Wikipedia:秀逸な記事の選考/フランク王国 20170815

賛成/条件付賛成/保留/反対 3/0/0/0 この項目の選考期間は、2017年11月15日 (水) 13:27 (UTC)(2017年11月15日 (水) 22:27 (JST))までです。

(推薦理由)Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/フランク王国 20170811にて良質な記事に選出されたばかりですが、やはり秀逸な記事に値するほどの質があると考え、こちらで推薦させていただきました。記事全体を通して出典が脚注できちんと記述されており、文章も特に難解なところは感じられず、また各所で主題に関連する画像が使われている。なお、Iso10970さんより指摘された表記ゆれ、および柒月例祭さんが指摘された600年頃の地図画像については指摘通り変更させていただきました。残りの2件に関しては、主筆者のTENさんにお任せいたします。--ネイ会話2017年8月15日 (火) 13:27 (UTC)[返信]

  • 条件付賛成(賛成票に変更。--柒月例祭会話2017年9月14日 (木) 05:16 (UTC)良質な記事で賛成した者です。あらためて、これだけの大記事をまとめあげた執筆者さんに賛辞を送り、敬意を表します。「保留」(大幅に手を加えなければ賛成できない)ではないので、ひとまず「条件付賛成」(あと少し手を加えれば賛成)とします…が、その「あと少し」のハードルが高い(高すぎる、因縁にすぎない)かもしれません。選考期間はたっぷりあるので、当座は指摘だけして、様子を見させてください。必ずしも「条件」を全て満たさないと賛成できないというものではありません。[返信]
  • 「目安」について、特に4-6については秀でていると思います。1-3については、ダメではないのですが、「できれば」のレベルでこうしてほしいというのがあります。それは主に形式的なことでして、図表のことと、赤リンクのことです。あまり重要ではないこととしては、カタカナ表記揺れのことがあります。
  • 記事の対象が大きく、歴史が長く、地理的範囲も広いです。図表に関しては(できれば)地図類の充実を望みます。記事の中には非常に多くの地理固有名詞が登場し、多くの日本人話者にとってはどこのことだかパッとはわかりにくいと思うのです。たとえば序盤の「フランク族の登場と移住」節には「彼らの勢力範囲はケルンを中心とし、ニーダーラインからライン川中流域のマインツにまで広がり、モーゼル川流域もその支配下にあった」とあるのですが、なかなかむつかしい。どの部分にいくつ地図を、と具体的には申しませんし、地図づくりというのはしんどいものだというのもわかるので、無理強いはしないのですが、できれば、ということで。(同じような意見があるかどうかや、時間との兼ね合いもありますが、場合によっては手伝います)
  • 図表についてもう一つ言うと、これだけたくさんの登場人物、地理、出来事があるならば、いくらか画像を増やしてもいいのではと思います。画像の有無・多寡については好みの要素も大きいでしょうけれど、多くの節で「文字のみ」なので、少し画像を増やすほうが読者にとって読みやすい感が増すかなあと思います。これも具体的にどのトピック画像を、とは特に指定しません。いくらか、適度に、というぐらいです。(不細工な手法ですが、市販の「図表・写真で見る西洋史」的な本で採用されている画像を、同じものをコモンズで探して貼る、というようにすると、バランスがとれるかもしれません。)
  • 赤リンクについては、これは執筆者さんの責任ではまったくないのですが、やはり数の多さは目立ちます。大きな主題を扱う記事なので、小さなトピックをいちいち解説していると冗長になります。なので詳しいことは個別の各記事に任せるということでいいのですが、赤リンクが度を超すと「2.関連記事を読んで・・・」や「3.他の記事との連携・分担関係・・・」あたりが気になります。いくつかは太字で赤リンクであり、重要そうな単語なのに意味がわからないという形になっちゃってます。これについては、当座の解決策はあります。{{仮リンク}}を用いてはどうでしょう。そうすることで、詳しく知りたければとりあえず英語版でなんとかなる、とすることができます。課題は、その対象となる英語版の記事をみつけることで、これは表記ゆれのリンク先を探すことと一緒に、やや地味な作業になります。「仮リンクをつける」ことに賛成があるようならば、いくらかお手伝いします。
  • これに近い話として、訳語の課題があります。たとえば「帝国の分割」節にある806年の「王国分割令」は、『ドイツ史I』では「国王分割令」と訳されています。ウィキペディア内で「国王分割令」を検索すると9世紀カール大帝で使われている。「王国分割令」はカロリング朝フランク王国中世ヨーロッパにおける教会と国家。こういうのなんとかしたいですよねえ、タネ本に準じるんでしょうから、情報源側で訳語が違っていたらしょうがないのですが。ちなみにこの主題はde:Divisio Regnorumとドイツ語版とCatalà版にしか記事がない。キビシイなあ。
