Wikipedia:井戸端/subj/出典要求テンプレートの貼り方について

出典要求テンプレートの貼り方について

編集

ちょうど、恵良駅ノート / 履歴 / ログ / リンク元の編集を見ていて気になっていたのですが、端的にいうと、

「ある節内のすべての情報が無出典だった場合に、

  1. 全部の情報に{{要出典}}を入れていくのと、節に{{出典の明記|section=1}}を貼るのではどちらがいいのか
  2. 前者と後者を書き換える編集に意味があるのか

という点です。なお、当該記事について出典を追加できる部分は追加しています。

個人的な考えとしては、全てに{{要出典}}を貼るのも節単位で{{出典の明記|section=1}}を行うのも、編集者向けの情報量としては同じであり、そして前者のほうが見づらいので、後者のほうがいいのではないかと考えています。もちろん、全体に{{出典の明記}}が貼ってある記事でも、特に怪しいところへさらに{{要出典}}を貼ることもありますが、ほぼ全文へ貼るなどのように、あまりに多量に貼っていては強調の効果も薄れて、ただ見づらくなるだけではないのかと考えています。--Jkr2255 2015年6月22日 (月) 14:46 (UTC)[返信]

はじめまして。
恵良駅ノート / 履歴 / ログ / リンク元では結果的に編集合戦になってしまい、申し訳なかったです。
なお、私個人の意見としましては、やはり見栄えの問題から、後者(節単位で{{出典の明記|section=1}}を行う)の方が良いと思います。記事中のほんの数箇所に{{要出典}}を貼るのは問題ないですが、節まるごと{{要出典}}だらけ、という状態はどうかと。--からたち会話2015年6月22日 (月) 15:04 (UTC)[返信]
要出典範囲のテンプレートを付与した方が問題箇所が明確化しますし、新たな出典なき追記を防止できるメリットがあります。
見えづらいかどうかは、本来別問題でしょう。内容が出典で棚ぽされていない以上、適切かどうか不明なのですから。
なお、誤解を招かないように書いておきますと、出典の明記のテンプレートを単に剥す行為をしばしば繰り返しており、全体の出典の明記のテンプレートへの置き換えを巡る編集合戦だったというわけではありません。--Tasetebills会話2015年6月22日 (月) 15:15 (UTC)[返信]
  コメント本当に「編集者向けの情報量」が同じなのであれば、純粋に「閲覧者向けの情報量」で評価しなければならない問題だと思います。
ですが出典の存在は検証可能性の他にも特筆性を担保する意味もありますので、「個別」と「節全体」とでは後者だと節の必要性(=雑多な情報ではない)に対する疑義という意味にも受け取れると思いますので「編集者向けの情報量」が等しいとはちょっと思えません。
個人的な考えとしては、{{要出典}}の方が「何に疑義を出されているのか、何の出典を探してくればいいのか」が明確化するので、{{出典の明記}}より「編集者向けの情報量」が多いと考えます。例えば著名人の記事で「ブログの炎上歴」なる節があった場合、項目一つ一つに{{要出典}}が貼られているのと節全体に{{出典の明記}}が貼られているのとでは大分異なると思うのです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月24日 (水) 00:58 (UTC)[返信]
  コメント 確かに、評価・分析などが入りうる、通常の文章の段落ではそうかもしれませんね(状況によっては、冒頭で書いたような{{出典の明記}}と{{要出典}}の二重付与、という手段もありでしょう)。では、今回のような一覧表などではどうでしょうか。--Jkr2255 2015年6月24日 (水) 03:29 (UTC)[返信]
ノート:恵良駅とも重複しますが、ウィキペディアは多くの参加者による編集が継続して行われるものですので、個人が執筆してその時点で記述が固められて執筆が持続しないものとは異なると思います。冒頭に示された出典に基づい記述が続く保証がないのです。その記述を始めた人が永遠の命を持っている訳でもありませんし、忙しくなったりして参加ししなくなるかもしれませんのでその点を考慮する必要があると思います。
実際、恵良駅での「大分県統計年鑑」という記述は、2007年2月25日 (日) 17:19‎ 差分[1]で追記されたもので、この執筆者城山会話 / 投稿記録 / 記録は2007年には活動されていましたが、現在は参加されていないようです。その結果、本当にその出典かどうか不明の追記が続いている状態です。こうしたことを考えると、一覧表であるからという理由で、要出典範囲のテンプレートを付与する対象から外すべきというのは不適切なことが判ると思います。--Tasetebills会話2015年6月24日 (水) 03:47 (UTC)[返信]
  返信 (Jkr2255氏宛) 「今回」とは?
からたち氏が触れていることから編集履歴を調べて恵良駅#利用状況の編集合戦の件なのではないかと推測しました。違うようなら指摘して下さい。特筆性無しとして恵良駅の記事を削除するのが適切だと考えます。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月24日 (水) 04:54 (UTC)[返信]
