無隠元晦

鎌倉時代後期から南北朝時代の臨済宗の僧

無隠元晦(むいん げんかい)は、鎌倉時代後期から南北朝時代臨済宗

無隠元晦
? - 延文3年/正平13年10月17日
(? - 1358年11月18日
諡号 法雲普済禅師[1]
生地 豊前田川郡[1]
宗旨 臨済宗
中峰明本
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経歴・人物 編集

16年間にわたりに滞在し、中峰明本の法嗣となる[1]嘉暦元年(1326年)に帰国したのち大友氏泰に招かれ、筑前顕孝寺聖福寺にはいる[1]。そののち京都建仁寺南禅寺の住持を歴任した[1]馮子振が元に滞在中の無隠元晦に対し書き上げた偈は、『与無隠元晦詩』として国宝に指定されている[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『無隠元晦』 - コトバンク
  2. ^ 与無隠元晦法語 - e国宝、2019年1月28日閲覧。