春日俊文
春日 俊文(かすが としふみ、1873年(明治6年)4月20日[1] - 1937年(昭和12年)6月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(立憲政友会)(2期)。
略歴・人物
編集長野県埴科郡屋代町に生まれる。1895年(明治28年)に和仏法律学校(現・法政大学)を卒業する。1900年(明治33年)中国に留学し、1903年(明治36年)からアメリカに留学する。1906年(明治39年)帰国。
1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙、1936年(昭和11年)の第19回衆議院議員総選挙に当選する。また、東亜耐火工業の専務取締役などを務めた。1937年(昭和12年)6月9日に死去。
五私鉄疑獄事件
編集鉄道大臣などを務めた小川平吉の側近で、いわゆる五私鉄疑獄事件によって小川とともに逮捕。 1933年(昭和8年)5月16日、東京地方裁判所で小川とともに無罪の判決を受ける[2]ものの検察が控訴。1934年(昭和9年)11月17日、東京控訴院が懲役2年の判決を言い渡し[3]、1936年(昭和11年)9月、大審院で判決が確定した。
脚注
編集参考文献
編集- 『衆議院議員略歴』衆議院事務局、1932年。
- 『日本人物情報大系 第30巻』皓星社、2000年。
- 1936年9月19日付け大阪朝日新聞-神戸大学附属図書館新聞記事文庫