山本源左衛門
昭和期の実業家
山本 源左衛門(やまもと げんざえもん、1906年(明治39年)10月16日 - 1987年(昭和62年)10月26日)は、昭和期の実業家である。元東京海上火災保険会長。
やまもと げんざえもん 山本 源左衛門 | |
---|---|
生誕 |
1906年10月16日 兵庫県 |
死没 | 1987年10月26日(81歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 |
旧制山口高等学校卒業 京都帝国大学法学部卒業 |
職業 | 東京海上火災保険元会長 |
受賞 |
藍綬褒章(1970年) 勲二等旭日重光章(1976年) |
経歴
編集1906年、兵庫県の生まれ。1925年に旧制山口高等学校卒業。1930年に京都帝国大学法学部を卒業。同年、東京海上火災保険に入社。1938年満州火災海上に出向し、営業部長として活躍した。
1947年東京海上火災に復帰。1966年同社の5代目社長として就任。1968年6月より1974年まで日本損害保険協会会長。1972年6月、同社会長に就任。1987年10月26日に81歳にて他界[1][2]。
在任中の出来事
編集- 32階建ての新社屋建設をめぐり、皇居前の高層建築物に関する美観論争がおきた[3]。
栄典
編集脚注
編集- ^ 20世紀日本人名事典
- ^ 東京海上火災保険(株)『東京海上百二十五年史』(2005.10) 渋沢社史データベース
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus