Wikipedia:井戸端/subj/一覧記事不要論

一覧記事不要論 編集

「〜の一覧」という記事の存在価値に疑問を抱いています。例えば、記事日本の高等学校一覧Category:日本の高等学校一覧の両方があるのは何の意味があるのですか? カテゴリ内に記事が増えたとき、カテゴリページには自動的に追記される一方、一覧ページは手作業で書き込まなくてはならない。付加情報の無いただの一覧なら、カテゴリだけがあれば十分だと思うのですが。--きたし 2007年3月4日 (日) 01:53 (UTC)[返信]

カテゴリのタイトルを「日本の高等学校」に変える必要は感じますが一覧記事の削除は孤立した記事の発生を招くことから賛同できません。--Himetv 2007年3月4日 (日) 01:57 (UTC)[返信]
(間違えて一度白紙化してしまいました。すいません。)孤立した記事の発生を避けるため、というのは一覧記事の存在理由としてどうなのか、ちょっと疑問です(自分の考察不足かもしれないですが)。--きたし 2007年3月4日 (日) 03:11 (UTC)[返信]
一覧記事が不要とは思いませんが、一覧がないと孤立してしまうような記事の存在意義はあるの?という気はしますね。--しゃっふる。 2007年3月4日 (日) 03:42 (UTC)[返信]
(コメント)Wikipedia:削除依頼/茨城県議会の選挙区一覧による削除によって、茨城県議会の選挙区に関する記事が大量に「孤立した記事」記事化している模様です。--水野白楓 2007年3月17日 (土) 06:58 (UTC)[返信]
カテゴリに追加された記事は、ウォッチリストでは分からないので、だれかが一覧に追加すると一々カテゴリをチェックしなくて済むので便利ってのは有りますね。一覧記事に付加情報が無いのは手抜きの未完成記事なだけでしょう。カテゴリには名前しか出ないのですから、一覧記事には都道府県市町村くらいの情報は付加するべきなだけで。この例の場合、地方分けされてるのが付加情報とは言えますね。みっとし 2007年3月4日 (日) 02:35 (UTC)[返信]
「ウォッチリストでは分からない」のは初めて気付きました。あと、一覧が赤リンクを含む場合はカテゴリでは表現できない事に最初の書き込みの後で気付きました。高校一覧の記事・カテゴリの在り方については折を見てそちらのノートで提案してみます。--きたし 2007年3月4日 (日) 03:11 (UTC)[返信]
一覧記事は、本来は内部リンク集のための記事でなく、その事象・名称の全てを総覧するためにあります。(理想としてはそうなのですが、必ずしも完成品ではない一覧も少なくないのが実際ですけど。)一方、カテゴリは、あくまで記事として存在するものを検索しやすくするための分類一覧でしかありません。そのカテゴリに分類すべき名称・事象の総覧ではなく、wikipedia内に存在するものの一覧でしかありません。意味は全く異なっていると思います。もちろん、wikipediaの記事が、古今東西、世の中の万物すべてについて書かれた時には、限りなく、一覧記事の内容と、カテゴリの内容は理想論的には一致することになりますが、まぁ、そういう事は何十年たっても実際にはまずならないと思います。人類全体が強制的にwikipedeiの記事作成をしなければならないとかいう状況にでも追い込まれれば、いつかはありうるのかもしれませんが、そういう仮定もまたありえないので、限りなくそういう日は来ないに近い。というのが現実でしょう。従って、そうであり続ける限りは、一覧記事とカテゴリは、それぞれ異なった意味合いと役割を果たしていることになると思います。まぁ、高校一覧の場合は、対象の記事数が多い割には赤リンクというか、記事作成状況が進んでいる事象になるので、近い将来、または記事作成を推進する人が頑張れば?