三石巌

1901-1997, 物理学者。

三石 巌(みついし いわお、1901年12月29日 - 1997年1月17日[1])は、日本物理学者[要出典]、児童文学者[1]東京府東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)出身[1]

略歴

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1919年、東京帝国大学理学部物理学科入学。1927年、同工学部大学院卒[2]

物理学者として、日本大学慶応義塾大学武蔵大学津田塾大学清泉女子大学の教授を歴任した[要出典]

1974年、東京タイムズに「ビタミン大量投与の是非をめぐって」を寄稿して以来[要出典]分子生物学栄養学での研究も行った[2]。その後、独自に編み出した分子栄養学を提唱し[要出典]、健康自主管理運動の拠点として1981年にメガビタミン協会(現三石理論研究所)、1982年に株式会社メグビーを設立した[2]。1997年1月17日、急性肺炎のため95歳で逝去[1]

著書

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他多数

脚注

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  1. ^ a b c d 『現代物故者事典 1997~1999』(日外アソシエーツ、2000年)p.567
  2. ^ a b c 三石巌の部屋”. 株式会社メグビー. 2020年11月7日閲覧。

外部リンク

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