篠井恵四郎
日本の政治家。長野県飯山市長
篠井 恵四郎(しのい えしろう、1902年(明治35年)[注釈 1]2月21日[1][2] - 1965年(昭和40年)[3])は、日本の政治家。長野県飯山市長。
篠井恵四郎 しのい えしろう | |
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生年月日 | 1902年2月21日 |
出生地 | 長野県下水内郡飯山町(現長野県飯山市) |
没年月日 | 1965年 |
出身校 | 旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1954年9月15日 - 1958年9月14日 |
(旧)飯山町長 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1952年 - 1954年7月31日 |
来歴
編集長野県下水内郡飯山町(現飯山市)生まれ。1919年(大正8年)3月、旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業[1][3]。飯山町議会議員、同町消防団長、同町助役を経て[1]、1953年(昭和28年)[注釈 2]9月、飯山町長に当選し[1]、昭和の大合併では1町6村の新設合併を実現した[1][3]。
1954年(昭和29年)飯山市制施行に伴い初代市長となり、1958年(昭和33年)9月まで1期務めた。在任中は市庁舎の竣工や照岡ダムの建設、市内有線放送の整備などに力を入れた[1]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。