  • これも題材が題材だけに仕方がないところがあるのですが、カタカナ表記について。基本的に情報源である日本語文献での表記に基づいているのだろうと思うのですが、ラテン語、フランス語、ドイツ語が入り乱れているのが気になるんですよね。600年頃の地図の場合、「アウストラシア」というようなラテン風表記と「ブルターニュ」というようなフランス風表記が混じっている。これはどうしていいかは私にはわからないんですよね。しょうがないのかな。(ブルターニュ/en:Brittany/fr:Bretagne/ドイツ版にはない!?)アラ探しになってしまいますが、地図では「ブルグント」、本文ではブルグンディア、リダイレクト先がブルグント王国で、その本文中にはブルゴーニュとある。ところどころ「ベレンガーリオ1世(ベレンガル1世)」みたいになっていて親切なんですが、やりすぎると鬱陶しいですよね。うーん。
  • 「皇帝戴冠」のあたり。実は、私は「カールは思いがけず帝位をすすめられてびっくりした・いやいやだった・その気はなかったという通説」しか知らなかったので、注釈を読んでへーと思いました。注釈で帰属化されている対象が佐藤彰一氏とかなので、この方がそう言うならそうなんだろうなと思うのですが、これってそこそこ「有名なエピソード」じゃないかなあと思うんですよね。なので、本文中でも「通説はこうだが」的な説明があってもいいかなあとも思いました。(感想レベルであり、注文とか条件ではないです)これは誰の責任でも無いのですが、既にGAになっているカール大帝の記事中には、「カール大帝の戴冠」という大きな節があり、そこで戴冠についての諸説を詳述しています。カール大帝も佐藤彰一 『カール大帝』(2013)を参考文献として挙げているものの、カール大帝では本記事のような「今の学説では」は書かれておらず、いわゆる通説のままです。ここらへんは、それぞれの記事の執筆時期や執筆者も違うし、カール大帝は2007年当時に無選考(月間強化記事受賞)でGAになっていて、当時と今では道筋も基準も違うのでしかたがないですね。これ話をすすめるとカール大帝の再選考になっちゃうし、うーん。
  • 「帝国」という表現について。この記事の中で、「帝国の分割」節の冒頭で唐突に「カロリング帝国」という語がでてきます。その直前の節では、「西ローマ皇帝戴冠」とか「西ローマ帝国の復活」という表現があり、また「キリスト教帝国」という表現があります。そして一番直接的なのは「(カロリング朝の)帝国」。でも「カロリング帝国」とは出てこないんですよね。「ドイツ・フランス・イタリア」節の真ん中あたりには「カロリング家によって建設された帝国と王朝」という言い回しもある。帝国は築いたものなのか、授かったものなのか、読み流す分には通っていくのですが、繰り返し読んで立ち止まって考え始めると、キリスト教世界の王位と帝位、王国と帝国、キングとエンペラー、「フランク王国」「カロリング帝国」「西ローマ帝国」の関係と言うか、整合性はどうなっているんだろうと気になります。東洋的な意味での帝国ではないし、比喩や修辞的表現としての「帝国」でないことは確かですよね。
  • 気になったので足元に転がっていた『ドイツ史I』を眺めました。(ただし『フランス史』は転がっていないので読んでいませんから、私が読んでいないいろいろな文献のことはごめんなさい。)『ドイツ史I』では、カールは「ランゴバルト王国を滅ぼしていない」と表現し、カールがフランク王位とランゴバルト王位の2つ(+ローマのパトリキウス位)をゲットしたことになっています。幼稚な理解ですが、王国を2つ傘下におさめたので帝国にランクアップする、というのはわかるのです。「カール大帝(シャルルマーニュ)」節には「ランゴバルト王国を滅ぼした」「フランク王国の領土を拡大した」と表現されていて、ロジックとしてはこれだと東洋的な帝国観になっちゃって、西洋のロジックだと「ランゴバルト王国の領土も支配下においた」的な感じだと思うのです。まあそのあとランゴバルト人の王になったとあるので、意味は一緒ですし、『フランス史』のほうに「滅ぼした」と書いてあるならしょうがないのですが。この記事でどこまで詳述するか、ある程度詳細は省くしかないのですが、皇帝戴冠節には、『ドイツ史』で説明されているビザンツの事情やキリスト教世界についてのことはあまり書かれてないんですよね。うーん。「フランク王国」側から見たら、ローマ皇帝位なんてしらねえよ、途中でたまたま拾っただけってことなのかなあ。「フランク帝国」ではないんですよねえ。「カロリング帝国」は「ハプスブルク帝国」みたいなものなのかなあ。英語版をみるとen:Carolingian Empireというのがありました。うーん。カロリング朝en:Carolingian dynasty)てのもありますしねえ。住み分けが難しいなあ。大記事ならではだなあ。
