Wikipedia:井戸端/subj/どのような利用者が求められており、どのような利用者が求められていないかを明記すべきでは

どのような利用者が求められており、どのような利用者が求められていないかを明記すべきでは 編集

ウィキペディアでは「どのような記事が求められており、どのような記事が求められていないか」ということについては、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかをはじめとした公式な方針及びガイドラインにて詳細な説明があります。ところが、「どのような利用者が求められており、どのような利用者が求められていないか」ということについては、驚くほど説明が少ない感じがします。現在、Wikipedia:五本の柱に基づく行動規範としてWikipedia:エチケットWikipedia:礼儀を忘れないが存在するものの、これらはどちらかと言えばウィキペディアに参加しはじめた人達を対象とした行動規範であり、参加する前の人達が「ウィキペディアに参加すべきか否か」を判断する材料にはなっていないと思います。最近、利用者がらみのトラブルが絶えないように思いますが(例えばこの方この方など)、その原因はウィキペディアが「どのような利用者が求められており、どのような利用者が求められていないか」について明言を避けてきたからではないでしょうか。私案ですが、メインページにある「基本方針に賛同していただけるなら、誰でも記事を編集したり新しく作成したりできます。」という説明を一歩進めて「基本方針に賛同していただける方のみが、記事を編集したり新しく作成したりできます。」のように書き換え、あわせて「Wikipedia:ウィキペディアが求める利用者とは」のような方針かガイドラインを追加してはいかがでしょうか。そうすることにより、利用者がらみのトラブルによって不本意にも投稿ブロックを受けてしまう、ある意味で「不幸な人達」を減らす方向に向かう効果が期待できると思います。--60.56.216.55 2010年6月24日 (木) 01:53 (UTC)[返信]

ご意見には賛同できる部分もありますが、基本的には支持できないものだと私は思います。まず、ウィキペディアに参加しようとする人に制限を加えようとするかのような部分が支持できません。ウィキペディアは開かれた百科事典であり、日本語版はまだまだ参加者に偏りがあり編集者も少ない状況です。そんな時、ウィキペディアに参加しようとする人にまで「こんな人にだけ参加してほしい」という表明を行うのは、潜在的に参加したいという気持ちのある方の心を萎縮させることに繋がりかねず、博士号がなければ編集できないというウィキペディア以前のヌーペディアのような状態になってしまうと思います。
ウィキペディアが求める参加者とは「基本方針に賛同できる人間」でありそれ以上の何者でもないはずです。--冬ぐらたん 2010年6月24日 (木) 02:07 (UTC)[返信]
資格審査してからユーザー発行ができるわけでもないので、自主申告ということです。性善説に立ては現行ルールで十分で自主申告を追加する必要はなく、性悪説に立てば自己申告は欺瞞にすぎません。--あら金 2010年6月24日 (木) 05:36 (UTC)[返信]

(24時間放置)Wikipedia:コメント依頼/Yassie 20100525さん、Wikipedia:コメント依頼/MOTOI Kenkichiおよび氷鷺さんたち、の、後ろのほうのこの方です。つーかあなたこそ名前を名指しで明記すべきかと愚考します。えーと、求められている人材があればその反対がすなわち求められていない人材でありますから、どちらか片方だけで要件を満たすと思われます(実際、求められていない政治家なんぞは批判の形でよく報道でやってますね)。

  • 基本方針に賛同していただける方のみが、記事を編集したり新しく作成したりできます。」のように書き換え、あわせて「Wikipedia:ウィキペディアが求める利用者とは」のような方針かガイドラインを追加してはいかがでしょうか。

  反対  不要です。がまぁ、とりあえず草案を書いてみてはいかがでしょう? 草案を書いてみて導入という流れのほうが良いかもしれませんね。私も自省しなければならない案件です。

  コメントえーと、今回のコメント依頼に関して

  • 印象操作
他の編集者の行動や言動を、無分別であるかのように印象操作することがあります。これもルールを悪用した行為となります。また、Wikipedia:礼儀を忘れないにも違反します。自説のために印象操作を多用する編集者は、事態を鎮めようと参加した第三者の善意からの発言であっても、ささいな箇所のみあげつらい、その大意や真意をつかまず自分の都合のいいように曲解しようとします。このような元の発言者が明らかに意図していないであろう解釈の仕方は、当然無効です。

腕づくで解決しようとしない 今回のコメント依頼はここに抵触する気がしますね。--基 建吉(MOTOI Kenkichi)