(追記)っと、失礼。「など」と入っているので「今回のような」は明らかに読み飛ばさなければならない情報でした。
一覧表でも節でも論理構造上は一緒なので何も変わりません。表に記載の数値に疑義があるなら{{要出典}}を使うべきだと思います。当然{{要出典}}を貼る側はどのような根拠で疑義があるのか(異論の存在等)を一つ一つ何等かの方法(ノートとか)で明確にするべきであり、そうしないのは手落ちと批難されても仕方が無いでしょう。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月24日 (水) 05:23 (UTC)[返信]
出典が一軒あるかのように見える部分に要出典範囲のテンプレートを付与する場合には、確かに説明が必要といえるかもしれません。ただ、出典に基づいた記述を行うのがウィキペディアの基本方針であり、例外としてほぼ全員の間で常識化している部分は出典を要求しなくてよいとされています。その点を考えると、常識といえると思える部分以外で、要出典範囲のテンプレートを付与する場合に、明らかに出典がないのなら、説明は「出典がないので、根拠となる資料を個別注記で付けて、記事の改善にご協力ください」としか書きようがないのです。出典がない故に、正当性が確認できないことこそが疑義である場合がほとんどですから。--Tasetebills会話2015年6月24日 (水) 13:49 (UTC)[返信]
年齢、国籍、性別学歴その他の要因で簡単にころころと変化する不確定定義である「常識」を、全世界の日本語話者が当たり前に持っているに違いない普遍的知識だと考えている辺りで論理齟齬が起こっているのではないかという疑問があります。例えば、昭和の生まれならダイヤル式電話はダイヤルを回してかけるものという常識がありますが平成10年生まれにこの常識は当てはまらないですから、昭和の常識を理由に出典省略を行うことは閲覧者の知識レベルを計るのと同意義で、他の場合であっても出典要求に対して(あなたの)常識を理由に突っぱねるというのはおかしな論理展開だと思います。そもそも、ウィキペディア日本語版では閲覧想定は全世界の日本語話者であって日本国内限定版ではないのだからして、常識そのものが出典要求行った側と応えるべき側で乖離していてもなんの不思議もないですし。--2015年6月24日 (水) 21:56 (UTC)--以上の署名のないコメントは、119.150.58.246会話/Whois)さんが 2015年6月24日 (水) 21:57 (UTC) に投稿したものです(世界最狂の魔法使いCray-G会話)による付記)。[返信]
◆言葉遊びをする気は無いので、今後は「疑義がある」を「異論がある」と表現を変えますね。
{{要出典}}は飽くまで閲覧者に対して「誤っている可能性が高い(=異論がある)未検証な内容である」ことを知らせる為のものであり、言うなれば除去の予告です。予告なんぞせずに(={{要出典}}なんぞ貼らずに)とっとと除去なり何なりするのが理想であり、そうする意思の無い記述に対して貼るべきものではありません。
常識といえると思える部分以外で
どうやってそれを判断するんでしょうかね。「自分は知らないので常識外」と判断するのであれば、大粗方の専門分野の記事は{{要出典}}で埋まってしまいます。出典のガイドラインは疑問を投げかける道具ではありませんよ。そりゃ世の中にはもしかしたら「大半の人々は手のそれぞれに5本の指がある」ことを知らない人だって居るのかも知れませんが、それならば(例えば自分も親兄弟も手の指の数は五本では無い等の)異論があるはずです。異論も無しに{{要出典}}を貼るべきではありません。
本話題の切欠となったのは「数値の羅列された一覧表」なわけですが、「数値の羅列された一覧表」の場合はつまり単なる事実の羅列であり、必要なのは一次資料だということになります。二次以降の高次資料であれば一次資料と異なり内容の差異がある(それこそが高次資料の意義です)ので、同じ主題に関する出典を探してきても内容が異なることが大いに考えられます。ですが単なる数値(=一次資料)は単なる事実でしかないので「誰が探してきても」内容は全く変わらないはずです。
過去にも似たようなことに似たように答えたことがあるので参考にして戴ければと思います。Tasetebills氏は現在のところ、自分は何かを調べたわけでもないのに無根拠に「お前の言うことは(「間違っている」ですらなく)信用ならない」と主張しているのだということをご理解戴きたいと思います。言い換えるなら、この場合の正しい行動は「出典を探してきて付記する」であり、「根拠は無いけどこの内容は信用出来ないから出典を出せ、と要求する」ではありません。「{{要出典}}を貼る=出典を出せと要求する」ことは、「根拠がある=内容に異論がある」のならば記事の改善につながります。ですが「根拠が無い=内容を知らない」のであれば「閲覧者に誤解を与える」上に「執筆者に負担を与える」ことになります。
