安居院経市

大正から昭和時代の銀行家

安居院 経市(あごいん きょういち[1][2]1890年明治23年)5月[3][4][5]25日[2] - 1978年昭和53年)10月6日[1])は、大正から昭和時代の銀行家実業家

経歴

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安居院栄三郎の三男として兵庫県に生まれ、1914年(大正3年)叔父・音吉の家督を継ぐ[3]1917年(大正6年)京都帝国大学法科政治科を卒業し、三菱銀行に入社する[3][4][5]。その後、日本橋支店副長、本店内国課副長、四谷・小樽・大森・横浜各支店長を経て参事となった[3][4][5]1944年(昭和19年)退職[5]。後に興亜石油常務取締役を務め、1978年(昭和53年)に老衰により東京都大田区北千束の自宅にて死去した[1]

ほか、淡路産業相談役、東京銀座ライオンズクラブ会長、東興商会社長、同相談役などを歴任した[2]

人物

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日蓮宗を信仰していた[3][4][5]

親族

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  • 子 安居院彦一(東冷蔵、日本タンクターミナル各社長)[2]
  • 子 安居院栄次(神港魚類非常勤相談役)[2]
  • 子 谷向茂峻(谷向病院長)[2]
  • 娘婿 黒田斐雄(二女輝子夫、新日本空調代表取締役)[2]

脚注

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  1. ^ a b c 朝日新聞』昭和53年10月7日朝刊、第23面の訃報より
  2. ^ a b c d e f g 人事興信所 1975, あ1頁.
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第11版 上』、ア1頁
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第13版 上』、ア1頁
  5. ^ a b c d e 『人事興信録 第15版 上』、ア1頁

参考文献

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