相良 頼直(さがら おりべ)は、肥後人吉藩相良家一門(門葉)。頼直(よりなお)、頼真(よりまさ)。織部は通称

 
相良 頼直
時代 江戸時代中期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 織部(通称)、頼真
人吉藩
氏族 藤原南家為憲流相良氏
父母 父:相良栄長
兄弟 頼直
正室:於為(相良長在長女)
頼匡
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生涯

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人吉藩の第5代藩主相良長興の弟・相良栄長を父とする。織部は栄長の長男であり、一族として人吉藩政に参与した。元文元年(1736年)には藩の大目付である平山清左衛門と共に門葉(相良一族で小衆議派)として一族家臣の知行半減に反対し、当時藩政改革を行なっていた家老派(大衆議派)の万江長右衛門らと対立した。この対立には第7代藩主・頼峯の継嗣問題も絡んで騒動に発展し、頼峯の毒殺を門葉一派が謀ったとして織部は失脚した。

織部の死後、その家督は第12代藩主・相良長寛の三男である頼匡が養子として継いだ。

参考文献

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  • 『三百藩家臣人名事典』 新人物往来社
  • 『三百藩藩主人名事典』 新人物往来社
  • 『江戸三百藩藩主総覧』 新人物往来社