土原豊見親
概要 編集
童名は「おそろ」、名は春源[1]。宮古島の豪族仲宗根豊見親に従い、1500年のオヤケアカハチの乱で功績をあげた[1]。その功績から多良間島主に任ぜられたという。後に1522年の鬼虎征伐にも参加する。なお、土原氏家譜によれば、島主となったのは双方の功績を認められた後となっている。御嶽を創建したり、漁法を開発したりした人物といわれ[1]、土原豊見親のニーリミャーカが残る[2]。
没年などは不明だが、島内には1530年に土原豊見親が土地を開墾した記録がある。
脚注 編集
- ^ a b c d “土原豊見親 (んたばるとぅゆみゃ)”. 琉球新報デジタル. 2021年11月20日閲覧。
- ^ “土原豊見親のミャーカ|多良間村公式ホームページ”. www.vill.tarama.okinawa.jp. 2021年11月20日閲覧。
参考文献 編集
- 『沖縄大百科事典』沖縄タイムス、1983年
- 今林直樹『先島諸島の地理・民俗・歴史―宮古諸島と八重山諸島―』、2015年