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全国紙で報道されたことについて 編集

全国紙で報道されたことは、何でも書いてよいと思っている投稿者に困っております。 私は百科事典というのは、その記事対象の本質に迫る内容を書くべきものであって、ニュースを記述する場合も「どこの企業でもおこるような不祥事」などはイチイチ書くべきではないと思っています。逆に、ニュース速報に近いものであっても、その記事対象が本質的に抱える問題であれば記載してよいという考えです。 ですが、冒頭に書いたとおり、ある投稿者は「全国紙で報道されたことは、全て瑣末でなく、書いてよい」と考えている様子です。たしか、このような考えを否定するガイドラインがあったと思うのですが、ご存知の方はご案内頂けないでしょうか。すみませんが、よろしくお願いします。--はま 2011年2月22日 (火) 08:45 (UTC)[返信]

Wikipedia:検証可能性#但し書き」や「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」の4番「報道」、あたりが該当するでしょうか。ある一時だけ大きく取り上げられたとしても、長い目で見た場合実は瑣末な出来事に過ぎなかったとか、ままあるわけで。速報のうちからそういったことを判断するのはとても難しいと思います。--Bellcricket 2011年2月22日 (火) 09:49 (UTC)[返信]
  コメントBellcricketさんが指摘された公式な方針ではなく、「ウィキペディア日本語版の方針またはガイドラインの草案」ですが、Wikipedia:日本中心にならないようにWikipedia:特筆性でしょうか。個人的には「ウィキペディアは世界単位の(多言語の)百科事典なので、その記事の性質上から見て、世界的観点から掲載すべき内容のみを掲載すべき」と思っています。全国紙でも大きなニュースが少ない版は些細な話題を載せたり、日本全体の話題を載せる一方で非常に個人的・趣味的な話題も載せて「バランス」を取って「幅」を確保しようとしています。逆に地方紙で全体を踏まえた論調があったりもします。単に全国紙に載ったからと、記載するに妥当な特筆性があるとは言えないと思います。現在進行の話は記事の列挙になりがちですが、一段落したら必要に応じて「その他」などの節に集約する、類似の話はまとめるなど整理するのが良いのではないでしょうか?最終的にはケースバイケースとは思いますが。--Rabit gti 2011年2月22日 (火) 11:19 (UTC)[返信]
はまさんと、Bellcricketさんの意見を支持します。 信頼できる情報源による報道であっても、些細なニュースは些細ですし、重大ニュースであっても主体との関係が薄いものは、主体の説明になっていないので、もっと関係の深い別のページにするか、場合によっては書かないということもありえます。--Gyulfox 2011年2月22日 (火) 12:22 (UTC)[返信]
不祥事については、どこにでもある事かどうかよりも、その事件によって主体が大きく変化したか、何でもなかったかという視点で吟味していったら良いと思います。(見極めが必要という事でよほどの事でないかぎり、速報をする必要はないと考えます。)--Gyulfox 2011年2月22日 (火) 12:32 (UTC)[返信]
  コメント検証可能性と特筆性は似て非なる概念ですが、前者が満たせれば後者も、と考える投稿者が多いようです。こうした風潮に歯止めがかけられれば良いとは思いますが、掲載の基準というのは単純に数値で表せるものでもないので(新聞○記事に取り上げられたらOKとか)難しい問題です。個人的には「木を見ないで森を見ろ」と言いたいです。出来事そのものよりも、その出来事がもたらす影響が大きくて初めて百科事典に載せるに値するのだと思います。--T_suzu 2011年2月22日 (火) 12:50 (UTC)[返信]
  コメントウィキペディアで単に特筆性といえば、それは単独記事の基準としてのものだと思います。記事内容に付いてはウィキペディアは何ではないかなどがひとつの基準になるでしょう。たとえば、ウィキペディアは報道ではないという記述があります。報道というのは、その時点で価値があれば行われるもので、一過性の話題を含みます。しかし、百科事典で報道された事柄を逐次的に加筆していけば、それはまとまりがなく記事の主題を理解しにくいものになってしまうでしょう。その記述が、将来的にも価値があり続けるかどうか、ということも考える必要があると思います。--有足魚 2011年2月22日 (火) 14:40 (UTC)[返信]
皆様、コメントありがとうございます。皆様にご案内いただいた方針で話ができそうです。本件は確かに難しいと思います。同じニュースを扱っていても、百科事典として成り立つ記述内容・分量と、成り立たない記述内容・分量とがあるようにも思いますし(要するに書きようの問題)。皆さんの意見を拝見して、私もいろいろ考えてみたいと思います。とりあえず、ありがとうございました。 --以上の署名のないコメントは、はま会話投稿記録)さんが 2011年2月22日 (火) 15:27 (UTC) に投稿したものです(長月みどりによる付記)。[返信]
  コメント Wikipedia:削除依頼/新宿通り魔予告事件のようなケースでも独立記事作成には反対意見の方が圧倒的に多く出ております。このケースは異なるようですが警官の不祥事なども報道されただけで記述するのが適当ではないように思います。--Tiyoringo 2011年2月23日 (水) 04:31 (UTC)[返信]
  コメント 基本的には皆さんのご意見に賛同します。そもそも最新のニュースはまずウィキニュースに投稿されることが推奨され、たとえ重大事件であっても即百科事典の記事化にはなじまないと考えます。その時点では誰もが重大事件と考えていてもそれが5年後あるいは数十年後であっても重大事件であり得るかは大いに疑問です。現在記事化されているものでもこれが20年前の事件であれば現在は誰も執筆しないであろう記事も数多く見られます。百科事典であるからには事件が一段落してから充分練り直して記事化することが望ましいと考えます。--As6022014 2011年2月23日 (水) 09:53 (UTC)[返信]
  コメント 速報の例を挙げるなら、少し昔あった、三菱自動車の連日の発火報道についても、やがて他のメーカーの発火率と大して変わらないと分かってきて、報道に対する批判記事とかが出てきて、総括的には、各々の記事は偏向報道あたりに数行程度に圧縮して書いておいて、メーカーのページには関連項目あたりから誘導しておけば良い情報でした。 でもその最中では何が適切なのかは誰も全然分からない。 サリン事件も一発目は何が何だか分からなかった。 掲載に値する事件であっても、急いで鬼の首を取ったように1個ずつページにするのは感心しない。 しばらく待っておいて、As6022014さんの仰るように、ウィキニュースに投稿してリソースを共有するのがスマートなやり方だし、最終的には良いものができる。 それが百科事典的な編集という事です。--Gyulfox 2011年2月23日 (水) 14:50 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。それはさておき、現在問題になっているページ綜合警備保障東京学芸大学附属竹早中学校‎は当該執筆者により記述の復帰が行われ、またノートに問題提起が行われました。後ほど、皆さんに教えて頂いた方針文書で説得を試みるつもりですが、まずはご報告まで。--はま 2011年2月24日 (木) 07:46 (UTC)[返信]