とりあえず思ったことをツラツラ書きましたが、他の方から「そこはそんなに気にしなくてもいいんじゃない?」的なご意見もあろうかと思いますし、上の話はいずれも「絶対譲れない」というようなことではないです。--柒月例祭会話2017年8月17日 (木) 13:57 (UTC)[返信]
  ええと、正直長すぎてわたしの手に余る気もしますが、ひとまず画像の追加は行いました。仮リンクについても行う予定ですが、今は4分の1しかできていません。
訳語については、対象が対象なだけに、入り乱れるのは仕方ないではないかと考えます。無理に統一しようとすると、今度はラテン語フランス語ドイツ語イタリア語のうちどれにするかでもめそうですし、気にしなくてもいいではないかな、とも思います。
「皇帝戴冠」の通説と「カロリンク帝国」の表記は、㭍月例祭さんか主筆者のTEN氏かにお任せいたします。一応、英語版の記事を読む限りでは、「カロリング朝」とはカロリング家が統治した時期、「カロリング帝国」とはシャルルマーニュの皇帝戴冠から(最後の統一が終わる)シャルル肥満王が死去するまでの時期を指すようです。
ひとまず、仮リンクについては継続する予定ではありますが、手伝っていただける方がいらっしゃいましたら大歓迎です(量がとても多いので)。--ネイ会話2017年8月25日 (金) 15:07 (UTC)[返信]
やっぱり気になるので仮リンクの作業を終わらせました。--ネイ会話2017年8月25日 (金) 18:19 (UTC)[返信]
いやー、これは本当におつかれさまです。ありがとうございます。
  • 私の方では、最初の地図を日本語化してみました。ただ、その中で迷ったことがあり、ご意見をいただきたく思います。
  • (1)緑色の部分はen:Silva Carbonaria(英:charcoal forest、仏:Forêt Charbonnière、蘭:Kohlenwald)という地域のようです。直訳すると「石炭の森」ですが、ググった程度では日本語での用例があまり見当たりません。サリーフランク人の勢力範囲の東端を規定していたことを示す目的で地図化されているようですが、今回の記事中では具体的な言及がないので、単に「森林地帯」としました。適切な日本語訳があればそれに合わせるのですが・・・。
  • (2)alamanniは、記事名がアレマン人なのでそれに合わせたのですが、本文中はアラマン族になってます。地図もアラマン族にしたほうがわかりやすいかなあとも思うのですがどうでしょう。(追記)メロヴィング朝の成立節ではアラマン人ですね。うーん。ドイツ風だとアレ、ローマ風だとアラなのかなあ。「族」と「人」はどうかなあ。--柒月例祭会話2017年8月26日 (土) 09:52 (UTC)[返信]
  • (3)ローマの属州の日本語訳について。元の地図では「Belgique Inferieure」「Superieure」となっています。この「Infe-、Supe-」について、ウィキペディア内ではゲルマニア・インフェリオル下ゲルマニア低地ゲルマニア)などとなっており、日本語文献での用例や地図化するうえでの「文字列の短さ」も考慮して「下ゲルマニア」としています。それはいいのですが、ベルギカのほう。原語やゲルマニアにあわせて「上下ベルギカ」としたのですが、JAWPでは上下合わせてガリア・ベルギカで1記事になっています。「上ベルギカ」などからのリダイレクトもありません。そもそも論として外国語版でもオランダ語版にしか対応する記事がしかないのですが、ne:Belgica Primane:Belgica Secundaのように、プリマ(第1)・セクンダ(第2)表記です。そのうえ、オランダ語版にあるテンプレートをみた情報なので検証可能性的にはアレなんですが、「上下ゲルマニア」も297年までで(管区 (ローマ帝国)参照)、それ以降は「第2ゲルマニア」(=下ゲルマニア)、上ゲルマニアは「第1ゲルマニア」と「Maxima Sequanorum」に分割されているようなのです。地図の年代に合わせると「上下ゲルマニア」はもう無かったことになるっぽい?。「メロヴィング朝の成立」節には「[[ガリア・ベルギカ|第2ベルギカ]]属州」というくだりもあります。ここらへん、本文の記述と、地図と、JAWPの記事名との整合性をどうするか、「上下?第1第2?」で悩んでます。
