ゲオルギオス・パパニコロウ

ゲオルギオス・ニコラオス・パパニコラウ(Georgios Nikolaos Papanikolaou, 1883年5月13日- 1962年2月19日)は、ギリシャ医師研究における細胞診のパイオニアである。主にアメリカ合衆国で活動し、アメリカ国籍も取得したため、英語風にジョージ・ニコラス・パパニコロー(George Nicholas Papanicolaou)とも表記する。

ゲオルギオス・パパニコラウ

経歴 編集

ギリシャ王国エヴィア島キミ出身。アテネ大学卒業後、ドイツに留学しイェーナ大学フライブルク大学を経てミュンヘン大学で博士号取得。1913年にアメリカに渡り、コーネル大学ウェイルメディカルカレッジ(医科専門大学院)の解剖学教室に勤務した。

1928年、膣垢検査によって子宮頸癌の診断が可能であることを示したが、1943年に医学書『Diagnosis of Uterine Cancer by the Vaginal Smear』が出版されるまで(パパニコラウ本人による。婦人科医ハーバート・トラウトとの共著)、一般には殆ど知られなかった。この検査方法はパップテストPapanikolaou test)と呼ばれ、現在も子宮癌の診断に用いられている。また、この時に開発された染色方法をパパニコラウ染色といい、その後の病理診断技術の発展に大きく貢献した。

1961年マイアミ大学にパパニコラウ癌研究所(Papanicolaou Cancer Research Institute)が設立されることになったが、完成前の1962年に亡くなった。

パパニコラウの功績を称え、肖像画がギリシャの10,000ドラクマ紙幣(1995-2001)に描かれていた[1]

受賞歴 編集

脚注 編集

  1. ^ Banknote catalog : Banknote ‹ 10,000 Drachmai” (英語). colnect. 2010年1月16日閲覧。
  2. ^ 1950 Albert Lasker Clinical Medical Research Award” (英語). Lasker Foundation. 2010年1月16日閲覧。

関連項目 編集