それが故にこうやって本件話題が提起されるような「解釈の違い」が発生してくるわけです。「こうやって」とは即ち、「異論があるのであれば個別に{{要出典}}を貼るべき」ですが、「単に未検証であることを閲覧者に示すだけであれば一括して{{出典の明記}}を貼るべき」だからです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月25日 (木) 02:42 (UTC)[返信]
何も調べずに出典付与の要求をしているとのことではなく、自分が得た資料で出典を付与した際に、他の部分に出典がなかったので、出典を付けていただくように依頼しているのです。出典を付与したけれども、他に出典がない部分が多数あるのなら、その改善を同時に求めるのはおかしなことではないはずです。そういう場合に要出典範囲のテンプレートを付与することがおかしく、出典の明記のテンプレートが望ましい・・・とする根拠はないでしょう。
なお、数値の票の部分について2次資料を求めたのではなく、追記者が異なるので、出典が記述されているものかどうかが不明なのです。各年度毎に個別注記しないと、ウィキペディアのような自由に追記できるものでは長期にわたる出典の正確性は担保できないのです。--Tasetebills会話2015年6月25日 (木) 14:16 (UTC)[返信]
それぞれ意味が違います。確かに{{要出典}}は比較的汎用に使えますが、何でもこれ一つで済ませようとせずにより適切なテンプレートを使用して下さい。
他にも似たような検証可能性関連のテンプレートが多々あります。それぞれ意味が違うので使い分けるべきです。どう使い分けるべきかは各々のテンプレートの説明を読んで下さい。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月26日 (金) 00:24 (UTC)[返信]
  •   コメントTemplate:要検証の説明文に具体的に示されているので参考にしてみてください。
一般に「とにかく出典がないものにとにかく機械的に要出典・出典の明記を貼ってまわる」ような利用者さんは少なくないです。というか多いです。WP:Vなどに鑑みてもそれは批難されるほどダメなこととは言えないかもしれませんが、親切とはいえないし、私は個人的には真摯でもないと感じます。Template:要検証にあるとおり、「出典がないけども、記述自体はそんなにおかしくなさそうだ」=要出典・出典の明記、「出典もないし、内容も怪しい」=要検証、などのように使い分けるといいでしょう。
使い分けの詳細については世界最狂の魔法使いCray-Gさんが示されているとおりで、さまざまなテンプレートが用途に応じて用意されています。ときには出典があっても、何らかの問題テンプレートを付与することもあるはずです。一次資料しか示されてなく、過剰に詳細なデータが列挙されているような場合に「そんなことまで書く必要があるのか」と感じたらTemplate:一次資料を付与するということもあるでしょう。いずれにせよ、テンプレートを貼りつけるだけで済ますのではなく、ノートページを利用して問題点を具体的に指摘すると捗るはずです。
このためには、記事の主題についてある程度の見識が必要になるかもしれません。なんにも知らない人が機械的に要出典してまわるよりも、ある程度わかっている人が適切な問題点を指摘して適切なテンプレートを付与することは、ずっと記事の改善が容易になるでしょうし、建設的です。これに比べると、単に出典がないというだけの理由で「要出典」「出典の明記」を貼って回るのは、少なくとも「建設的な印象は与えない」と思いますし、(WP:Vという後ろ盾があったとしても)「非建設的なことをされた」と感じる執筆者は少なくない、多いハズです。--柒月例祭会話2015年6月26日 (金) 02:50 (UTC)[返信]
  •   コメント モバイルビューですと冒頭の「出典の明記」は「このページには問題があります。」に集約されてしまい、これをクリックしない限り問題の内容が分かりません。また、「要出典範囲」における破線の下線や節ごとの「出典の明記」は、モバイルビューでは表示されません。
なお、これらのタグ(テンプレート)については、自分の場合ですと結構ケースバイケースで対応しているような気がします。全体的に完成度が高い記事の場合ですと、冒頭のテンプレートを見て記事全体の印象が悪くなるのを避けるためにも、出典関係のテンプレートは特定の節か問題個所だけで済ませています。問題があり過ぎて収集が付かない場合は、冒頭や節にテンプレートを設置し、問題ないところは出典をこまめにつけて「この部分は大丈夫ですよ」というアピールをしたりします。
また、大胆な編集や新規作成をする際にはテンプレートを貼られないように細目に出典を付けていますし、細かく出典を付けにくい場合はGeneral Referenceとして「参考文献」節にデータが載っている文献を提示する、といったところでしょうか…。個人的には「出典がなければ出典を探してきてしまえば良い」というスタンスでやっているような気がします。--Assemblykinematics会話2015年6月26日 (金) 10:21 (UTC)[返信]