藤原 忠信(ふじわら の ただのぶ)は、平安時代中期の公卿藤原北家魚名流、中納言藤原山蔭の曾孫で、伊勢守藤原祐之の次男[1]官位従三位美濃守三乃三位と号す[2]

 
藤原忠信
時代 平安時代中期
生誕 承平3年(933年
死没 正暦4年12月11日994年1月25日)以降
別名 三乃三位
官位 従三位美濃守
主君 円融天皇花山天皇一条天皇
氏族 藤原北家山蔭流
父母 父:藤原祐之、母:藤原惟遠の娘
兄弟 統理、俊宗
義遠、平惟仲室、平惟仲養女
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経歴

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一条朝初頭の永延2年(988年皇太后藤原詮子皇太后宮亮を務めていた。その後、美濃守を務めたのち、正暦4年(993年)12月10日に従三位に昇叙されて公卿となるが[3]、その夜に夫妻共々出家[4]。『一代要記』によれば、10日、治国により叙位、翌11日年来の宿願により出家し、「即ち薨じた」[5]。この年、61歳[1]。最終官位は前美濃守従三位。

官歴

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系譜

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尊卑分脈』、『公卿補任』による

脚注

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  1. ^ a b 『公卿補任』正暦4年
  2. ^ a b 『尊卑分脈』
  3. ^ a b 日本紀略』、『本朝世紀』、『公卿補任』、『一代要記』。『小記目録』では11日
  4. ^ a b 『日本紀略』、『本朝世紀』では10日。『一代要記』、『公卿補任』では11日
  5. ^ 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
  6. ^ 小記目録』
  7. ^ a b 『小右記』
  8. ^ 山之内恵子「後拾遺和歌集作者ノート(4)」『並木の聖 第3号』1970年

出典

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