Wikipedia:井戸端/subj/同名作品がある場合の曖昧さ回避の記事名の混乱状態について

同名作品がある場合の曖昧さ回避の記事名の混乱状態について 編集

小説をはじめ、同名作品がある場合の曖昧さ回避のつけ方に関し、「Portal‐ノート:文学#同名作品が存在する場合の記事名の付け方について」で、文学分野のローカルルールを定めるかどうかに際し、私を含めて数名の意見が交わされましたが、これは文学作品だけでなく他の分野とも繋がることなので、もっと幅広く皆さんのご意見を募りたいと思います。議論の論点の大柱は、

  • 同名作品が存在する場合の曖昧さ回避部分を「○○ (誰々の小説)」か「○○ (誰々)」のどちらにするのが妥当なのか

というものです。私としてはケースバイケースで対処してもよいと思いますが、現状は脈絡のないバラバラな感じらしいので、ある程度の原則を設けた方がいいかとも思います。

議論の場で出たSugitaroさんの意見として、「作者名も分野名のうちであるということを受け入れてしまうのがよい」というのも私は同感できますし(チャイコフスキーカフカドストエフスキームンクなどにいちいち楽曲、小説、絵画と入れるのは冗漫だから)、Afazさんの、「作者名を分野名とする場合、もしも作者名が他の分野名とかぶる場合混乱がおきます」という意見にもうなずける部分もあります。

議論の中で私が例に出した安部公房の「榎本武揚 (小説)」「榎本武揚 (戯曲)」など、今後「榎本武揚」という小説が他作家で出た場合、必然的に「(誰々の小説)」と改名せざるをえないものもあるので、私としてはAfazさんのおっしゃることも分るのです。ただそういう例は多くはないと思うので、それらは例外処置として、同名作品が存在する場合の原則は「(誰々)」としておくというもの有りかとも思います。

ただ、「女神 (三島由紀夫)」「女神 (太宰治)」のように、「女神 (藤井フミヤの曲)」「女神 (沢田研二の曲)」など、他の楽曲分野ともかぶっている事案もあり(女神 (曖昧さ回避)参照)、やはり両者に「(小説)」といれた方がいいような気もするケースもあり、私自身迷っています。

また、同名作品が同分野にある場合の曖昧さ回避の指針に関して、問題提起者のKAMUI さんの見解のように、Wikipedia:曖昧さ回避#記事名の競合で示されているように「項目名 (分野)」の原則的な考えがベースにあると思いますが、ツーリンさんの、「原作者の名前をカッコ書きするのが最も適切だと思います。ルールの不備があるなら、使い物にならないルールを使い続けるより、ルールを更新して現状に対処した方が有用だと考えます」([1])という意見や、頭痛さんの、「同分野内の曖昧さ回避に関してはWP:NC#芸術作品内には指針はない、と考えるのが自然」([2])という見解もありました。

このように、指針そのものの解釈あるいは改訂をめぐっての枝葉の議論にも発展し、そうなると、なかなかまとまりがつかなくなりそうな気がするので、元の論点に立ち返って、どうすれば適した曖昧さ回避の記事名となるのかについて、もっと全体的に風通しの良い幅広いご意見を皆さんから募りたいと思います。--みしまるもも会話2016年8月27日 (土) 02:15 (UTC)[返信]

議論場のリンク

参考リンク

  コメント 全般的な曖昧さ回避のかっこ内の語句についてコメントします。確かにWikipedia:曖昧さ回避#記事名の競合では「分野名」となっていますが、Wikipedia:記事名の付け方#記事名の重複を回避する場合Wikipedia:曖昧さ回避#実際に解説を置く項目名では「分野や分類を表す語」となっており、記事の区別がつけられる語であれば良いと考えるべきでしょう。
例えばクラシック音楽関係ではかっこ内の語句はほぼ音楽家で統一されています。中にはイベリア_(アルベニス)のように、かっこを除いた語句やかっこ内の語句からでは記事の対象がどのようなものかほとんどわからないようなものもあります。なお、その記事の英語版はen:Iberia_(Albéniz)であり、このような運用は日本語版だけのローカルなものではありません。
また、フィクションの登場人物の曖昧さ回避では、ほとんどの場合「作品名」をかっこ内の語句としています。例えば坂田三吉_(ドカベン)は、おそらく漫画の登場人物としては唯一の「坂田三吉」でしょうが、かっこ内は「漫画」ではなく「ドカベン」です。
要するに、曖昧さ回避のかっこ内の語句は、記事名が重複する場合にそれらの記事を区別するための語句であれば良い、というのが私の意見です。「○○ (誰々の小説)」か「○○ (誰々)」のどちらにするのが妥当なのかについては区別できるのであればどちらでも良いと考えますが、プロジェクトで意見が統一できるのであればどちらかに統一すること自体は構わないでしょう。ただし、眉山 (さだまさし)のように記事の対象が小説に限られないものについてまで「○○ (誰々の小説)」にするのは私としては賛成しません。--アルビレオ会話2016年8月27日 (土) 05:14 (UTC)[返信]