すぐにでも一致するのかもしれませんけど。でも、たまたま高校一覧がそうだからといって、一般的に記事一覧とカテゴリの一方が不要という一義的な定義は出来ないと思います。他の方も言っているように、一覧への補足やコメントが必要なケースもありますし。仮に、冒頭コメントのみならカテゴリに記述することでも回避できますが、それでは外部から検索している人にはそのコメントを見ることは不可能ですから、本当に必要な記事としてのコメントはカテゴリに記述するのは好ましくありません。--陸奥守 2007年3月4日 (日) 03:57 (UTC)[返信]
「~の一覧」という記事は全て、百科事典を執筆する資質を満たさない情報を取捨する能力を欠く人によって本記事が汚染されるのを防ぐために隔離された必要悪なのだと、私は諦観するようになりました。ですので存在意義はあり、なくすともっとひどいことになると確信しています。LR 2007年3月4日 (日) 04:20 (UTC)[返信]
確かに、隔離のための必要悪という面はその通りだと思います。説明よりも一覧の方が遥かに長い記事が往々にして発生しますもんね(苦笑)--きたし 2007年3月5日 (月) 06:37 (UTC)[返信]
「曖昧さ回避」というページかあります。例えば「AA」を見ると、色々な「AA」なる項目が出て来ます。さて、「AAという名の項目」というカテゴリを考えてみます。…そんな無意味なカテゴリは必要ないし存在しない、等と言う突っ込みはちょっと待って頂きたい。飽く迄も物の喩えであるし、話は最後まで聞いて欲しい。で、もしそういうカテゴリがあったとして、そのカテゴリページを見てみると、どうなっているだろうか? 当然、「AA」という名の項目がずらっと並んでいる訳ですが、先の「曖昧さ回避」のページとの根本的な違いとは何かを考えてみて下さい。カテゴリページには項目名がただ並んでいるだけです。一方、「曖昧さ回避」のページには、それぞれがどのような意味のものであるのか、検索の手引きとして書かれています。
そこで改めて「一覧」のページについて考えてみます。「世界一の一覧」を見てみると、様々な「世界一」が並んでいます。そして、それぞれがどのような分野で「世界一」であるのかが簡潔に説明されています。仮に「世界一」というカテゴリがあったとしても、こうした説明も何もなく、ただ「世界一」であるものだけが並ぶので、調べ物の役には全く立たないでしょう。
私は「一覧」とは資料であると解釈しています。「一覧」である以上、最低限の説明、もしくはジャンルなどの分類・整理をしていると思われます。カテゴリページ自体には整理はありません。ただ項目名順だけに並んでいるだけですし、一般には項目名がそのままソートに用いられるため、かえって判りづらいこともあります。そうして考えてみると、「一覧」の意義が見えてくるように思えます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月4日 (日) 09:07 (UTC)[返信]
補足になりますが、Category:日本の高等学校一覧は「日本の高等学校に関する一覧記事」をカテゴライズするためのカテゴリです。きたしさんの仰るのは、Category:日本の高等学校にあたるものかと思います。以下、一覧記事についての個人的見解ですが、カテゴリは原則として文字コード順の自動的なリスティングしかできませんが、手動の一覧記事はもっと他の具体的・実用的な分類・リスティングが可能(例:人名一覧では、五十音別の他に出身別、職業別等がある)と言う長所があり、カテゴリで代用できる部分は限られると思っています。--bcjp 2007年3月4日 (日) 11:55 (UTC)(話題の流れ上、位置を移動させていただきました。御了承ください。--きたし[返信]

