林幸司
大日本帝国陸軍軍人
林 幸司(はやし こうじ、1880年(明治13年)2月5日[1] – 1945年(昭和20年)5月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。千葉県市川市長。
経歴
編集東京府出身。1905年(明治37年)に陸軍士官学校を卒業し、陸軍砲兵少尉に任官した[2]。1932年(昭和7年)に陸軍少将に昇進[2]。深山重砲連隊長、野戦重砲兵第2連隊長、基隆要塞司令官、野戦重砲兵第3旅団長などを歴任した[2]。1935年(昭和10年)、予備役に編入[2]。
その後、1942年(昭和17年)に市川市長に選出された[3]。
その他、中島機械株式会社取締役を務めた[3]。
栄典
編集- 位階
- 1904年(明治37年)5月17日 - 正八位[4]
- 1905年(明治38年)8月18日 - 従七位[5]
- 1910年(明治43年)9月30日 - 正七位[6]
- 1915年(大正4年)10月30日 - 従六位[7]
- 1920年(大正9年)11月30日 - 正六位[8]
- 1931年(昭和6年)2月2日 - 正五位[9]
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[10]
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下巻』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下巻』人事興信所、1943年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。