酒井 直豊(さかい なおとき)は、江戸時代の武士。出羽庄内藩亀ヶ崎城代。酒井奥之助家第6代。

 
酒井直豊
時代 江戸時代
生誕 宝暦9年(1759年
死没 文化2年2月11日1805年3月11日
別名 弾正、内匠、奥之助
墓所 山形県鶴岡市家中新町 大督寺
幕府 江戸幕府
主君 酒井忠徳
出羽庄内藩亀ヶ崎城代
氏族 酒井氏
父母 父:酒井直恭
直寛
テンプレートを表示

経歴

編集

宝暦9年(1759年)、出羽庄内藩家老酒井直恭の子として生まれる。 安永6年(1777年)8月、父直恭の死去により、家督と知行1200石を相続する。安永9年(1780年)10月、組頭となる。

家老水野重幸と対立して、亀ヶ崎城代に左遷されていた[1]竹内茂樹が、寛政7年(1795年)5月、藩政改革を志す藩主酒井忠徳により中老を命じられ、藩政中枢に復帰したため、後任の城代を命じられる。寛政11年(1799年)1月、家老酒井了知の三男確之進(直寛)を養子とする。同年5月、城代を辞任。

文化2年(1805年)2月11日死去。享年45。

脚注

編集
  1. ^ 亀ヶ崎城代は家老級が任命される職だが、藩政中枢から遠ざかる閑職として当時敬遠されていた。『鶴岡市史』

参考文献

編集
  • 『鶴岡市史』
  • 『荘内人名辞書』
  • 『新編庄内人名辞典』