中村近照

江戸時代前期の徳島藩の家老

中村 近照(なかむら ちかてる)は、江戸時代前期の徳島藩家老阿波大西城主。初名は五郎吉。通称は美作。

 
中村近照
時代 江戸時代
生誕 1621年元和7年)
死没 1672年9月28日寛文12年8月8日
別名 五郎吉
美作
墓所 桂林寺
主君 蜂須賀至鎮蜂須賀忠英
徳島藩
氏族 中村氏
父母 父:中村可近
兄弟 富淑
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生涯

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父は徳島藩主の蜂須賀家家老である中村可近

1646年正保3年)に中村家の家督を継ぎ大西城代となる。高7千5百石。1654年承応3年)、洲本執事職となる。

しかし、1656年明暦2年)10月5日、洲本在番中に京都と大坂へ忍行し遊興にふけたため、不届きの儀が出され罷免され、仁宇山へ籠居となる。同年7月24日、中村家の家督は義弟である富淑が継いだ。

1672年寛文12年)8月8日、没する。墓所は徳島県三好市にある桂林寺[1]

脚注

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  1. ^ 中村勘三郎さんが三好市へ先祖の墓参り”. 三好市 (2009年5月). 2017年11月10日閲覧。

参考文献

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  • 中山義純・牛田義文訳注『訳注 阿淡藩翰譜〔徳島藩・上級家臣録〕』(上田家文書)