安達 宗顕(あだち むねあき)は、鎌倉時代中期の鎌倉幕府御家人安達氏の一族で安達顕盛の子。子に時顕がいる。

 
安達宗顕
時代 鎌倉時代中期
生誕 文永2年(1265年
死没 弘安8年(1285年
官位 秋田城介左衛門尉
主君 惟康親王
氏族 安達氏
父母 父:安達顕盛 母:北条政村の娘
山河重光の娘
時顕
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顕盛が21歳の時に生まれた子供である。

弘安8年(1285年)11月17日、伯父の泰盛内管領平頼綱の対立による霜月騒動で安達一族が滅ぼされると、宗顕にも追討の手が差し向けられ、遠江国で自害して果てた。享年21。

永仁元年(1293年)の平禅門の乱で平頼綱が滅ぼされた後に安達一族の復帰が認められると、宗顕の子時顕は幕政に復帰し、安達氏家督である秋田城介を継承した。また、時顕の娘は北条高時に嫁いでいる。