安西 正道(あんざい まさみち、1912年2月3日 - 1990年9月10日[1])は、日本の官僚実業家。元全日本空輸社長。千葉県出身[1]

略歴 編集

  • 1934年(昭和9年)東京帝国大学法学部法律学科卒業、逓信省入省。戦後は運輸省海運にかかわる[2]
  • 1958年(昭和33年)第5代海上保安庁長官巡視船宗谷」を改造して南極観測砕氷船とし、南極観測に貢献[2]
  • 1959年(昭和34年)5月、全日本空輸の常務取締役に就任[2]
  • 1966年(昭和41年)11月、全日空松山沖墜落事故の対策本部長を務め、事故処理にあたる[2]
  • 1970年(昭和45年)全日本空輸を退社し、運輸省に請われ船舶整備公団理事長に就任[2]
  • 1974年(昭和49年)全日本空輸の顧問に就任。後に監査役[2]
  • 1976年(昭和51年)12月、全日本空輸第6代社長に就任[2]
  • 1983年(昭和58年)6月、社長を退き相談役に就く[2]
  • 1985年(昭和60年)11月、勲二等旭日重光章を受章[2]

脚注 編集

  1. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ a b c d e f g h i 大空への挑戦 ANA50年の航跡 76頁

参考文献 編集

  • ANA50年史編集委員会『大空への挑戦 -ANA50年の航跡-』全日本空輸株式会社、2004年。 
先代
島居辰次郎
海上保安庁長官
第5代:1958年 - 1959年
次代
林坦
先代
若狭得治
全日本空輸社長
第6代:1976年 - 1983年
次代
中村大造