  • これは地図とは関係ないのですが、記事をふつうに頭から読んでいくと、「フランク王国の成立」が明確に書かれていません。まあ、「鎌倉幕府の成立をいつとみなすか」と同じで、厳密にやっていくと難しいのはわかります。冒頭のテンプレート部では「481年」、「メロヴィンg朝の成立」では「482年頃」とあります。なので、概要部に「一般的には481年にフランク王国(メロヴィング朝)成立(注:ただしほにゃらら)、751年にカロリング朝、768年にローマ、843年に・・・」といような「ごく簡単な通説」といれてはどうでしょう。--柒月例祭会話2017年8月26日 (土) 04:07 (UTC)[返信]
長らく放置で申し訳ありません、コメント致します。
  • (訳語) 非常に悩むところなのですが、参照した本でも一致しない場合が多く、採用に明確な基準は無いのが正直な所です。一応比較的新しめの本で使われている用語を優先するようにはしています。
  • (ドイツ語・フランス語・イタリア語の問題)これも上と同じで悩むのですが、同じ本でも時代が変わると言語を変更していたりして、どこから何語を使うべきかについてあまり良いアイデアがありません。例えば『フランス史1』は5世紀頃には「アクィタニア」と呼んでいる地方に成立した分王国を9世紀には「アキテーヌ分王国」としており、「ブルグント」はフランス王国(カペー朝)時代以降「ブルゴーニュ」に切り替わるような感じです。またカール大帝(シャルルマーニュ)などのようにドイツ史の本は「カール」、フランス史の本は「シャルル」を採用しているような例もあり、本記事中では西フランク王国の人名はフランス語式、東フランク王国の人名はドイツ語式、と言う以外にあまり明確な指針を持てていません。(クローヴィスとクロヴィス、ロタールとロータルなどの人名もチャンポンになっております)何か良い指針があればいいのですが・・・。地名の記述も、一応アウストラシア、ネウストリア(ノイストリア)についてはほぼどの本も同じ名前を使用しているのですが、ブルグント、ブルグンディア、ブルゴーニュについては、ブルゴーニュが10世紀以降に使用される傾向がある以外は本による感じです。
  • (地図)地図は一応本文に合わせたものを用意しようと思います。わかりづらいのは間違いないと書いていても思っていたのですが、ちょっと時間がかかりそうです。
  • (フランク王国成立の年代)これもいつの時点で「王国」の成立と見なすか、どの本もあまりはっきりとは書いてないんですよね・・・。『ドイツ史1』も『フランス史1』もクローヴィス1世をフランク王国の建国者として言及しているので、彼の即位(482年)が何となく節目にはできそうな気はするのですが、出典つきで「一般にこの年にフランク王国が成立したと見なされる」と書ける本が見当たらずこのような感じになっています(同じ問題がフランク王国の「終了」についてもあります)。こういう場合、どのように開始と終了を設定したものでしょうか。
ちょっと他の件については考えがまとまらないので、また別途コメント致します。--TEN会話2017年8月27日 (日) 18:24 (UTC)[返信]
続きです。
  • ローランの歌について)良質な記事の選考の際に指摘頂きましたが、これら文学作品を含む後世への文化的影響は「文化」節を用意してそこにまとめて書きたいなと個人的には思っています。というのは歴史節のあちこちに文化史的な記述が入ってくると、流れが掴みづらい(ただでさえ長いので)と個人的には思うためです。ただ、構成上それが優れているかとなるとちょっと自信はないですけども。
  • (ランゴバルド王国の「滅亡」について)『フランス史1』の表記は「~七七三/七七四ランゴバルド王国征服そしてローマ行~」となっていて滅ぼしたとは表記していません。確かにカール1世がその後「ランゴバルド人の王」に即位していることと合わせて、ご指摘の通り「滅ぼした」と言う表記は歴史学的に正しくないように思います。ちょっとこれは前後の文脈と合わせて修正したいと思います。
  • (カロリング帝国等の用語について)これまた本によって使用していたりいなかったりする用語なのですが、一応傾向としてはエーヴィヒや山田欣吾の著作のように、フランク王国の中でも「カロリング期」を取り扱うことを主題としている書籍や論文では、カロリング帝国、カロリンガー、等の用語を意図的に使っているように感じています。特にメロヴィング期に対するカロリング期(特にカール大帝期)の特徴であることに言及するような場合に特に使用されるように見えます。とはいうもののエーヴィヒの著作では「フランク帝国」と「カロリング帝国」と言う用語が交互に登場したり(159p)、キリスト教帝国と言う用語が、それまでのフランク王国とは異なる、しかしカール大帝以後のフランク帝国を指すというような微妙な使用のされ方をしたりしています。一応、本文ではカール大帝期以降のフランク王国の持つ意味合いが、それ以前と異なるというニュアンスで「カロリング帝国」や「キリスト教帝国」のような用語を使用しているつもりですが、厳密な使い分けは難しいという印象です。わかり辛ければこのあたりの用語は一切捨象して「フランク王国」に統一する形での変更もありかもしれません。
