ノート:眉山 (太宰治)

最新のコメント:7 年前 | トピック:太宰治の小説などについての改名提案 | 投稿者:KAMUI

太宰治の小説などについての改名提案 編集

太宰の小説記事および短編集のうち以下の記事について、それぞれガイドラインおよびウィキペディアの方針であるWP:NC#芸術作品WP:AIMAI#記事名の競合において「半角の括弧の中に分野名を記述」という記述に基づき、以下の様に改名することを提案します。

同名小説は存在しないようです。 同名小説ありの指摘があったため改名先を変更。--KAMUI会話2016年8月24日 (水) 09:47 (UTC)返信
三島由紀夫の同名小説が存在します(改名提案中)。
Category:太宰治の短編小説集に収録されている他の短編集の記事名と合わせるものです。

なお、Category:太宰治の小説およびCategory:太宰治の短編小説にカテゴライズされている他の小説記事のうち他分野と被るものは、いずれも分野名を(小説)としています。--KAMUI会話2016年8月24日 (水) 02:39 (UTC)返信

  コメント 眉山 (太宰治) ですが、眉山 (さだまさし)という映画化、舞台化もされたというさだまさしの小説があります。そのため、眉山 (太宰治)眉山 (太宰治の小説)とするべきだと思います。--Benpedia会話2016年8月24日 (水) 06:39 (UTC)返信
ご指摘ありがとうございます。こちらについて眉山 (太宰治の小説)に改名先を変更するとともに、眉山 (さだまさし)の方について眉山 (さだまさしの小説)に改名する提案を行なうことにします。--KAMUI会話2016年8月24日 (水) 09:47 (UTC)返信
  反対 かえってわかりづらくなるため全て反対。--ツーリン会話2016年8月24日 (水) 16:01 (UTC)返信
(コメント)ツーリン氏はノート:眉山 (さだまさし)の方で「小説だけでなく、テレビドラマ化・舞台化・映画化などされているため「小説」という記述は不適当」と主張して改名に反対しておられますが、太宰のこれらの小説(および短編集)はドラマにも映画にもなっておりません。小説記事を(小説)で、短編集の記事を(短編集)で分類する改名で何処が "かえってわかりづらくなる" のかはっきりとした理由を挙げてください。そもそもウィキペディア日本語版の方針とガイドラインになっているWP:NC#芸術作品WP:AIMAI#記事名の競合に反しているという問題があるための改名提案であり、本来ならば小説だけガイドラインや方針を無視しても構わないという主張こそが不当です。--KAMUI会話2016年8月24日 (水) 22:00 (UTC)返信
  コメント お伽草紙 (太宰治)は、短編集でも間違いではないですが短編の連作ですね。ひとまとまりの作品として企図されたものであるので「小説」として単一の作品に準じる扱いをしたほうが良いと思います。
WP:NC#芸術作品は、他分野間で記事名が競合した場合のことを解説しているのみで、同じ分野内で競合した場合(分野名だけでは分けられない場合)にはどうすればよいかということは書かれていません。現状が明確に指針に違反しているということはできないと思います。--頭痛会話2016年8月24日 (水) 22:13 (UTC)返信
『お伽草子』については、その表題の小説が入っていない点からも(小説)とするのはちょっと微妙な気がします。
なお、記事名が競合した場合に、映画や音楽、漫画ではそれぞれローカルルールを定めて取り扱っているのですが(PJ:FILM#他項目と同じタイトルの作品の場合PJ:MUSIC#曖昧さ回避PJ:MANGA#曖昧さ回避)、小説ではそうしたものがありません。WP:NC#芸術作品においては「他の記事と重複がある場合、スペースと半角括弧による曖昧さ回避で映画や小説であることを明記する」となっていること、一部の小説記事において以前から行なわれてきた「著者名での分類」はそれが小説家の名前であることを知らなければ分類として機能しない(ウィキペディアの閲覧者が、全ての分野の人物に精通している訳ではない)ことから、小説記事の曖昧さ回避において(小説)を外して(著者名)のみにしてしまうのは適切ではないと考えます。そう考えると折衷案としては他の分野でも行なわれている(作者の分野)に合わせた(著者の小説)による分類が妥当であろうと考えますが如何でしょうか?
よろしければノート:美しい星 (三島由紀夫)#三島由紀夫の小説についての改名提案の方にもご意見(賛否)を頂ければと思います。--KAMUI会話2016年8月24日 (水) 23:34 (UTC)返信
お伽草紙 (太宰治)については単一の小説に準じて扱うのがよい、ということを言ったまでで、お伽草紙 (小説)とするのがよい、という趣旨の意見ではないです。曖昧さ回避の対象が中世の物語ジャンルで、広く言えば小説のようなものですから、お伽草紙 (太宰治)お伽草紙 (太宰治の小説)か、というところです。
それでWP:NC#芸術作品ですが、実際に書かれていることは
他の記事と重複がある場合、スペースと半角括弧による曖昧さ回避で、映画や小説であることを明記する。
例: 「ひまわり (絵画)」、「ひまわり (映画)」など
と、これだけです。明らかに「映画」「小説」など異分野間での曖昧さ回避を想定した文章であり、同分野内で記事名が競合した場合の指針はここからは読み取れません。この文章だけで「より細かい指標で曖昧さ回避を設ける場合にも分野名を残すべきである」といったことを方針が示しているというのは無理があります。同分野内の曖昧さ回避に関してはWP:NC#芸術作品内には指針はない、と考えるのが自然でしょう。
なお「小説家の名前であることを知らなければ分類として機能しない」とのご意見ですが、曖昧さ回避の括弧は競合を回避するために設けるもので、別に括弧内の語句で分類を行う必然性はないと思います。実際上の問題として、括弧付きの記事名というのは記事中ではパイプの裏技で[[お伽草紙 (太宰治)|お伽草紙]]のように使われるか、そうでなければ曖昧さ回避ページ(ないし、Otherusesなどの誘導テンプレートが先頭にある記事)に飛ばされるか、使われ方としてはどちらかです。曖昧さ回避ページにはどのみち簡単な説明付きで掲載されるのですから、記事名についている括弧内の語句でそれがなんであるのか分かるようにする意味はほぼないと言っていいのではないでしょうか。外部サイトの検索でも定義部分が結果に表示されますから[1]、導入部がスタイルマニュアルに沿って書かれていればどれが目当ての記事か迷うようなことはないでしょう。--頭痛会話2016年8月25日 (木) 11:11 (UTC)返信