  • 私達のウィキペディア・コミュニティは、これまでの経験をふまえて、複数の基本原理(meta:Wikimedia principles)の間に、非公式ながら優先順位を設けるようになってきています。最も重要なのは、記事は中立的観点にたって書かれなければならない、ということです。そして、他者へ常識的な礼儀を守って接することは、その次に大切なルールです。礼儀正しくすることは、オンラインでの行動においてよりどころに出来る唯一の原理であり、また受け容れられない行動と受け容れられる行動を区別する唯一の妥当な方法です。互いを愛したり、深く尊敬したり、相手に従ったりすること、そして時には相手を尊重することすら、他の人にいつなんどきでも求めることができるわけではありません。しかし、礼儀を守ることは、誰しもに課せられる義務であり、また相手に要求できる絶対の権利です。

Wikipedia:礼儀を忘れない より。

  コメント 過激な文言ですね……案外アツいかもしれません。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年6月25日 (金) 15:35 (UTC)[返信]

  • Attempts to evade detection
  • Certain editors attempt to evade disciplinary action by using several practices when disrupting articles:
  • their edits occur over a long period of time; in this case, no single edit may be clearly disruptive, but the overall pattern is disruptive
  • their edits are largely confined to talk-pages, such disruption may not directly harm an article, but it often prevents other editors from reaching consensus on how to improve an article
  • their edits often avoid gross breaches of civility, especially by refraining from personal attacks, even though they interfere with civil and collaborative editing meant to improve the article
  • their edits remain limited to a small number of pages that very few people watch
  • conversely, their edits may be distributed over a wide range of articles that few people watch.
  • Nonetheless, such disruptive editing violates site policy.

en:妨害行為

  • 試みが検出を回避する
  • 特定の編集者は、いくつかのプラクティスを使用して、懲戒処分を回避しようとするときに中断記事:
  • その時間の長い期間にわたって発生することが編集、この場合には、単一の編集を明確に破壊的かもしれないが、全体的なパターンが破壊さ
  • その大部分が直接資料を害することはできないような混乱のトークページに限定される編集が、それは多くの資料を向上させる方法についてコンセンサスに達するから、他のエディタを防ぐ
  • 彼らはしばしば総違反を避けるために編集 礼儀正しさ特に、自制で 個人攻撃にもかかわらず、彼らは市民と共同編集記事を改善することを意味を妨げる
  • その残る編集が非常に少数の人々は見てページ数が少ないに限る。
  • 逆に、彼らは、編集は、少数の人々は見ての記事の広い範囲で配布されることがあります。
  • それにもかかわらず、このような破壊的な編集はサイトポリシーに違反します。

google翻訳による上記機械翻訳 えーと、英語のページで一部翻訳されていないところには、より詳しく明記されているようです。要約に関しては腕づくで解決しようとしないいつまでも「納得」しないがその該当する部分かと思われます。

  • いつまでも「納得」しない
  • ときに悪意ある編集者や、自説を何とか通したい編集者は、自分の主張や観点が否定された後もぐだぐだと固執し、いつまでも言い続け、他者の言葉を受け入れたり自らの過ちを認めたりすることを拒否して、いつまでも論争を続けようとします。そして、しばしばこのような編集者は、要点をはっきりさせようとしてなされた、他者のささいな発言を根拠にして、次なる攻撃や妨害的編集を続けようとします。
  • ウィキペディアは協力的で、善意に基づいた編集、そして合意の上に成り立っています。だからこそ、ある主張をしつづけることが常識的な程度を超え、方針ではこうであると明示されても、あるいは根拠に裏打ちされた意見を熟練した複数の編集者、管理者、調停者から示されても、「納得する」ことを意図的に拒否していることが明らかになった場合、納得の拒絶を継続することは、もはや正当性のある態度、方針に準拠している態度とはいえません。それは、自説を通したいがために合意形成の方針を悪用した、妨害行為です。

腕づくで解決しようとしない つまり、これはWikipedia日本版特有の問題かもしれませんね。議論は継続すべきと愚考いたします。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年6月26日 (土) 16:15 (UTC)[返信]

人間はミスを重ねていき、成長していくものだと思いますので、多少のトラブルをしても改善していく姿勢があるのであれば、なんら問題ないものと思われます。逆に、一部の常連さんのほうにこそ、そこを容認していく姿勢が欠けている人が見受けられます。--202.165.119.149 2010年6月30日 (水) 08:47 (UTC)[返信]