  • (アレマン人について)これまた本によってアレマン人だったりアラマン人だったりしてどっちを採用すべきか明確でないですが、時代が下ると大体(特にアレマニエンと言う地名とも絡んで)アレマン人表記が使用されている感があるので、アレマン人で統一してしまうのが簡単かもしれません(『フランス史1』は「アラマン」または「アラマンニ」で統一されていたりしますが^^;)。これと似たような問題としてサクソン人とザクセン人がありますが、これもブリテン諸島が絡むと「サクソン人」が、その他の文脈では「ザクセン人」が使用されているような感じです(これも例として『フランス史1』p. 130ではサクソン、p. 160ではザクセンとなっています)。しかし、サクソンとザクセンを区別せず同じカタカナ表記を採用するのは、参考文献的に正しくないような気がして、現状の記事ではサクソンとザクセンは両方の表記を使用しています。総じて、使用する固有名詞をどの表記で統一するかは明確な指針が持てずにいます。アイデアがあれば是非ご教授頂けると嬉しいです。--TEN会話2017年8月28日 (月) 11:26 (UTC)[返信]
  • 㭍月例祭さんの(2)についてですが、アラマンとアレマンについてちょっと調べてみました。松原國師 『西洋古典学事典』 の記載に従うなら、そもそもラテン語の古典文献の段階で既にAlamanni, Alemanni, Allemanniの表記ブレがあるようです。なので「ドイツ風だとアレ、ローマ風だとアラ」と言うわけではなさそうです(同事典ではドイツ語形も「Alamannen(Alemannen)」として記載されていて、同じ表記ブレがドイツ語や英語でもあることを示唆しています。また原義は英語でAll men(あらゆる人々)に当たり、古高地ドイツ語形はAlemanであると記載があります。また、手元にある書籍をざっくり見てみた所、日本語書籍では『フランス史1』(山川出版社)、『西欧中世史(上)』(ミネルヴァ書房)がアラマン表記を使用している他はほぼアレマンが使用されており、特に「アレマニエン」の語系を取る時は全て「アレ」が使用されているようです。正直、正しい形を決める事はできない気がするので、既に日本語版Wikipediaアレマン人の記事が存在することと、手元の書籍の多数決的にフランク王国の記事では「アレマン」表記で統一してしまうのが良いような気がしてきました。いかがでしょうか。--TEN会話2017年8月29日 (火) 11:49 (UTC)[返信]
  •   いろいろお手数をおかけします。おそれいります。
  • カタカナ表記や訳語の揺れに関連することについては大筋でわかりました。私はそこの統一性を気にする発言をしましたけれど、そもそも記事の主題が、地理的にも年代的にも広範囲に渡っているので、いろいろな言語表記があるのは当然なんでしょうね。(「ライン川」からしてフランス風じゃないですしねえ)英語文献とかだと、容赦なく英語表記で統一してあったりして(シャルルとかカールとかカルロスが容赦なくチャールズになってて)「CharlesII」が誰のことだかわからなくなったりします。そういう意味では各時代・地域にあわせてサクソンとザクセンを使い分けようとする日本人のほうが、真面目というか、律儀というか、細かいことまで気にしてるということかもしれないですね。ウィキペディアは紙の印刷物ではないので、パイプ付きリンクやリダイレクト、注釈をうまく使って補えばよく、「統一」を過度に気にしなくてもよい、と思うようになってきました。アレマンについては、わざわざ調べてくださって恐縮なのですが、初出のときに注釈をつけ、説明してくださったような事情を書き、「以下本記事内ではアレマンで統一する」みたいに書いておくといいかなと思います。
  • フランク王国の成立年代については、確かに難しいのですね。私もいくつか手元の世界史系の文献をパラパラ眺めてみたのですが、「○年成立」と明確に指定しているものはなかったです。ドイツの歴史教科書でも「500年頃」みたいな感じでした。テンプレートの仕様との兼ね合いがあるのかもしれないですが、冒頭の{{基礎情報 過去の国}}のほうを「481年」からもう少しアバウトな表現に変えればいいのかも。ここでは「王国」ということばの定義をあまり考えすぎないのがいいのでしょうね。「フランク王国の成立をどう考えるか」みたいなピンポイントのテーマは「王権」節で詳述されていますので。
  • 「帝国」まわりについて。これも考え始めるといろいろあるんでしょうねえ。「カール大帝」というからには「帝国」(カール大王なら王国)と思ったのですが、ちょっと検索しただけでも「カール大王」という表現も結構見つかりまして、まあ研究者は注意深く意識的に「帝」と「王」を使い分けることはあるだろうけども、世間一般ではそこまで区別がないという感じなのかなあ。似たような例として「アレキサンダー大王/アレキサンダー大帝」とかがあり、原語は単に「the Great(magne/der Große)」なのを日本人が勝手に「王」とか「帝」と補完しちゃってるだけなんですねえ。
