Wikipedia:井戸端/subj/そもそもなぜ独自研究はダメなのか?

そもそもなぜ独自研究はダメなのか? 編集

各記事の変更履歴を見てみますと、「独自研究を除去」など、独自研究を理由とした記事の編集除去が多く見られます。

ただ、そもそも、なぜ独自研究はダメなのか、という考えの人も多いと思います。 一見自明のことであっても、『独自研究』の名の元に、何でも除去・削除されてしまうと、特に初心者は、投稿の気力が萎えてしまうことも多いでしょう。 独自研究の禁止のそもそもの理由って、何なんでしょうかね?--以上の署名のないコメントは、122.215.65.126会話)さんが 2013年9月22日 (日) 04:46‎ UTC に投稿したものです。

まずはWikipedia:独自研究は載せないを参照してください。基本的にはそこに「禁止される理由」が書かれています。あと、Wikipedia:検証可能性あたりも参照した方が良いかもしれません。初心者の独自研究でよく見られる「自分で見たり聞いたりした情報をそのまま書き込む」ような、いわゆる「事実なら出典が無くても問題ない」という考え方が誤りであることが御理解いただけるかと思います。--ButuCC+Mtp 2013年9月22日 (日) 07:22 (UTC)[返信]
  コメント 詳しくはWikipedia:独自研究は載せない、そしてWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありませんに説明されていますが、一言で言えば、百科事典に相応しい内容とその信頼性の確保です。Wikipediaは様々なレベルの不特定多数の利用者が編集に参加しますので、ある利用者が一見自明なことだと思っても、他の利用者から見れば必ずしもそうとは言えないことも多いです。それらの中には(故意もしくは過失による)誤りや中立的でない偏った内容、広く認知されておらず検証が極めて困難な内容、も含まれます。このため記述の根拠を客観的に示すために出典(信頼できる情報源)の提示が求められています。読者は出典を確認することを通してその記述の信頼性や中立性を確認し、調査・研究の足がかりとすることができます。--Penn Station (talk) 2013年9月22日 (日) 08:39 (UTC)[返信]
  コメントそもそも、というのは、独自の理論の提唱を排除するということ(のように、方針からは)読めます。
「俺理論」や「俺真実」や「俺解釈」は、ウィキペディアには不要で、学術誌や批評誌などで評価を得て、きちんと対価と名声を受け取って頂ければ、その後に取り上げることになるでしょう。論文誌の投稿規程だとオリジナルリサーチを含まなければならない旨が書かれていることがありますが、それはウィキペディアではいらないのですよ、と。新しい学説というほどではなくとも、感想や印象だって、オリジナルリサーチです。
一方、「一見自明のこと」で、実際に「自明」であれば、どこかに情報源があるでしょうし、まずは調査して加筆が期待されます。ほんとうに自明なら「アップルパイ」の例のように、情報源がなくとも問題とはなりません。
検証可能性でも、独自研究でも、ウィキペディアの方針を理由に除去する場合には、方針の案内をしたり、その内容や理由を説明したりして、執筆者が参加動機を失わず、その後は方針に沿ったかたちで参加してもらえるような配慮が必要でしょう。ウィキペディアの方針は、社会的に共有されている常識ではありませんし、誰でも最初は初心者なのですから、初心者を排除していてはウィキペディアは発展できません。また、執筆者にとっても、具体的な記述は記事を充実させ、出典を探す手がかりになります。まったく不要なものは除去だけでよいですが、出典がないというだけなら、除去の内容を要約欄やノートに残すことも検討するのが好ましいでしょう。--Ks aka 98会話2013年9月24日 (火) 04:34 (UTC)[返信]
  コメントこの節を提起されたのは、どうやらWikipedia:井戸端/subj/「蛇足」は除去されるべきか?を提起されたのと同じ人のようですね。何でもかんでも思いつくままに好き勝手なことを書こうとして除去されて、納得せずに方針文書も読まずにこのような議論ばかり起こしてもダメです。百科事典らしいモノの書きぶりというもの、Wikipediaというものの流儀を、少しは考慮してください。--Cossy会話2013年9月24日 (火) 14:03 (UTC)[返信]