松平 正億[1](まつだいら まさやす)は、江戸時代中期の旗本寄合)。正朝系大河内松平家3代。石高は3500石。

 
松平正億
時代 江戸時代中期
生誕 宝永2年8月21日1705年10月8日
死没 享保15年11月17日1730年12月26日
改名 正純→正億
別名通称)喜内→鉄之助→帯刀→右近
戒名 仙厳院殿玄誉幽徹大居士
墓所 駒込蓮光寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
氏族 大河内松平家
父母 父:松平為政 母:乗願院(松平正信の娘)
兄弟 主水、六之助、正億、勝十郎
さい(秋元貞栄室)、はち、女
くめ(伊奈忠逵の養女)
養子:正方
テンプレートを表示

生涯

編集

宝永2年(1705年)8月21日に松平為政の三男として生まれる。享保4年(1719年)9月に父が死去したため、11月27日に家督を相続する。12月11日に初めて将軍吉宗に拝謁する。享保7年(1722年)2月9日に清水門番、享保11年(1726年)4月18日に中奥小姓となる。享保12年(1727年)11月、鷹狩に随行してを射たため、褒美として時服を拝領する。享保15年(1730年)11月17日に死去。享年26。

参考文献

編集

脚注

編集
  1. ^ 『幡豆町史』所収の「御系図書写」には正徳とある。