  • この記事は日本語文献を中心に据えて書き下ろされていて、その点は本当にすごいなと思います。外国のことだからって英語版の翻訳に頼らなくていい、むしろ検証可能性の点で優れていると思います。が、チラッと英語版を眺めてみたりするとヒントがあったりします。(この記事の場合にはフランス語版やドイツ語版も重要なんでしょうけど。)で、英語版では「Francia」Frankland」と、「王/帝国」という区分からフリーな概念が使われてたり、「Frankish Kingdom, Frankish Empire, Frankish Realm 」が列記されて「いろいろある」ことが示唆されていました。ウィキペディア的には、そういうふうに、「文献や研究者によって、○○帝国、○○朝、○○王国などの表現がされている」的な解説をすればいいのかなとも思いました。
  • 「文化」節は楽しみです。今の構成からいけば、おっしゃるように、あちこちに分散させて政治史的な流れを分断するよりは、文化だけでまとめた節にするほうがよいと思います。そのボリューム、とくに「後世への影響」までやりはじめると、それはそれで長大化するのかもしれませんから、場合によっては「フランク王国の文化」だけで別記事にしてしまって、詳細はそちらを参照という構成にしちゃってもいいのではないかとも思います。まあそこはどちらでも。
  • 以上で、ひとまず現時点でのお返事とします。「条件付き賛成」をどのタイミングで「賛成」に切り替えるかは私もまだ線引しているわけではないのですが、推薦当初の時点よりは近づいていることはまちがいないと思います。--柒月例祭会話2017年8月31日 (木) 03:52 (UTC)[返信]
  •   コメントちょっとどのタイミングでコメントするか、決めかねておりアレなんですが、その後も文化を中心に加筆いただいており、都度都度拝見しております。ひとまず、「読んでますよー」ということの表明としてコメントでした。--柒月例祭会話2017年9月10日 (日) 05:25 (UTC)[返信]
  •   返信 選考していただいてる方々へ。延々と変更してしまいすみません(^^;まだもうちょっと書きたいことはあるのですが、随時内容が変わってしまうとこちらの方に支障がありそうなので、とりあえず一端手を止めたいと思います。文章の微調整や画像・地図の追加はすると思いますが、大枠としては現時点の状態で選考していただければと思います(選考で指摘された内容以外の大きな変更は、通過するにせよしないにせよ選考終了後にしたいと思います。)。よろしくお願いします。--TEN会話2017年9月11日 (月) 17:22 (UTC)[返信]

  賛成 おつかれさまです。選考開始時点と比べてすごく発展しましたね。あらためて敬意を表します。選考については「賛成」に切り替えます。(「もうちょっと」とおっしゃらず、いくらでも加筆してください)

  • いずれも雑多で些末な感想ですが、気のついたことをいくつか。
  • 「ガロ・ローマ(系)」という語が「言語」節で初出で、その後も特に解説のないまま何度か登場します。これは少し不親切に思います。ガロ・ローマ文化ガロ・ロマンス語という記事があり(記事の質としてはスタブですが)何らかの形でリンクするのも一つの手かなと思います。たぶん、西洋人には「ガリア Gallia」と「ガロ Gallo 」は同じ語幹をもつラテン語で格が変化してるだけというのは自明なのかもしれないですが、日本語話者にとってはラテン語のGallia(ガリア)、Gallo(ガロ)を同一視するにはいくらか説明があったほうがいいと思います。実を言うと私もよくわかっておらず、「ガロ・ローマ系(住民)」というのが、人種(?混血的な?)のことなのか、ローマ風の教育を受けたガリア人(ローマの言語を喋るガリア人?ローマナイズ(?)されていたガリア人?)なのか、ローマ支配下のガリア人のことなのか、あるいはローマともガリアとも違う独自の文化圏というような独自の群なのか、ピンときていません。ガリア・セナトール貴族のなかには「ガロ・ローマン元老院貴族(セナトール貴族)」「ガロ・ローマ人」「ガロ-ローマ人聖職者」などの表現もありまして、うーん。
  • 「聖人伝」の「最も生産的な文学ジャンル」という表現。ここだけ「英語の直訳的」な感じを受けました。出典で「生産的」と表現しているならしかたがないのですが、「生産的」というのは「建設的な、ポジティブな、前向きな」みたいなニュアンスがありますよね。でもここでの文脈は、「聖人伝は人々を前向きな気持にさせるジャンルだ」ということではなく、「聖人伝がたくさん作られた・いろいろな発展が著しかった」という意味ですよね?
