鈴木元長
大日本帝国陸軍軍人
鈴木 元長(すずき もとなが、1884年(明治17年)8月31日[1] - 1941年(昭和16年)7月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
鈴木 元長 すずき もとなが | |
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生誕 |
1884年8月31日 日本、広島県 |
死没 | 1941年7月14日(56歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1904 - 1937 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集広島県出身。1904年(明治37年)10月24日に陸軍士官学校(16期)を卒業し、同年11月1日に工兵少尉に任ぜられる[2]。1907年(明治40年)12月21日に工兵中尉に昇進[3]し、1909年(明治42年)11月26日に陸軍砲工学校(15期)高等科を卒業[4]後、更に員外学生として在学した。1911年(明治44年)12月12日に工兵大尉に昇進[5]し、1913年(大正2年)7月10日には東京帝国大学理科大学実験物理学科を卒業した[6]。
その後、陸軍砲工学校教官等を経て、1919年(大正8年)12月1日に工兵少佐に昇進[7]し、電信第一連隊付等を経て、1924年(大正13年)3月15日に工兵中佐に[8]、1928年(昭和3年)3月7日に工兵大佐に昇進[9]。さらに、1929年(昭和4年)8月1日、陸地測量部三角科長を命ぜられ[10]、1932年(昭和7年)5月23日に澎湖島要塞司令官に就任[11]し、同年8月8日に陸軍少将に昇進[12]。
その後、陸地測量部長を経て、1936年(昭和11年)4月28日、陸軍中将に昇進し東京湾要塞司令官に就任[13]。1937年(昭和12年)3月1日待命[14]となり、同月29日予備役に編入された。
栄典
編集- 1904年(明治37年)12月8日 - 正八位[15]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲六等瑞宝章・明治三十七八年従軍記章[16]
- 1908年(明治41年)3月20日 - 従七位[17]
- 1912年(明治45年)2月10日 - 正七位[18]
- 1913年(大正2年)5月31日 - 勲五等瑞宝章[19]
- 1917年(大正6年)2月28日 - 従六位[20]
- 1920年(大正9年)
- 4月23日 - 勲四等瑞宝章[21]
- 11月1日 - 旭日小綬章・大正三年乃至九年戦役従軍記章[22]
- 1922年(大正11年)3月20日 - 正六位[23]
- 1927年(昭和2年)4月15日 - 従五位[24]
- 1928年(昭和3年)4月21日 - 勲三等瑞宝章[25]
- 1932年(昭和7年)5月16日 - 正五位[26]
- 1934年(昭和9年)4月29日 - 勲二等瑞宝章・昭和六年乃至九年事変従軍記章[27]
- 1936年(昭和11年)6月1日 - 従四位[28]
- 1937年(昭和12年)4月28日 - 正四位[29]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[30]
- 外国勲章佩用允許
- 1924年(大正13年)4月25日 - フランス共和国:レジオンドヌール勲章オフィシエ[31]
脚注
編集- ^ a b 『日本陸軍将官辞典』401頁。
- ^ 『官報』第6404号、明治37年11月2日。
- ^ 『官報』第7347号、明治40年12月23日。
- ^ 『官報』第7937号、明治42年12月7日。
- ^ 『官報』第8545号、明治44年12月13日。
- ^ 『官報』第286号、大正2年7月12日。
- ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ 『官報』第3467号、大正13年3月17日。
- ^ 『官報』第357号、昭和3年3月9日。
- ^ 『官報』第778号、昭和4年8月2日。
- ^ 『官報』第1617号、昭和7年5月24日。
- ^ 『官報』第1683号、昭和7年8月9日。
- ^ 『官報』第2795号、昭和11年4月30日。
- ^ 『官報』第3046号、昭和12年3月2日。
- ^ 『官報』第6441号、明治37年12月17日。
- ^ 『官報』第7035号、明治39年12月10日。
- ^ 『官報』第7418号、明治41年3月23日。
- ^ 『官報』第8591号、明治45年2月12日。
- ^ 『官報』第251号、大正2年6月2日。
- ^ 『官報』第1372号、大正6年3月1日。
- ^ 『官報』第2316号、大正9年4月24日。
- ^ 『官報』第2669号、大正10年6月24日。
- ^ 『官報』第2888号、大正11年3月22日。
- ^ 『官報』第107号、昭和2年5月11日。
- ^ 『官報』第394号、昭和3年4月24日。
- ^ 『官報』第1619号、昭和7年5月26日。
- ^ 『官報』第2603号附録、昭和10年9月4日。
- ^ 『官報』第2823号、昭和11年6月2日。
- ^ 『官報』第3096号、昭和12年5月3日。
- ^ 『官報』第4438号付録、昭和16年10月23日。
- ^ 『官報』第3504号、大正13年5月1日。
参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
軍職 | ||
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先代 金子因之 |
澎湖島要塞司令官 第19代:1932年5月23日 - 1932年12月7日 |
次代 松村修己 |
先代 石井英橘 |
陸地測量部長 第12代:1932年12月7日 - 1936年4月28日 |
次代 桑原四郎 |
先代 弘岡好忠 |
東京湾要塞司令官 第39代:1936年4月28日 - 1937年3月1日 |
次代 佐伯清一 |