鷲津久一郎
鷲津 久一郎(わしづ きゅういちろう、1921年3月12日[1] - 1981年11月25日[2])は、日本の航空工学者。東京大学工学部航空工学科教授、大阪大学基礎工学部教授を務めた。
経歴
編集1921年3月12日に[1]愛知県に生まれる。一宮中学校を卒業し、その後、東京帝国大学工学部を卒業した。1957年に、「弾性力学における近似解法に関する研究」で工学博士を取得する。
第二次世界大戦中に、技術大尉として特攻機「桜花」の設計に携わる。鷲津技術大尉は桜花の性能関係を担当し、山名正夫技術中佐は設計課主任、北山敏和は主務設計者で全般、服部六郎技術少佐は構造、北野多喜雄技師は空力と設計を分担した。この5人の設計スタッフは、海軍航空技術廠の一室に籠城して設計に専念した[3]。
著書
編集共編著
編集翻訳
編集論文
編集脚注
編集- ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1205頁。
- ^ 日外アソシエーツ『人物物故大年表』紀伊國屋書店、2005年、鷲津久一郎頁。ISBN 4-8169-1958-9。
- ^ 北山敏和. “新幹線開発者 三木忠直の特攻兵器桜花設計記”. 北山敏和の鉄道いまむかし. 2022年3月28日閲覧。
- ^ 「鷲津久一郎先生の思い出」川井忠彦 日本機械学會誌 1989-06-05
- ^ 鷲津浩子『時の女たち』南雲堂、2005年、あとがき頁。ISBN 4-523-29297-3。OCLC 60123612 。