  • 重箱の隅的で恐縮なのですが、そのあとの「この時代には「著者」と言う概念は成立しておらず・・・」の文に出典がないです。
  • メロヴィング朝末期節、ミシェル・ソの発言の引用内の「八世紀」。直前直後では「8世紀」の表記です。Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間では「引用の場合」にはアラビア数字にしなくてよいことになっていますが、微妙に気になりませんか?また、そのあとの引用部の<・・・男たち(ミシェル・ソ)」>は、<・・・男たち」(ミシェル・ソ)>のようにくくった方が良いように思います。
  • これは私の教養がないだけですが、「司牧の役割」の「司牧」という単語がわかりませんでした(調べました)。なんとなーく、「司祭と牧師をまとめて司牧」ぐらいの雰囲気かなと思ったら、カトリックの文脈で用いる用語なんですね。
  • 「金属工芸」は、なにか実例となるような画像がほしいですねえ。こういうものこそ「高い技術水準」という言葉よりも1枚の画像のほうが物を言いますよねえ。キルデリク1世にあった  の画像、これはレプリカなのかなあ。
  • これはもう本当にどうでもいいことですが、役所が定める「正しい日本語」的には、「知識人達」「学者達」は「たち」とひらがなにするのが「正しい」ことになっています。(達という字には常用漢字的には「たち・だち」という読みがなく、「複数」を表す際に「達」の字を当てるのは「非推奨」。例:東京都のPDFのp22あたり。まあ、この文書にもあるようにこの手の役所の決め事は、「学術分野にまで影響を及ぼす」ようなものではないですし、まあ参考までにぐらいの感じで。)--柒月例祭会話2017年9月14日 (木) 05:16 (UTC)[返信]
  返信 コメントありがとうございます。
  • (ガロ・ローマ系と言う用語について)は『中世フランスの文化』の記述を元に注釈を入れてみました。明確に用語解説をしている本がこれだけだったのですが、どの書籍でも同じ意味で使用されていると思います。
  • (出典抜け)直しました。
  • (漢数字とアラビア数字)一応、引用元書籍で漢数字のものはそのまま漢数字で引用するようにしており、これは執筆時の意図的なものです。別にこだわりがあるわけではないのでどちらでもいいですが、あちこちにあるので修正するモチベーションもなく(^^;
  • (金属工芸の画像)ざっと見あまりいいものがCommonsで見当たらないのでそのままです。。
  • (達とたち)とりあえず全部入れ替えてみました。--TEN会話2017年9月16日 (土) 13:09 (UTC)[返信]
  • (生産的) 忘れていましたが、「生産的」と言う用語は『中世フランスの文化』で使用されているものをそのまま使いました。原本はフランス語のはずなので、ご指摘の通り多分直訳なのだろうと思います。とりあえず表現を変更しました。--TEN会話2017年9月18日 (月) 03:57 (UTC)[返信]

コメント)とりあえず、出典の ル・ジャン 2009 を全箇所確認しました。私は歴史や歴史学に関して門外漢なので、その点ご了承ください。

  • レジーヌ・ル・ジャン 『メロヴィング朝』 加納修訳、白水社〈文庫クセジュ〉、2009年9月。ISBN 978-4-560-50939-5

誤記などを少し直しましたが、私の知識レベルで判断付く範囲内においては、これらに関して出典との整合性に大きな問題ないようです。一か所だけ。[35]で示されている「614年、秩序を再編するためにパリで三つの王国の司教、有力者を集めた集会を開かれた」なんですが、ル・ジャン 2009 p.29 には614年という数字は載っていないようです。別途出典を示すなど対応いただければ幸いです。

上でも話題に挙がっている金属工芸の実例画像ですが、コモンズに王妃アルネグンダのカテゴリがありました(c:Category:Arégonde)。特にc:File:Cluny - Mero - trésor de la tombe d'Arégonde - VIe siècle.jpgは、記事中で述べられている発見された「ベルトの飾り金具、ピン、円形ブローチなどの金工品」自体の画像ではないでしょうか。もし良いものがありましたらお使いください。

ほとんど賛成みたいな状態ですが、もうちょっとだけレビューする予定なのでひとまずコメントとさせていただきました。--Yapparina会話2017年10月1日 (日) 14:01 (UTC)[返信]

