祝 惺元(しゅく せいげん)は中華民国の政治家・外交官。硯渓

祝惺元
Who's Who in China 3rd ed. (1925)
プロフィール
出生: 1880年光緒6年)[1]
死去: 不詳
出身地: 清の旗 直隷省順天府大興県
職業: 政治家・外交官
各種表記
繁体字 祝惺元
簡体字 祝惺元
拼音 Zhù Xīngyuán
ラテン字 Chu Hsing-yüan
和名表記: しゅく せいげん
発音転記: ヂュー シンユエン
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事績

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京師大学堂(後の北京大学)を卒業。日本に留学して中央大学で学んだ。1913年民国2年)、駐米公使館一等秘書となる。後に帰国して、北京政府の外交部秘書兼交通部秘書となった。1920年(民国9年)10月、外交部特派直隷交渉員に任ぜられる。1924年(民国13年)12月まで務めた。1927年(民国16年)、外交部政務司科長となる。

国民政府では、北平市政府専員となる。1930年(民国19年)、国民政府陸海空軍総司令部外交処亜洲組組長に任ぜられた。翌年12月、外交部参事となっている。その後も、外交部顧問、北平市政府専員を歴任した。

日中戦争(抗日戦争)勃発後、祝惺元は中華民国臨時政府創設に参与し、1938年(民国27年)6月6日には天津市社会局局長に任命された[2]。翌1939年(民国28年)7月、王克敏らの意向により、臨時政府が印刷出版会社・新民印書館の全持株を購入する。これにより経営陣は総入替となり、新たに董事長となった曹汝霖の下で祝は常務董事に就任した。なお、曹の董事長招聘に際しては、祝も役割を果たしていたとされる[3][4]

南京国民政府(汪兆銘政権)成立後の1940年(民国29年)5月、臨時政府を改組した華北政務委員会において、祝惺元は政務庁外務局局長に就任する。同年7月、政務庁庁長に昇進した。1942年(民国31年)3月、政務庁庁長を辞し、華北政務委員会委員となった。

日本敗北後の1945年(民国34年)8月時点でも、祝惺元は依然として新民印書館の常務董事に在任していた[5]。その後の祝の行方は不詳となっている。

  1. ^ 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』1067頁、Who's Who in China 3rd.ed.による。劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』1661頁は、1883年光緒9年)とする。
  2. ^ 臨時政府令、令字第212号、民国27年6月6日(『政府公報』第21号、臨時政府行政委員会公報処、民国27年6月13日、2頁)。
  3. ^ 『北支・蒙疆年鑑 昭和十六年版』北支那経済通信社、1940年、381頁。
  4. ^ 曹著, 曹汝霖回想録刊行会編訳(1967)、256-258頁。
  5. ^ 下中弥三郎刊行会編(1965)、184頁。

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0 
  • Who's Who in China 3rd ed. The China Weekly Review (Shanghai) , 1925.
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 下中弥三郎刊行会編『下中弥三郎事典』平凡社、1965年。 
  • 曹汝霖著, 曹汝霖回想録刊行会編訳『一生之回億』鹿島研究所出版会、1967年。 
  • 益井康一『裁かれる汪政権 中国漢奸裁判秘録』植村書店、1948年。 


   南京国民政府(汪兆銘政権
先代
朱深
華北政務委員会
政務庁長
1940年7月 - 1942年3月
次代
夏粛初