木澤 鶴人(きざわ つると、1872年2月6日 - 1920年1月9日)は、日本の教育者学校法人松商学園の起源となる松本戊戌商業学校の創立者で、現在の松商学園高校の創立者として位置づけられている。

略歴

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筑摩県筑摩郡松本(現・長野県松本市)に旧松本藩士・木澤政誾の長男として生まれる。明治28年(1895年)に東京物理学校を卒業し、慶應義塾に学ぶ。陸軍陸地測量部、東京大林区署に勤務後、明治31年(1898年)に帰郷。信濃商業銀行(1896年創業、1909年六十三銀行に統合)に入行し、翌年支配人代理となる。近代的商業人の育成を目指し、福沢諭吉の自主独立実学を建学の精神として私学・戊戌学会を設立した。明治33年(1900年)には文部省令実業学校規定により松本戊戌学校と改称し、明治35年(1902年)には文部省の許可を得て松本戊戌商業学校とした。当初は経営危機にあったが、明治44年(1911年)に今井五介の支援を受けて松本商業学校として再建させた。大正9年(1920年)に東京帝国大学医学部附属医院で死去。  

参考文献

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  • 『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社、1989年
  • 窪田文明『自主独立の旗をかかげて 木澤鶴人と米沢武平の生涯』 学校法人松商学園、2018年