  •   コメント   賛成 寄り 「お伽草紙 (太宰治)」については、「お伽草紙 (短編集)」にするのが妥当のように思えます。このケースはKAMUIさんの指摘のように表題作ではないので「(短編集)」が適していると思います。また、同じ太宰の作品集「女の決闘 (短編集)」を考えると、その収録作品「女の決闘」の同名小説が出た場合、「女の決闘 (太宰治)」あるいは「女の決闘 (太宰治の小説)」になるので、短編集のページは「(短編集)」にしておくのが無難ではないでしょうか。ちなみに私ならば、「女の決闘」の記事内で短編集(刊行本)についても同時に組み込んだと思いますが、それはまた別の話になるのでここでは詳しく触れません。
女神 (太宰治)」については、女神 (曖昧さ回避)を見ると、他のジャンル(楽曲)とのかぶり(曖昧さ回避)も考慮するケースだと思うので、「女神 (太宰治の小説)」と「女神 (三島由紀夫の小説)」にするのが妥当に思えます。少し括弧内が長くなるという見苦しさの欠点はありますが、仕方のないこととして受け入れてもいいんじゃないでしょうか。
眉山 (太宰治)」についても、私としては「眉山 (太宰治の小説)」に改名しても特に問題のないことと思いますが、それに付随して「眉山 (さだまさしの小説)」となるのを反対していらっしゃる方もいるようなので、何とも言えません。どうしても不都合や妥当性がとれないならば、「(誰々)」だけで留めておくことも許容可能にしておいてもいいかなと思います。ただ私個人としては、テレビドラマ化・舞台化・映画化というのは、あくまでも「原作小説からの翻案作品」で本来は小説記事がメインなので、「(誰々の小説)」というふうになるのは特に変なことではないと思っています。--みしまるもも会話2016年8月26日 (金) 02:58 (UTC)返信
さだまさしの小説記事については現在反対1票のみですので、これのみ改名しないと言うこともあり得ます(ノート:OUT (桐野夏生)#「同名の小説」が存在しない小説記事の改名提案参照)。個人的な理解としてはWP:AIMAI#記事名の競合において「半角の括弧の中に分野名を記述」としている以上、基本的には小説が主題である記事ならば(小説)あるいは(著者の小説)とすべきで、同名小説があることを理由に(小説)を(著者名)にして分野名を取っ払ってしまうのは本末転倒だと考えますが、反対票しか付いていないものを改名する訳には行きませんので。--KAMUI会話2016年8月26日 (金) 07:31 (UTC)返信

  反対 この案件(小説同士で記事名が競合した場合どうするか)は、 Portal‐ノート:文学で話し合われて明確な合意に至らなかった件ですね。プロジェクトで結論が出なかったものを個別の改名提案に持ち出すというのもどうなのでしょうか。そもそも作者名を曖昧さ回避に使用しているのは文学だけの話ではなく、日本語版内で広くみられる事象なのですから、それが違反だと考えるのであればまず最初にWikipedia‐ノート:記事名の付け方で確認をとったうえで改名の働きかけを行うべきでしたでしょう。前述のように、WP:NC#芸術作品が同分野内の記事名競合の回避に作者名のみを使用とすることを違反としていると捉えるのは自然な解釈とは思えませんので、この理由に基づく改名提案には現時点で賛成できません。
お伽草紙 (太宰治)については、短編集というより短編の連作としての性質が濃いという別の理由で反対とします。Category:太宰治の短編小説集の中では新釈諸国噺と同じ性質のもので、それ以外の短編集とはやや性質が異なります。同じカテゴリに入っているからというだけの理由で強いて他の記事名と合わせる意味はないものと判断します。--頭痛会話2016年8月26日 (金) 11:15 (UTC)返信

(コメント)Portal‐ノート:文学#同名作品が存在する場合の記事名の付け方についてで書きましたが、従来の小説記事においては記事名の付け方がメチャクチャで、まったく統一性がありません。有り体に言えば「個人の好み」じゃないか?とすら思えるほどで、これを放置するのは「判り難い」という点で閲覧者の利益に反します。
また、明確な合意(ローカルルールの制定)にまでは至らなかったという点では「(著者名)による分類」も同様でしょう。また、2007年にはWP:NC#芸術作品WP:AIMAI#記事名の競合がほぼ現在の文面になっている(曖昧さ回避で「半角カッコ内に分野名を付ける」になっている)にも関わらず、2009年決壊 (小説)から決壊 (平野啓一郎の小説)に改名された記事を「通例だから」として再改名した方が、個別の改名提案に対して「確認をとった上で~」と言うのは奇妙です。そもそもWP:NCを言うならば、現状の「小説の記事名でローカルルールを決めるのは面倒、WP:NCの改訂なんて知ったことか、けど小説だけ(著者名)を分野として使わせろ」というのも筋が通りません。
小説分野においては、記事名の付け方がローカルルールで細かく明文化されていないためか小説としての重複記事が存在しないにも関わらず(著者名)が付けられるなどの問題も存在していますが、それに対する改名提案すら反対票が投じられる(言うまでもありませんが、メディアミックスしている小説の分類を(著者名)とするという基準はWP:NCに存在していません)という混乱状態です。ローカルルールが無いならばWP:NCWP:AIMAIを基準として、更にそれらを元にして他の分野でも(そして現在では小説記事の幾らかでも)使われている(作者名+分野)が一番判り易いと考えますが、それが「自然な解釈でない」というのは正直言って理解し難いです。
・・・と言うか、頭痛さんは専らお伽草紙 (太宰治)について言及しておられますが、眉山 (太宰治)女神 (太宰治)についても反対票なのでしょうか?--KAMUI会話2016年8月27日 (土) 00:46 (UTC)返信
  • (報告)改名提案に対して反対票多数として提案は一旦取り下げとします。もちろん、再度の改名提案を否定するものではありません。なお、同時に提案を行なった三島由紀夫の小説については改名しています。--KAMUI会話2016年9月4日 (日) 10:46 (UTC)返信
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