三浦時子
三浦 時子(みうら ときこ、本名:橘[1]煕子[2]〈旧名:美笑子[1][2]、喜美子[3]〉、1913年[3]3月20日[4] - 1960年[5][6])は、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)で男役と娘役の両方を演じ、花組組長も務めた人物である。鳥取県出身[7][8]。宝塚歌劇団時代の愛称はタッチン[9]、由来は本名から曉るり子が命名、それ以前は金時だった[10]。
略歴
編集1923年、宝塚歌劇団13期生として宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入学するとともに、宝塚少女歌劇団に入団[注釈 1]。
1941年、宝塚歌劇団を退団、最後の舞台は12月、北野劇場で行われた「乗合船」[11]。
宝塚歌劇団時代の主な舞台出演
編集- 『孔雀物語』(雪組)(1927年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
- 『ピーター・パン』(雪組)(1927年7月1日 - 7月31日、宝塚大劇場)
- 『パリゼット』(月組)(1930年8月1日 - 8月31日、宝塚大劇場)
- 『春のをどり (七曜譜)』『フービーガール』(雪組)(1932年4月1日 - 4月30日、宝塚大劇場)
- 『巴里ニューヨーク』(花組)(1933年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
- 『サーカス』(月組)(1933年2月1日 - 2月28日、宝塚大劇場)
- 『カルナヴァル』(雪組)(1934年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場)
- 『メルヘンランド』(雪組)(1935年1月1日 - 1月24日、宝塚大劇場)
- 『ミュージック・アルバム』(花組)(1936年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
- 『ロザリータ』(雪組)(1936年5月6日 - 5月26日、中劇場)
- 『サーカス』(星組)(1937年2月7日 - 2月21日、中劇場)
- 『宝石パレード』(花組)(1937年10月1日 - 10月31日、宝塚大劇場)
- 『プリムローズ』(花組)(1937年11月6日 - 11月23日、中劇場)
- 『チロルよいとこ』『吉例春のをどり』(花組)(1938年4月1日 - 4月30日、宝塚大劇場)
- 『五十番街の少女達』(花組)(1938年5月7日 - 5月22日、中劇場)
- 『春は再び来りぬ』(花組)(1939年1月26日 - 2月25日、宝塚大劇場)
- 『歌のある繪本』(花組)(1939年11月26日 - 12月28日、中劇場)
- 『プリンス街へ行く』『四天王寺縁起』(花組)(1940年2月26日 - 3月24日、宝塚大劇場)
- 『世界の詩集』(花組)(1940年5月26日 - 6月24日、宝塚大劇場)
- 『日本民謡集』(花組)(1940年8月27日 - 9月24日、宝塚大劇場)
- 『日本名婦傳』(花組)(1941年1月26日 - 2月24日、宝塚大劇場)
- 『世界の市場』(花組)(1941年3月26日 - 4月24日、宝塚大劇場)
- 『こども風土記』(花組)(1941年6月26日 - 7月24日、宝塚大劇場)
- 『歓喜の唄』(花組)(1941年10月26日 - 11月24日、宝塚大劇場)
脚注
編集注釈
編集- ^ この当時、学校と劇団は一体であり、入学=入団であった。
出典
編集- ^ a b スタア1934年12月号28頁
- ^ a b 『東宝』、東宝出版社、1936年6月号
- ^ a b スタア1937年4月号52~53頁
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年1月、154号
- ^ 歌劇1960年11月号74~75頁
- ^ 『歌劇』、宝塚歌劇団、1961年1月、424号、P89
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1929年1月1日、106号、p94
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1931年12月1日、141号、p60
- ^ 『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日、64頁。ISBN 4-484-04601-6。 NCID BA66869802。全国書誌番号:20613764。
- ^ スタア1936年4月号36頁
- ^ 歌劇1967年6月号54~55頁