喜納 昌永(きな しょうえい、1920年(大正9年)12月28日 - 2009年(平成21年)12月24日)は、日本の沖縄民謡歌手、三線奏者。沖縄県北中城村島袋出身。

沖縄は戦争で凄惨な被害を受けたが歌は残った。復興する県民の心の支えとなった歌を昌永は歌い続け、美声とあふれるアイデアで戦後民謡の黄金期を築いた。

舞台での演奏をはじめとし、立ち姿での演奏、衣装、化粧、デュエットや芝居風の振り付け、琴やバイオリン等様々な楽器を取り入れ、民謡独特のパーカッションである三板(さんば)を開発し、その技法も開拓するなどステージ芸能としての沖縄民謡を確立していった。

一般的に「沖縄民謡」として思い浮かべる姿は、喜納昌永の芸風であると言っても過言でないほど、大きな影響と軌跡を残している。 約500曲にも及ぶレコーディングを行い、滝原康盛とともに初めての沖縄民謡の楽譜である工工四を著し、嘉手苅林昌前川朝昭普久原恒勇らとともに琉球民謡協会の設立に携わり、民謡テレビ番組、民謡クラブの看板歌手として県民に愛された。[1]

2009年には沖縄県功労者表彰の文化部門に選ばれた[2]

晩年は心臓の手術、ポリープによる声帯の一部切除、舌癌など多くの病気に苦しめられたがステージに立つことを続けた。2009年12月24日、梨状陥凹にて死去。88歳だった[3]

息子は歌手参議院議員も務めた喜納昌吉

脚注

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  1. ^ 8DAYs LIVE パンフレット 喜納昌吉 半世紀の軌跡
  2. ^ “沖縄県功労者表彰式”. 沖縄県庁ホームページ. (2009年11月). http://www.pref.okinawa.jp/churahome/pdf/0912/16-17.pdf 2010年1月24日閲覧。 
  3. ^ “[訃報]喜納昌永氏死去”. 沖縄タイムス. (2009年12月25日). http://www.okinawatimes.co.jp/article/20091225_926/ 2010年1月24日閲覧。