榊原昇造
日本陸軍の軍人
榊原 昇造(さかきばら しょうぞう、1859年10月26日(安政6年10月1日)[1] - 1940年9月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
編集江戸出身。1879年(明治12年)12月、工兵少尉任官。1880年(明治13年)12月、陸軍士官学校(旧3期)工兵科を卒業。
1902年(明治35年)6月、工兵大佐に昇進し教育総監部参謀に就任。日露戦争開戦に伴い、1904年(明治37年)2月、宇品港の乙碇泊場司令官に発令。同年5月、第3軍工兵部長として出征。旅順攻囲戦で坑道の開鑿などに活躍。1905年(明治38年)3月、工兵監代理に異動。同年11月、陸軍少将に進級し築城部本部長に就任。
1909年(明治42年)8月、韓国駐剳憲兵隊長に発令され、1910年(明治43年)6月、韓国駐剳軍参謀長に転ずる。同年11月、広島湾要塞司令官となる。
1912年(大正元年)9月、陸軍中将に進み由良要塞司令官に着任。1913年(大正2年)8月に待命、1914年(大正3年)5月、予備役に編入された。墓所は多磨霊園(19-1-10)
栄典
編集- 位階
- 勲章等
親族
編集- 息子 榊原主計(陸軍大佐)
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。