれにはMetaNestさんが気が付いてリバートをかけ、ことなきを得ておりますが。
そのほか長尾真でも似たような経過をたどり、それほどではないにしても、その他の「削除」はみな多かれ少なかれ同じような問題をはらんでいます。対象とする学者の専門分野は物理学、歴史学、法学など多岐にわたっており、IP氏がこれらすべての分野で人やその業績を評価出来る見識を備えているとはとても考えられませんので、やはり何かドグマに頼って機械的に削除を行ったものと考えます。私もすべてでそれがどれほどその方面の学界で常識になっているかを判定できませんので、まずは旧の内容に戻し、その方面に詳しい方の判断を待つ形にするのがよいと考えたわけです。ご理解下さい。 --Midz 2010年2月6日 (土) 07:49 (UTC)[返信]
IP氏が行った削除のうち、リバートなどですでに対処されているものや、対処の必要を感じない小さい削除を除いて、すべての復元を一応終え、各項目のノートページに復元の理由などを書いておきました。あとをよろしくお願いします。--Midz 2010年2月8日 (月) 07:40 (UTC)[返信]