(インデント戻します。)カテゴリと一覧のそれぞれの特徴については皆さんの仰る通りです。ここに投稿するときの項目名を「(ほとんど)付加情報のない一覧記事不用論」にでもしておくべきでした。まとめると、カテゴリでは

  • 記事のソート・分類・説明などの付加情報を付けられない
  • 更新がウォッチリストで分からない
  • 未執筆記事を含められない

と言ったところでしょうか。--きたし 2007年3月5日 (月) 06:37 (UTC)[返信]

Wikipediaでは、少なくとも英語版では、ガイドがあり定義されていますね。それによると、一覧には、記事スタイルとして大きく2つに分かれます。記事中でつかわれる一覧と、独立記事としての一覧です。しかし意味的には同じで記事内である節が大きくなると分割されて独立しますが、独立記事の一覧は、記事中においておくと長くなりすぎる場合に独立したものとも考えられます。

英語版ガイドはen:Wikipedia:List guidelineをみてください。

英語版ガイド冒頭に、一覧を使用する目的が書かれていますが、記事中、独立の区別なくどちらも一つの視点で捕らえているようです。以下、稚拙な訳ですが、英語版のガイドの目的部分をご紹介します。

リストの主要な目的として3つあり、1)通常の情報としての有益さ、2)目次機能、3)事典の充実度管理発展用途があげられています。記事中一覧、独立記事一覧とは区別されず、それよりも何の目的のためかという視点になっています。

「1)通常の情報としての有益さ」は、一覧、特に構造化された一覧は貴重な情報源であり、たとえば、年代順に構成された一覧、テーマ別の一覧、注記が付加された一覧などがあげられています。

「2)目次機能」は、「ユーザーが特定の目的がなくブラウジングしているときなど、「関連情報」にある記事一覧を使用するといい」と書いてあります。これは記事内一覧のことですね。また「特定の目的をもっているときには、そのためのキーワードがすでにわかっているため、検索ボックスを使うのが適切。」とも記されています。「探したいことはあるのだけれども、なんていう言葉で探したらいいかわからないときには、それに関連する記事の一覧、”関連記事へのリンク一覧(list of links to related articles)”が利用される」。と書いてあります。

「3)事典の充実度管理発展用途」は、英語では単にDevelopmentと書いてあるのですが、「一覧はウィキペディアの充実目的にも有益だ」としており、「記事の一覧は、執筆中の記事の「事典度」を示してくれる。どれが執筆されていてどれが執筆されていないかがわかる。」

「リンク先の更新状況」機能を使って掲載された記事の変更をトラッキングすることができるのは一覧とカテゴリが同じところ。しかし一覧とカテゴリーが異なる点は、「一覧は記事削除がわかること」さおよび一般記事なので「履歴が残ること」だそうです。

英語版ではガイドラインとなっているのですが、日本語版ではこの対訳がないようです。また、英語版では、独立した記事としての一覧の場合の記事名規則も明記されており、List of で始まらなければなりません。これが日本では慣習的に「~の一覧」になっているようですね。

記事内で一覧といっていないけど文章が定義部分だけでほとんど一覧というより箇条書きというものもありますね。独立記事が要らなくて記事内一覧ならいいのかというとそういうわけではなく、その一覧が意味しているところで議論すべきで、ある独立記事の一覧が記事としての存在意義が問われたとしても、それを一覧記事全体として拡大解釈しないほうがいいのではないでしょうか。以上、ご参考まで。--Pararinpooh 2007年3月4日 (日) 11:15 (UTC)[返信]

総括したものはないもののWikipedia:一覧系記事の作成ガイドラインen:Wikipedia:Lists (stand-alone lists))がありますね。121.93.92.239 2007年3月4日 (日) 13:16 (UTC)[返信]
英語版は、en:Wikipedia:List guidelineで目的主旨など全体説明し、記事内一覧の説明があり、en:Wikipedia:Lists (stand-alone lists)で独立記事、en:Wikipedia:Lists (embedded lists)で記事内一覧、の主にスタイル(表記法)について詳説しています。
Wikipedia:一覧系記事の作成ガイドラインen:Wikipedia:Lists (stand-alone lists)に相互に他国語リンクされていますが、その対訳でもなく、en:Wikipedia:List guidelineのように一覧の概説な位置づけであり、しかし、その内容はList guidelineの対訳ではなく、日本独自の視点で記述した、例を列挙しながらのHowToチェックリスト的なものになっています。主旨説明などは、チェックリスト内に織り込まれているという感じですね。他国語リンクの結びつき、「独立記事の説明」ということが共通項で内容は異なっています。
記事タイトルはガイドラインとなっていますが、ガイドラインの位置づけではないようです。また、スタイルガイドラインにカテゴリ付けされていますが、「役に立つか?」「価値観の衝突を招かないか?」「カテゴリで置き換えられないか?」はスタイルの説明ではなく、スタイル関連は「記事は長くなり過ぎないか?」「各項目の説明をつけるか?」ですが書き方ではなくその考え方なので、具体的記述法HowTo物のen:Wikipedia:Lists (stand-alone lists)よりはen:Wikipedia:List guideline的ですね。本当はen:Wikipedia:List guidelineにリンクされていたほうがふさわしいようです。--Pararinpooh 2007年3月4日 (日) 13:48 (UTC)(追記--Pararinpooh 2007年3月4日 (日) 14:03 (UTC))[返信]
詳細な説明ありがとうございます。Wikipedia:一覧系記事の作成ガイドラインは初心者にも分かり易くていい記事だと感じます。他の英語版の記事も読んでみて日本語版に足りない箇所を補うなり新しい対訳私案を作るなりしてみたいと思います。--きたし 2007年3月5日 (月) 06:37 (UTC)[返信]

