愚渓智至(ぐけいちし)は、南北朝時代から室町時代の臨済宗の僧。
龍泉令淬の法嗣となり、のちに筑前承天寺、京都万寿寺、楞伽寺の住持を歴任する[2]。性海霊見が虎関師錬の『元亨釈書』を重刊した際には、その編纂に協力した[2]。