辻 葦夫(つじ あしお、1902年明治35年) - 1980年昭和55年)11月13日[1])は、日本洋画家。「葦夫」は筆名で、本名は芳雄。

略歴

編集

山梨県甲府市に生まれる。山梨県立甲府中学校(山梨県立甲府第一高等学校)を卒業後、上京して慶應義塾大学に入学する。大学時代から油絵をはじめ、1929年(昭和4年)には福沢一郎に師事する。翌年には地元で米倉壽仁らとシュルレアリスム絵画グループである「六人社」を結成する。また、1937年(昭和12年)に設立された山梨美術協会の結成にも参加し、1941年(昭和16年)・翌42年(昭和17年)には副委員長を務める。

1944年(昭和19年)には独立美術協会で《秋》、《静物》が入選し、同年にはサロン・ド・ジュワン会員となる。戦後には1955年(昭和30年)に中村宗久らと「白壽会」を結成し、葦夫は二代目の会長になる。1978年(昭和53年)には財団法人実財団から文化功労実賞を受賞する。

脚注

編集
  1. ^ 『20世紀物故洋画家事典』(美術年鑑社、1997年)p.193

参考文献

編集
  • 『山梨県立美術館 蔵品総目録Ⅱ 1984-1988』山梨県立美術館、1989年