まず、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかによると

  • ウィキペディアは定義のリストではない
  • ウィキペディアはデータベースではない

と書かれているが、一覧系記事は明らかにこの方針を守っていない。ここで存続を主張している方々は「既に沢山存在しているから」とか「情報として有益だから」などといった個人的な私情で一覧系記事を擁護をしているようで納得できない。基本方針すら守られていない記事の存続を主張するならば、まずこの公式な方針を変える必要があろう。--211.7.147.139 2007年3月6日 (火) 13:00 (UTC)[返信]

仰ることはご尤も。ただし、「ウィキペディアは定義のリストではないしデータベースでもない」が、これは「定義のリストやデータベース要素をウィキペディアが含んではならない」ではありません。既存の百科事典でも、資料としてデータが並んでいるページは存在します。更に言うならば、平凡社の『世界大百科事典』にはデータを纏めた巻もある上、毎年、年鑑が発行されています。勿論、『世界大百科事典』は「定義のリストでもデータベースでもありません」。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月6日 (火) 15:27 (UTC)[返信]
(単なる感想)字面でしか判断できていないか、きちんと理解できているか、難しい問題ですね。そういう意味では箇条書き・短文なのどのマニュアル文章に慣れすぎた人は、少し長い文章には拒絶反応しめすわりには、そういうところの理解力が充分じゃない人が結構多いような気もする。ビジネス文書は確かにそういう傾向の記述を推奨してるしそれはそれで必要性があることなんだけど、、、そのの影響かどうかはさておいて、理解力は落ちてるなぁと感じます。--陸奥守 2007年3月7日 (水) 13:21 (UTC)[返信]
それはおかしい。「平凡社の『世界大百科事典』にはデータを纏めた巻もある上、毎年、年鑑が発行されています。」、たしかにありますが、こういったものはWikipediaでは通常の名前空間にあるものではない。「○○の一覧」で項目を作った時点でそれは「○○」という記事との直接の関連性がなくなってしまいます。今回の問題の一覧は理想的なWikiの空間としては(現状のシステムで出来るかどうかはともかく)「○○の一覧」ではなく別の名前空間で作製される物ではないでしょうか(例:「都道府県」の一覧は「都道府県の一覧」という項目ではなく「一覧:都道府県」といった空間の項目であるべき)。もちろんそういった解決法はすぐに取れるものではありませんが、「○○」と「○○の一覧」の両方の執筆者が利便性を考慮して執筆しない限り「定義のリスト」「データベース」に陥ってしまうでしょう。--SeyfertSluw 2007年3月13日 (火) 06:36 (UTC)[返信]
「通常の名前空間にあるものではない」ならばどこにあるべきものなのか、ご提示なさらないと問題解決にはならないと思われます。資料画像は須くコモンズにでも放り込んでおけ、では、余りにも乱暴である上に資料の利便性に欠けるのではないでしょうか。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月17日 (土) 08:41 (UTC)[返信]
たしかに別に(一覧:○○とか、List:○○の一覧とかIndex:○○の一覧とか)新たに名前空間を申請して作るというのは1つの方法は方法だと思います。ただ労力に見合うメリットがあるのか......Monami 2007年3月17日 (土) 09:08 (UTC)[返信]
ともあれ、「通常の名前空間にあるものではない」などによる「置き場が無いから削除」という理屈は余りにも破壊的発想でしか無いと考えます。必要か不要か、存続か削除かは別として、もう少し建設的な提案をされる方がいないものかと懸念します。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月17日 (土) 15:29 (UTC)[返信]