  返信 Yapparinaさん、ありがとうございます。
  • (「614年、秩序を再編するためにパリで三つの王国の司教、有力者を集めた集会を開かれた」)出典を追加しました⇒柴田三千雄ら『フランス史1』, p. 145
  • (画像) それ自体であることは間違いなさそうなので、使用させていただきました。カテゴリ内の他の画像も見ましたが、一枚だけ全体をとなると紹介していただいた画像が一番よさそうでした。
手間のかかるレビューやミスの修正していただき本当にありがとうございます。よろしくお願いいたします。--TEN会話2017年10月2日 (月) 21:23 (UTC)[返信]
TENさん、出典の追加と画像の追加ありがとうございます。(´_ _)
次いで、佐藤 1995a を全箇所チェックしました。
  • 佐藤彰一 「第三章 フランク王国」『フランス史』1、山川出版社〈世界歴史大系〉、1995年9月。ISBN 978-4-634-46090-4
上に同じく誤記訂正などを少し行いましたが、大きな問題はないようです。WP:FACRの要求は優に超えた記事でしょう。秀逸な記事に  賛成 です。d(・∀<)--Yapparina会話2017年10月5日 (木) 04:54 (UTC)[返信]
  コメント 上記お二方ほど詳しく検証ができるほどの知識も資料もないのですけど、読んでみて説明の論理のつながりに欠けるようなところ、わかりづらいところなどはほぼ見受けられませんでした。経済の側面が手薄ですが、これくらい古い時代だとわかっていないことの方が多いでしょうし、後の時代ほど経済が複雑化しているわけでもないでしょうから、仕方のない面があります。ただ「言語」節で、識字率がまだ低くて「法律行為は文字なしに行われる」などと書いていながら、「文化」の節を読むと、ローマ帝国の残滓でガリア南部で「ほとんどの法律行為に際して文書が作成」とあるのは、なんだか違和感があります。もちろん、ローマの名残で比較的文字が使われていた時代から、カール・マルテルの教養が失われた時代、そしてカロリング・ルネサンスと変化があるのでしょうが、「言語」節の方にそうした変化もうまく反映できれば、と思います。また些細な問題ですが、「王家の争い」の節で、「596年にキルデベルト2世が夭折」とあります。夭折は若くして亡くなることですが、どの程度の若さであれば使う用語か、というところに異論はあるようですけども、息子がいるくらいの年まで生きた人を夭折と呼ぶのは違和感があります。--Tam0031会話2017年10月10日 (火) 14:57 (UTC)[返信]
  返信 コメントありがとうございます。
  • (「言語」節と「文化」節での法律の取り扱いについて)これはフランク王国時代に統一した法体系が存在せず、各部族毎に異なる法律が存在したため、フランク人の各部族はそれぞれの慣習法を、ローマ人はローマ人の法律を引き続いて使用し、文書行政を継続していたことによる記述の齟齬です(言語説で触れている「サリカ法典」はサリー・フランク人の部族法典になります)。ご指摘の通り時代的変化もあるようです。ちょっと時間がかかるかもしれませんが修正してみたいと思います。
  • (経済節)追加で書きたいこと、の一つなのですが、現在は加筆前からの既存の記述通りの状態です。以外に日本語の資料は豊富(ただちょっと難易度が高い^^;)ですので、この選考が終わったら加筆してみたいと思っています。
  • (夭折)これはちょっと表現を改めます。--TEN会話2017年10月10日 (火) 16:08 (UTC)[返信]
ちょっと間が空いてしまいましたが、記事を加筆修正してみました。
  • (言語節)内容の重複が激しいのもあったので、文化節の重複部分と統合して整理してみましたがいかがでしょうか。
  • (経済節)手薄な感じは否めないので、加筆してみました。--TEN会話2017年11月6日 (月) 17:34 (UTC)[返信]
  賛成 ありがとうございます。指摘したところはおおむね改善されたようですので、賛成とさせていただきます。--Tam0031会話2017年11月7日 (火) 01:47 (UTC)[返信]

選出条件を満たした状態で1週間し、特に異論がありませんでしたので、選考通過で秀逸な記事となります。--Yapparina会話2017年11月14日 (火) 13:53 (UTC)[返信]