  コメント井戸端なのでざっくりとしたコメントをします。基本的に曖昧さ回避の「(ほにゃらら)」は、複数の主題を区別するためのものです。なので、区別するという目的さえ果たせるのであれば、「形式の統一」は不必要だと思います。(大筋でアルビレオさんと同意見のはずです。)

  • まあ、ある程度限定された分野のなかで、執筆者が記事作成時に()内をどうすればいいのか迷わないように、とかの利便性を求めて基本則を決めておくことは役に立つと思います。()内をめぐっての不毛な論争を回避できるという利点もあるでしょう。しかしまあそれは「あるとちょっと便利だね」ぐらいのもので、その基本則を決めるために論争が起きるようであれば本末転倒でしょう。
  • 例示されている「女神 (三島由紀夫)」や「眉山 (さだまさし)」のような場合、百科事典として幅広い記述をしていくと「小説」だけでなく、その映像化作品とか、分野を横断するような事象にも記事が膨らんでいくということもあるでしょうから、「小説」とつけるのが必ずしも妥当なケースばかりではないでしょう。そこらへんは記事の実際の内容や発展度合いとの兼ね合いもあり、たとえば女神の場合には、現時点では「三島作品のTVドラマ化された女神」は記事の中で小さく言及されているだけですから影響はないですが、もしかするといずれ「1960年のTVドラマ作品」が単独記事になったような場合には「()」のありようも再検討を要するかもしれませんよね。要は、作品名・作者名にしろ、分野にしろ、実際に衝突がある記事ができたときに個別に検討すればいいのであって、「脈絡のないバラバラな現状」でも全く構わない、と私は思います。
  • 一般に、「なにかを統一したい」という欲求が広く存在することそのものは否定しません(穿った見方かもしれませんが、日本人やドイツ人はそういう欲求が強い、とみなされているんじゃないかなあ。)。が、統一によるメリットは「なんかスッキリして気持ちがいい」ぐらいしかないんじゃないでしょうか。一昔前のシステムで「後方一致検索をする」みたいな用法を考えればそれはひどく重要でしょうけど、そういうのはカテゴリが担っています。上下関係や指揮系統がある共同作業ならいざしらず、ウィキペディアのように各利用者がフラットな立場で並列的に行う共同作業の場では、そこの形式的な統一性を求めることは手間と成果が見合わないように思います。私が自分一人で作るHPであればもちろんキッチリ統一しますけど。--柒月例祭会話2016年8月27日 (土) 11:39 (UTC)[返信]
  • プロジェクト‐ノート:漫画#マンガ作品の曖昧さ回避についてのときに、何の記事なのかできるだけはっきりした方が判り易いのではないかという点から、(○○の漫画)という曖昧さ回避括弧の書き方に賛成しましたが、そもそも9割以上のウィキペディアの記事は曖昧さ回避括弧を持たず門外漢にはページを開くまで何の記事なのかわからないようになっているので、曖昧さ回避括弧を持つ記事だけ門外漢でも何の記事なのか記事名だけで分かることを目指してもあまり意味がないなあと、今回の議論を見ていて考え直し。--Yapparina会話2016年8月27日 (土) 13:54 (UTC)[返信]

一連の改名提案者ですが、小説記事の記事名は現在「タイトル」「タイトル (著者名)」「タイトル (著者名の小説)」が混在しています。で、記事名が重複した場合に関してはWP:NC#芸術作品では小説については(小説)しか明記されていませんし、WP:AIMAI#記事名の競合では「項目名 (分野)」となっていて、やはり同分野(小説同士)でタイトルが重複した場合については考慮していません。その部分を映画や音楽、漫画ではローカルルールでカバーしている訳ですが、小説についてはそうしたものが無いのが現状です。そのために「タイトル→タイトル (小説)→タイトル (著者名の小説)→タイトル (著者名)」と改名されたものがある一方で、「タイトル (著者名)→タイトル (著者名の小説)」への改名事例が(私が改名提案を行なう以前から)確認できます。

