的野憲三郎
大日本帝国陸軍軍人
的野 憲三郎(まとの けんざぶろう、1889年(明治22年)2月16日 - 1950年(昭和25年)1月3日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
的野 憲三郎 | |
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生誕 |
1889年2月16日 日本 福岡県 |
死没 | 1950年1月3日(60歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集福岡県出身[1]。福岡県立中学修猷館を経て、1911年(明治44年)陸軍士官学校第23期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[1][2]。
1939年(昭和14年)3月に陸軍歩兵大佐を経て、同年9月に歩兵第68連隊長(第11軍、第3師団、歩兵第5旅団)に任官し、支那事変に出征[1][3][4]。宜昌、漢水、長沙作戦で奮闘する[1]。
大東亜戦争に入ると釧路連隊区司令官などを経て、1944年(昭和19年)8月に陸軍少将に昇進し、1945年(昭和20年)独立混成第9旅団長(北支那方面軍、第43軍)として大沽にて終戦を迎えた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。