栗原重平
大日本帝国陸軍軍人
栗原 重平(くりはら じゅうへい、1874年(明治7年)5月10日 - 1940年(昭和15年)8月5日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級は従四位勲三等功四級[2]。
栗原 重平 | |
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生誕 |
1874年5月10日 日本 群馬県 |
死没 | 1940年8月5日(66歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1896年 - 1923年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集群馬県出身[1][3]。1896年(明治29年)陸軍士官学校第7期卒業[1][3]。
1914年(大正3年)8月に朝鮮駐箚軍司令部附、1915年(大正4年)11月に陸軍歩兵中佐、1918年(大正7年)6月に朝鮮軍司令部附、1919年(大正8年)4月に陸軍歩兵大佐を経て、1923年(大正12年)8月6日に陸軍少将に昇進と同時に待命、同年9月1日に予備役に、1933年(昭和8年)4月に後備役に編入した[1][2][3]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。