柳内達雄
来歴
編集東京神田生まれ。東京府青山師範学校(現・東京学芸大学)卒。小学校教師として作文(綴方)教育に熱心で、日本作文の会常任委員。
東京都世田谷区立代沢国民学校(現・世田谷区立代沢小学校)に勤務していた1944年、集団疎開先(浅間温泉)で受け持った学童に鉛筆部隊の名称を与え、家族や戦地の兵士への手紙を書くことを奨励した。その後、近くの松本飛行場にいた特別攻撃隊員と学童の間で交流があり、その事績が後にきむらけんの著書『鉛筆部隊と特攻隊-もう一つの戦史-』(彩流社、2012年)で紹介された。戦後の1946年に、藤田圭雄らとともに児童雑誌「赤とんぼ」を実業之日本社から刊行し、良心的児童雑誌として評価された。ケストナー『飛ぶ教室』の翻訳や、竹山道雄『ビルマの竪琴』、新美南吉の遺稿などは「赤とんぼ」に掲載された[1]。
小学校の教え子だった和田誠は、教科書をあまり使わず「赤とんぼ」や石井桃子訳の『くまのプーさん』を教材に使用するユニークな先生だったと述懐している[2]。
1958年『私たちの詩と作文』で産経児童出版文化賞受賞。
著書
編集- 私たちのクラブ活動 1 文芸 三十書房 1955
- 文字とことばの教室 2年生 三十書房 1955
- みんなでやろう私たちの詩と作文 国土社 1957 (みつばち文庫)
- ことばの本 学習研究社 1957.7 (二年の学習文庫 6 国語編)
- 作文指導の技術 牧書店 1959
- 詩と作文の教室 2年生 三十書房 1962
- 詩と作文 国土社 1964 (みつばちぶっくす)
- 文字とことばの力をのばす 2年生 盛光社 1966.7
- 作文と詩の力をのばす 1-2年生 盛光社 1966.6
- 作文がすきになる本 1・2-5・6年生 あかね書房 1972-75 (あかね学習文庫)
- 花 詩と作文の指導 あかね書房 1979.6
共編著
編集脚注
編集- ^ “少年少女雑誌にみる近代”. 日本近代文学館 (2013年3月8日). 2020年5月25日閲覧。
- ^ 和田誠「ことばの波止場」. 中公文庫
参考
編集- 日本近代文学大辞典