森部隆
森部 隆(もりべ たかし、1894年(明治27年)5月27日[1] - 1965年(昭和40年)4月10日[2])は、日本の内務・台湾総督府官僚、弁護士。官選島根県知事。
経歴
編集福岡県出身。森部隆三の四男として生まれる[1]。第五高等学校を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。東洋拓殖株式会社を経て、内務省に入省し社会局に配属された[1][3]。
以後、岩手県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、社会局書記官・労働部労政課長、ジュネーヴ国際労働会議政府代表顧問(1936年出張)、愛知県総務部長などを歴任[1]。
1939年4月、島根県知事に就任。山林造林計画の策定、干ばつへの対策などに尽力[1]。1940年4月、拓務省拓務局長に転任。拓南局長を経て[4]、1941年5月、台湾総督府内務局長に就任。さらに同総務局長、鉱工局長を歴任し、1945年1月に辞任し退官した[3][5]。
戦後、弁護士となり、(株) 建設工業会館代表取締役を務めた[1]。
親族
編集- 兄 森部隆輔(国会議員)
栄典
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]
脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。