萩原 淳平(はぎわら じゅんぺい、1920年4月4日[1] - 2000年12月17日)は、静岡県出身の東洋史学者。京都大学名誉教授文学博士

静岡県生まれ。1938年静岡県立静岡中学校卒業。静岡高等学校 (旧制)を経て、1946年京都帝国大学文学部史学科を卒業。大学院修了後、京都大学副手となったが郷里に戻り、1950年、静岡県立教員養成所教授、静岡大学教育学部講師となった。1955年、再び京都大学に戻り、1958年、京都大学文学部講師となり、『明代満蒙史料』(京都大学文学部刊)の編纂にあたった。1962年、助教授。1977年、『明代蒙古史研究』で京都大学文学博士。1978年、京都大学文学部教授。1984年、3月定年退官、名誉教授、4月、立正大学教授。1991年、同大学退職[2]島田虔次らと「アジア歴史研究入門」全6冊の編纂を行い、また後進の養成を行った。

2000年12月17日、腎不全のため死去[1]

脚注

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  1. ^ a b 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.481
  2. ^ 経歴記述は吉田寅「萩原淳平先生をお送りする」(立正大学文学部論叢.93号,1991.3)による