また、メディアミックスした小説を(著者)にするという主張ですが、WP:NCにもWP:AIMAIにもそのような記述はありませんので、本来ならばそれは理由になりません。そうしたいならそれを望む側がWP:NCWP:AIMAIについて「作者名を分野名とする」の改訂を行なうか、最低でもローカルルールを制定すべきです(他の分野については現時点では考慮していません)。ただ、ローカルルール制定についてはPortal‐ノート:文学#同名作品が存在する場合の記事名の付け方についてを参照していただければお解りかと思いますが、現時点では「頓挫している」と言ってもいいでしょう・・・有り体に言えば 人 が 来 ね ー の よ _| ̄|○

なお、実際にメディアミックスしている同じ著者の小説記事で(著者)と(小説)が混在している事実があったりで(例・手紙 (小説)秘密 (東野圭吾)分身 (小説)変身 (東野圭吾))、記事名は提案者の"気分"で決められてんじゃねーか?とすら思ったりね。--KAMUI会話2016年8月28日 (日) 05:59 (UTC)[返信]

  •   コメント ちょっと今思ったのですが、「分身」はドストエフスキーの「分身 (ドストエフスキーの小説)」があるので、東野圭吾の「分身 (小説)」は改名しなくちゃいけないですね。「手紙 (小説)」も芥川龍之介にもあるので(Wikipediaには記事がないようですが)、本来なら立項する際に曖昧さ回避を考慮した方がよかったような気もします。--みしまるもも会話2016年8月28日 (日) 06:59 (UTC)[返信]
  •   コメント そういえば戦闘機記事でもF-16 (戦闘機)I-180 (航空機)のような「機体種別」「大別」が混在してますね。しかし、「全記事の統一にかかるマンパワーと期間」を考えるに、紛らわしいかっこ付記事名はリダイレクト作成という風にケースバイケースで対処した方が全員が楽なのではないでしょうか。内容に影響しませんし。統一したい気持ち、不統一なことで混乱したりある種の不快感があることは分かりますが、「記事を閲覧する」という点について致命的な問題ではないので別に積極的に変更しなくてもいいんじゃないかな、という気がします。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年8月29日 (月) 01:24 (UTC)[返信]
    •   コメント - 話題になったので補足しますと、PJ:航空的には曖昧さ回避の括弧を使う記事名使わないパターンもあるでは「(航空機)」で統一する流れに一旦なりました(この流れに沿ってアメリカ製爆撃機から「(爆撃機)」が一掃された)。が、その後に異議が出て揉めに揉めまくった結果、アメリカ製戦闘機(Fナンバー)、フランス製戦闘機(ミラージュ系)と自衛隊機が放置されました。(放置項目から眼を逸らすなら)現行では基本的に「(航空機)」とし、「機体種別」の採用は機種名重複時の対応例の一つとして特例的に用いる方向になっています(例:P-1 (戦闘機)P-1 (哨戒機)。--ButuCC+Mtp 2016年8月30日 (火) 18:42 (UTC)[返信]
  •   皆様へ。Category:東野圭吾の小説を見るに、新しく記事を作ろうとした人が、カッコ内をどうするかで困ると思います。新記事作成時には、記事名、特に曖昧さ回避用のカッコ内の文言については、似た記事を参考にする事も多いかと思います。重複していない(〇〇の小説)をわざわざ(小説)にする事はないと思いますが、(〇〇)は(〇〇の小説)にした方が良いと思います。ただし、それを強制するのか、全改名とするのかは、別の話ですが。なお、Category:2015年のシングルを見るに、2、3例外はあるものの、(曲)、同名の曲がある場合は(〇〇の曲)で統一されているように見えます。--JapaneseA会話2016年8月29日 (月) 04:39 (UTC)[返信]
  •   コメント 個人的には「ほっとけばいい」という考えは変わらないのですが、長く使われている曖昧さ回避の文言についてはそれぞれの分野で「何らかの短期、長期議論に基いて現在の形に落ち着いているケース」も多数あることから、「各分野でそのように制定されている理由と経緯」を集めて、方針ガイドラインに基づきマクロ視点でまとめるところから入るべきなんじゃないでしょうか。そういえば既にそのようにまとまっている別文書としてWikipedia:独立記事作成の目安#関連項目がありますね。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年8月30日 (火) 22:36 (UTC)[返信]

(お知らせ) 皆さま、様々なご意見ありがとうございました。「Portal‐ノート:文学#同名小説が被る場合のローカルルール制定」において、同名の小説(文学作品名)が被る場合のローカルルール(あくまで原則ですが)を、一応「○○ (著者名)」にすることを提案してみました。もし何かご意見があれば、他分野の方もご覧になってみてください。--みしまるもも会話2016年9月6日 (火) 03:12 (UTC)[返信]